長短経 / 三国権
時魏使夏侯楙鎮長安、蜀將魏延就諸葛亮請兵從褒中出、循秦嶺而東、當子午而北、以襲長安、亮不許。〔《魏畧》曰、「夏侯楙為安西将軍、鎮長安。諸葛亮於南鄭與羣下計議、魏延曰、『聞夏侯楙、先主壻也、怯而無謀、今假延精兵五千、負糧五千、直從褒中出、循秦嶺而東、當子午而北、不過十日、可到長安。聞延奄至、必乗舩逃走、長安唯有御史、京兆太守横門邸閣與散人榖足周食也。比東方相合聚、尚二十許日、而公從斜谷来、亦足以逹如此則一舉而咸陽以西可定矣!』亮以為懸危不如安從、坦道可以平取隴右、萬全必克而無虞、故不用延計也。延每從亮出、輙欲請兵萬人與亮異道㑹於潼闗、如韓信故事。亮制而不許。延常謂亮為怯、歎恨已才用之不盡也。」〕
新字:時魏使夏侯楙鎮長安、蜀将魏延就諸葛亮請兵従褒中出、循秦嶺而東、当子午而北、以襲長安、亮不許。〔《魏略》曰、「夏侯楙為安西将軍、鎮長安。諸葛亮於南鄭与羣下計議、魏延曰、『聞夏侯楙、先主壻也、怯而無謀、今仮延精兵五千、負糧五千、直従褒中出、循秦嶺而東、当子午而北、不過十日、可到長安。聞延奄至、必乗舩逃走、長安唯有御史、京兆太守横門邸閣与散人穀足周食也。比東方相合聚、尚二十許日、而公従斜谷来、亦足以逹如此則一舉而咸陽以西可定矣!』亮以為懸危不如安従、坦道可以平取隴右、万全必克而無虞、故不用延計也。延毎従亮出、輙欲請兵万人与亮異道会於潼関、如韓信故事。亮制而不許。延常謂亮為怯、嘆恨已才用之不尽也。」〕
書き下し
時に魏、夏侯楙をして長安に鎮せしむ。蜀の将魏延、諸葛亮に就きて兵を請い、褒中より出で、秦嶺に循いて東し、子午に当たりて北し、以て長安を襲わんとす。亮許さず。〔魏略に曰く「夏侯楙、安西将軍と為り、長安に鎮す。諸葛亮、南鄭に於いて群下と計議す。魏延曰く『聞く、夏侯楙は先主の婿なり、怯にして謀無し、と。今、延に精兵五千、負糧五千を仮さば、直ちに褒中より出で、秦嶺に循いて東し、子午に当たりて北せば、十日に過ぎずして、長安に到るべし。延の奄かに至るを聞かば、必ず船に乗りて逃走せん。長安には唯だ御史・京兆太守のみ有り。横門の邸閣と散民の穀とは、周食するに足るなり。東方の相合聚するに比べば、尚お二十許日。而して公は斜谷より来たるも、亦た以て達するに足らん。此くの如くんば則ち一挙にして咸陽以西定むべし』と。亮以為えらく、此れ懸危にして、安んじて坦道に従い、以て平らかに隴右を取り、万全にして必ず克ちて虞無きに如かずと。故に延の計を用いざるなり。延、亮に従いて出づる毎に、輒ち兵万人を請いて亮と道を異にし、潼関に会せんと欲すること、韓信の故事の如し。亮制して許さず。延、常に亮を怯と為し、己が才の用うることの尽くさざるを歎恨するなり」と。〕
現代語訳
そのころ魏は夏侯楙に長安を守らせていた。蜀の将魏延は諸葛亮に兵を求め、褒中から出て秦嶺に沿って東へ行き、子午道から北上して長安を襲おうとしたが、諸葛亮は許さなかった。〔『魏略』に言う。「夏侯楙は安西将軍として長安を守っていた。諸葛亮は南鄭で部下と作戦を話し合った。魏延は言った。『聞けば夏侯楙は曹操の婿で、臆病で謀略もない。いま私に精兵五千と糧食運びの兵五千を貸してくだされば、まっすぐ褒中から出て秦嶺沿いに東へ行き、子午道を北上して、十日もかからず長安に着きます。夏侯楙は私が突然来たと聞けば、必ず船に乗って逃げます。長安には御史と京兆太守しかおらず、横門の倉と逃げた民の穀物で兵を養えます。魏の東の兵が集まるまで二十日ほどかかり、その間に殿が斜谷から来れば十分間に合います。そうすれば一挙に咸陽以西を平定できます』。諸葛亮は、これは危うい賭けで、安全な平坦な道を通って隴右を確実に取り、万全で必ず勝つほうがよいと考え、魏延の計を用いなかった。魏延は諸葛亮に従って出陣するたび、一万の兵を率いて別の道を行き、潼関で合流したいと願い出た。韓信の故事にならったのである。諸葛亮は抑えて許さなかった。魏延はいつも諸葛亮を臆病だと言い、自分の才能が使い切られないのを嘆き恨んだ」。〕
解説

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