長短経 / 七雄略
論曰、周有天下八百餘年、後代衰微、而諸侯縱横矣。至末孫王赧降為庶人、猶䏻枝葉相持、名為天下共主。當是時也、楚人問鼎、晉侯請隧、雖欲闞周室、而見阨諸姬。夫豈無姦雄、頼諸侯以維持之也。故語曰、「百足之蟲、至死不僵。扶之者衆。」此之謂乎!
新字:論曰、周有天下八百余年、後代衰微、而諸侯縦横矣。至末孫王赧降為庶人、猶䏻枝葉相持、名為天下共主。当是時也、楚人問鼎、晋侯請隧、雖欲闞周室、而見阨諸姫。夫豈無姦雄、頼諸侯以維持之也。故語曰、「百足之虫、至死不僵。扶之者衆。」此之謂乎!
書き下し
論に曰く、周は天下を有つこと八百余年、後代衰微して、諸侯縦横す。末孫の王赧、降りて庶人と為るに至るも、猶お能く枝葉相持し、名づけて天下の共主と為す。是の時に当たりてや、楚人は鼎を問い、晋侯は隧を請う。周室を闞わんと欲すと雖も、諸姫に阨まる。夫れ豈に姦雄無からんや。諸侯の之を維持するに頼るなり。故に語に曰く「百足の虫は、死に至るまで僵れず。之を扶くる者衆ければなり」と。此の謂いか。
現代語訳
論じて言う。周は天下を八百年余り保ったが、後の代には衰え、諸侯が縦横に動いた。最後の王赧が庶民に落ちるに至っても、なお枝葉が互いに支え合い、名目上は天下の共通の主であった。その頃、楚は鼎の重さを問い、晋侯は天子の葬礼を求めた。周の王室をうかがおうとしても、姫姓の諸侯に阻まれた。どうして奸雄がいなかったことがあろう。諸侯が支えてくれたおかげである。だから「百足の虫は死ぬまで倒れない。支える足が多いからだ」という言葉がある。このことを言うのだろう。
解説
趙蕤は篇の締めくくりで、周がなぜ八百年も続いたかをムカデにたとえます。足が百本あれば、何本か弱っても倒れない。周の王室は力を失っても、同族の諸侯が周りにいて、王を奪おうとする者を阻んだ。力の強さではなく、支える者の数が寿命を決めたのです。一人の強さに頼る組織は、その一人が倒れれば終わります。支え手を多く持つことは、平時には非効率に見えても、長く続くための条件です。
この章句が説くこと
七雄略周存続支え手封建趙蕤
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