長短経 / 覇図
世祖大悦、及從至廣阿、披輿地圖指示禹曰、「天下郡國如是、今始得其一。子前言以吾慮之、天下不足定、何也?」禹曰、「今海内散亂、人思明君、猶赤子之慕慈母也。古之興者、在徳厚薄、不以小大。」世祖笑悦、又馮異説世祖曰、「人思漢久矣。今更始諸将、縱横暴虐、所至虜掠、百姓失望、無所依戴、今公専命方面、施行恩徳。夫有桀紂之亂、乃見湯武之功。人久飢渴、易為充飽、宜急分遣官屬、廵行郡縣理寃結布惠澤。」世祖納之也。〕
新字:世祖大悦、及従至広阿、披輿地図指示禹曰、「天下郡国如是、今始得其一。子前言以吾慮之、天下不足定、何也?」禹曰、「今海内散乱、人思明君、猶赤子之慕慈母也。古之興者、在徳厚薄、不以小大。」世祖笑悦、又馮異説世祖曰、「人思漢久矣。今更始諸将、縦横暴虐、所至虜掠、百姓失望、無所依戴、今公専命方面、施行恩徳。夫有桀紂之乱、乃見湯武之功。人久飢渇、易為充飽、宜急分遣官属、廵行郡県理冤結布恵沢。」世祖納之也。〕
書き下し
世祖大いに悦ぶ。広阿に従い至るに及び、輿地図を披きて禹に指示して曰く「天下の郡国は是くの如し。今、始めて其の一を得たり。子、前に言えらく、吾を以て之を慮らば、天下定むるに足らずと。何ぞや」と。禹曰く「今、海内散乱し、人、明君を思うこと、猶お赤子の慈母を慕うがごときなり。古の興る者は、徳の厚薄に在り、小大を以てせず」と。世祖、笑い悦ぶ。又た馮異、世祖に説きて曰く「人、漢を思うこと久し。今、更始の諸将、縦横暴虐にして、至る所虜掠す。百姓失望し、依戴する所無し。今、公、方面を専命す。恩徳を施行せよ。夫れ桀紂の乱有りて、乃ち湯武の功を見る。人、久しく飢渇すれば、充飽を為し易し。宜しく急ぎ官属を分遣し、郡県を巡行し、冤結を理め、恵沢を布くべし」と。世祖、之を納るるなり。〉
現代語訳
世祖は大いに喜んだ。広阿まで従って来たとき、地図を広げて鄧禹に指し示して言った。「天下の郡国はこれだけある。いまようやくその一つを得たところだ。あなたは先に、私が考えれば天下は定めるに足りないと言った。どういうことか」。鄧禹は言った。「いま天下は散り乱れ、人が明君を思う気持ちは、赤子が慈母を慕うようなものです。昔の興った者は、徳の厚薄によるのであって、領地の大小によるのではありません」。世祖は笑って喜んだ。また馮異が世祖に説いた。「人が漢を思って久しい。いま更始の諸将は縦横に暴虐で、行く先々で略奪しています。民は失望し、頼る先がない。いま公は一方面を任されている。恩徳を施しなさい。桀や紂の乱があってこそ、湯王や武王の功が現れる。人は長く飢え渇いていれば、満たすのは易しい。急いで役人を分けて派遣し、郡県を巡り、冤罪を解き、恵みを広めるべきです」。世祖はこれを受け入れた。〉
解説

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『慎思録』巻之二造化の人に於けるや、富貴爵禄を靳しまずして、独り徳を靳しむ。此れ造化靳惜に心有るに非ず、自然にして然り。故に富貴なる者は、古今常に多く、賢哲なる者は、古今常に少なし。蓋し徳は是れ天地神秀の気、純粋精美の理にして、鍾会して人身に附与する者なり。夫れ陰陽の気は、霄壌の間に充塞すと雖も、然れども清明粋美なる者は少なし。故に人の生まるる、其の清粋の気を禀受する者甚だ寡し。亦た宜ならずや。此れ君子の常に寡く、小人の常に衆き所以なり。天の命を降すや、人をして徳有りて道を知らしむる者は、是れ天の独り君子を寵異する所にして、富貴爵禄の其の生を厚くする者に百倍す。此れ君子の以て至楽と為して、富貴爵禄を願はざる所以なり。然らば則ち学者は当に貧賤不遇を憂へずして、特に学の講ぜざる、徳の修まらざるを憂ふべきのみ。
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呂氏春秋・精通③德なる者は、萬民の宰なり。月なる者は、群陰の本なり。月望なれば則ち蚌蛤實ち、群陰盈つ。月晦なれば則ち蚌蛤虚しく、群陰虧く。夫れ月、天に形われて、群陰、淵に化す。聖人、德を己に行いて、四方咸仁に飭し。
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『山鹿語類』士道・勵忠孝出て君に仕ふるに徳を不以、入て父兄に仕へて其孝弟に誠あらざらんには、養気存心の用更にあらはれず。抑徳と云は、内に養ひ存する処を、外に用ひて其誠を尽して無不究理、是をなづけて徳とす。養気存心すと云とも、君父にをいて其誠たらずんば、何ぞ其下に及ばん。然れば所養所存、唯空談にして実なし。凡そ聖人の道は普く天下に施し、大小精粗ともに其用足りて、四海其化に及ぶにをいて、初めて道々たり。わづかに一己にてらし一身を清くせんことは、碌々たる小人、言必信じ行必果すの輩也。されば君父につかへ、其可致のつとめ聊不怠して、しかも其理にかなひ、四海安寧に、家内無事にして、常に変に更に滞る処なきときは、天地の覆て無外、のせて無棄にことならず。是大徳に非ずや。故に徳を練る事は、先づ忠孝を励まして其誠を尽し、君父に事る間、天性にしたがひ守て、更に不違を以て本とすべきなり。
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『翁問答』上卷之末体充曰、儒門の心学をきはめずして、軍法に達し軍法をたてゝ、その名たかき大将、倭漢ともに古来多く候へば、心学のみがきなくても、軍法のまなびはなり申べく候、しかるにまづ儒門の心学をきはめてのちに軍法をまなびたるがよしと仰せられ候は不審に存候。師の曰、よきうたがひにて候、大将の才を逞じく生れたる人は、心学のみがきなくても、軍法に達し軍功をば立るといへども、その徳なきゆへに才のたくまじきに迷ひ、必ず人を殺す事を好み、不義無道のふるまひあれば、万民その毒にあたりなげき悲むによつて、終には天罰をかうぶり、其身もほろび国も必ず絶滅するものなり、その証拠はもろこしにても我朝にても、其徳なくて才のみ逞しき大将に、其身難なく子孫繁昌したる人まれなり倭漢の史書にて考へ見るべし、
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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論衡・『論衡』非韓篇第二十九・徳と力の両方を養う国を治むるの道、養う所二つ有り。一に曰く徳を養う、二に曰く力を養う。徳を養う者は、名の高き人を養い、以て能く賢を敬うを示す。力を養う者は、気力の士を養い、以て能く兵を用うるを明らかにす。此れ所謂文武張り設けられ、徳力具足する者なり。事は或いは徳を以て懐くべく、或いは力を以て摧くべし。外は徳を以て自ら立ち、内は力を以て自ら備う。徳を慕う者は戦わずして服し、徳を犯す者は兵を畏れて却く。徐の偃王は仁義を修行し、陸地に朝する者三十二国、強楚聞きて、兵を挙げて之を滅ぼす。此れ徳の守り有りて、力の備え無き者なり。夫れ徳は独り任じて以て国を治むべからず、力は直ちに任じて以て敵を御すべからざるなり。韓子の術は徳を養わず、偃王の操は力を任ぜず。二者偏駁にして、各おの足らざる有り。