長短経 / 君徳
世宗承基、太祖繼業、𤣥、豐亂内、欽、誕冦外、潛謀雖宻、而在機必兆、淮、浦再擾、而許、洛不震、咸黜異圖、用光前烈。然後推轂鍾、鄧、長駈庸蜀。三闗電掃、劉禪入臣。天符人事、於是信矣。始當非常之禮、終受備物之錫。至于世祖、遂享皇極、仁以厚下、儉以節用、和而不弛、寛而能斷。故人詠維新、四海恱勸矣。汎舟三峽、介馬桂陽、役不二時、江湘來同。夷吳、蜀之壘垣、通二方之險塞。太康之中、天下書同文、車同軌。雖太平未洽、亦足以明。吏奉其法、人樂其生、百代之一時也。
新字:世宗承基、太祖継業、玄、豊乱内、欽、誕寇外、潜謀雖密、而在機必兆、淮、浦再擾、而許、洛不震、咸黜異図、用光前烈。然後推轂鍾、鄧、長駈庸蜀。三関電掃、劉禅入臣。天符人事、於是信矣。始当非常之礼、終受備物之錫。至于世祖、遂享皇極、仁以厚下、倹以節用、和而不弛、寛而能断。故人詠維新、四海恱勧矣。汎舟三峡、介馬桂陽、役不二時、江湘来同。夷呉、蜀之塁垣、通二方之険塞。太康之中、天下書同文、車同軌。雖太平未洽、亦足以明。吏奉其法、人楽其生、百代之一時也。
書き下し
世宗基を承け、太祖業を継ぐ。玄・豊、内を乱し、欽・誕、外を寇す。潜謀は密なりと雖も、機に在れば必ず兆す。淮・浦再び擾るるも、許・洛は震わず。咸な異図を黜けて、用て前烈を光らす。然る後に鍾・鄧を推轂し、庸蜀に長駆す。三関電掃し、劉禅入りて臣たり。天符人事、是に於て信なり。始めは非常の礼に当たり、終わりには備物の錫を受く。世祖に至りて、遂に皇極を享く。仁以て下を厚くし、倹以て用を節す。和して弛まず、寛にして能く断ず。故に人は維新を詠い、四海は悦勧す。舟を三峡に汎べ、馬を桂陽に介し、役は二時ならずして、江湘来たり同ず。呉・蜀の塁垣を夷らげ、二方の険塞を通ず。太康の中、天下は書を同じくし車を同じくす。太平未だ洽からずと雖も、亦た以て明らかとするに足る。吏は其の法を奉じ、人は其の生を楽しむ。百代の一時なり。
現代語訳
世宗(司馬師)が基を受け継ぎ、太祖(司馬昭)が事業を継いだ。夏侯玄と李豊が内を乱し、文欽と諸葛誕が外から攻めた。ひそかな謀は綿密であっても、機に触れれば必ず兆しが現れる。淮水のほとりが二度騒いでも、許都と洛陽は動じなかった。すべて異心の企てを退けて、先代の功業を輝かせた。そののち鍾会と鄧艾を送り出し、蜀へ長駆した。三つの関を電光のように掃き、劉禅は降って臣となった。天のしるしと人の事が、ここで一致した。初めは異例の礼を受け、最後には備物の賜りを受けた。世祖(司馬炎)に至って、ついに皇帝の位を享けた。仁によって下を厚くし、倹によって費用を節した。和やかでありながら緩まず、寛やかでありながら決断できた。だから人々は新しい世を詠い、四海は喜び励んだ。舟を三峡に浮かべ、馬を桂陽に進め、戦役は二季節を越えずに、長江・湘水の地が服属した。呉と蜀の防壁を平らげ、二方面の険しい関所を通じさせた。太康年間には、天下は文字を同じくし車の軌を同じくした。太平はまだ行き渡らなかったが、明らかだったと言うには足りる。役人は法を奉じ、民は生を楽しんだ。百代に一度の時代であった。
解説

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