長短経 / 禁令
孫子曰、「卒未專親而罰之、則不服、不服則難用。卒已專親而罰不行、則不可用矣。故曰、視卒如嬰兒、故可與之赴深溪、視卒如愛子、故可與之俱死厚而不能使、愛而不能令、亂而不知理、譬若驕子、不可用也。」《經》曰、「兵以賞為表、以罰為裏。」又曰、「令之以文、〔文、惠也。〕齊之以武、〔武、法。〕是謂必取。」故武侯之軍禁有七、〔孫子曰、「無法之懸、無政之令。」《司馬法》曰、「見敵作誓、贍功作賞、此盖圍急之時、不可格以常制。」其敵國理戎、周旋中野、機要綱目、不得不預令矣。〕一曰輕、二曰慢、三曰盜、四曰欺、五曰背、六曰亂、七曰誤、此治軍之禁也。
新字:孫子曰、「卒未専親而罰之、則不服、不服則難用。卒已専親而罰不行、則不可用矣。故曰、視卒如嬰児、故可与之赴深渓、視卒如愛子、故可与之倶死厚而不能使、愛而不能令、乱而不知理、譬若驕子、不可用也。」《経》曰、「兵以賞為表、以罰為裏。」又曰、「令之以文、〔文、恵也。〕斉之以武、〔武、法。〕是謂必取。」故武侯之軍禁有七、〔孫子曰、「無法之懸、無政之令。」《司馬法》曰、「見敵作誓、贍功作賞、此盖囲急之時、不可格以常制。」其敵国理戎、周旋中野、機要綱目、不得不預令矣。〕一曰軽、二曰慢、三曰盗、四曰欺、五曰背、六曰乱、七曰誤、此治軍之禁也。
書き下し
孫子曰く「卒未だ専ら親しまずして之を罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用い難し。卒已に専ら親しみて罰行われざれば、則ち用うべからず。故に曰く、卒を視ること嬰児の如し、故に之と深渓に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて理むることを知らざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり」と。経に曰く「兵は賞を以て表と為し、罰を以て裏と為す」と。又た曰く「之に令するに文を以てし〔文は恵なり〕、之を斉うるに武を以てす〔武は法なり〕。是れ必ず取ると謂う」と。故に武侯の軍禁に七有り。〔孫子曰く「無法の懸、無政の令」と。司馬法に曰く「敵を見て誓いを作し、功を贍て賞を作す」と。此れ蓋し囲急の時、格するに常制を以てすべからず。其の敵国の理戎、中野に周旋するは、機要綱目、予め令せざるを得ず。〕一に曰く軽、二に曰く慢、三に曰く盗、四に曰く欺、五に曰く背、六に曰く乱、七に曰く誤。此れ軍を治むるの禁なり。
現代語訳
孫子は言う。「兵がまだ親しみなついていないうちに罰すれば服従しない。服従しなければ使いにくい。兵がすでに親しみなついているのに罰が行われなければ、使いものにならない。だから、兵を赤子のように見れば、ともに深い谷へ行ける。兵を愛する子のように見れば、ともに死ねる。しかし手厚くするばかりで使えず、愛するばかりで命令できず、乱れても正せなければ、わがままな子と同じで使いものにならない」。兵法書に「軍は賞を表とし、罰を裏とする」とあり、また「恵みで命じ〔文とは恵みのこと〕、法で整える〔武とは法のこと〕。これを必ず勝つという」とある。だから諸葛亮の軍の禁令には七つがある。〔孫子は「定まった法を超えた賞、決まった政令にない命令」と言い、『司馬法』は「敵を見て誓いを立て、功を見て賞を定める」と言う。これは包囲されて差し迫ったときのことで、平常の決まりで縛れない。しかし敵国を攻めて野で戦うときは、要となる規則を前もって命じておかなければならない。〕一は軽、二は慢、三は盗、四は欺、五は背、六は乱、七は誤である。これが軍を治める禁令である。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』明鬼下子墨子言いて曰く、昔の三代の聖王の既に没せしに逮び至りて、天下、義を失い、諸侯、力めて正す。是を以て夫の人の君臣上下と為る者の惠忠ならざる、父子弟兄の慈孝弟長貞良ならざる、正長の聴治に强めざる、賤人の從事に强めざるを存す。民の淫暴・寇盜・賊を為し、兵刃・毒藥・水火を以て、罪無き人を道路率徑に退け、人の車馬衣裘を奪いて以て自ら利する者、並び作こること此より始まる。是を以て天下亂る。此れ其の故は何を以て然るや。則ち皆な鬼神の有ると無きとの别を疑惑し、鬼神の能く賢に賞して暴を罰するに眀らかならざるを以てなり。今、若し天下の人をして借りに鬼神の能く賢に賞して暴を罰するを信ぜしめば、則ち夫れ天下、豈に亂れんや。
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『鬼谷子』符言篇德の術に曰く、堅くして之を拒む勿かれ、と。之を許せば則ち防ぎ守り、之を拒めば則ち閉じ塞がる。高山は之を仰げば極むべく、深淵は之を度れば測るべし。神明の徳術は正靜にして、其れ之を極むる莫し。右は徳を主どる。賞を用うるは信を貴び、刑を用うるは正を貴ぶ。賞賜は信を貴び、必ず耳目の見聞する所に驗す。其の見聞せざる所の者も、闇に化せざる莫し。誠は天下神明に暢び、而るを况んや姦者の君を干すをや。右は賞を主どる。
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呂氏春秋・義賞①春氣至れば則ち草木産し、秋氣至れば則ち草木落つ。産と落とは之を使しむるもの或り。自ら然るに非ざるなり。故に之を使しむる者至れば、物為さざる無く、之を使しむる者至らざれば、物為す可き無し。古の人、其の使しむる所以を審らかにす、故に物、用を為さざる莫し。賞罰の柄、此れ上の使しむる所以なり。其の以て加うる所の者義なれば、則ち忠信親愛の道彰わる。久しく彰われて愈々長ずれば、民の之に安んずること性の若し。此を之れ教成ると謂う。教成れば則ち厚賞嚴威有りと雖も禁ずること能わず。故に善く教うる者は、義以て賞罰して教成り、教成りて賞罰禁ずること能わず。賞罰を用いて當らざるも亦た然り。姦偽賊亂貪戻の道興り、久しく興りて息まざれば、民の之を讎うること性の若し。戎夷胡貉巴越の民は、是を以て厚賞嚴罰有りと雖も、禁ずること能わず。郢人の兩版を以て垣するや、吳起之を變じて惡まる。賞罰易れば民安くんぞ樂しまん。氐羌の民、其れ虜となるや、其の係纍を憂えずして、其の死するに焚かれざるを憂うるは、皆、邪に成り、且つ成りて民を賊う。故に賞罰の加うる所は、慎まざる可からず。
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