長短経 / 臣行
或曰、“長平之事、白起坑趙卒四十萬、可為奇將乎?”何晏曰、“白起之降趙卒、詐而坑其四十萬、豈徒酷之謂乎?後亦難以重得志矣!向使衆人豫知降之必死、則張虛弮猶可畏也。况於四十萬被堅執銳哉?天下見降秦之將、頭顱依山、歸秦之衆、骸積成丘、則後日之戰、死當死耳、何衆肯服、何城肯下乎?
新字:或曰、“長平之事、白起坑趙卒四十万、可為奇将乎?”何晏曰、“白起之降趙卒、詐而坑其四十万、豈徒酷之謂乎?後亦難以重得志矣!向使衆人予知降之必死、則張虚弮猶可畏也。況於四十万被堅執鋭哉?天下見降秦之将、頭顱依山、帰秦之衆、骸積成丘、則後日之戦、死当死耳、何衆肯服、何城肯下乎?
書き下し
或るひと曰く「長平の事、白起は趙卒四十万を坑にす。奇将と為す可きか」と。何晏曰く「白起の趙卒を降し、詐りて其の四十万を坑にするは、豈に徒だ酷の謂いならんや。後も亦た以て重ねて志を得難し。向し衆人をして予め降るの必ず死するを知らしめば、則ち虚弮を張るすら猶お畏る可きなり。況んや四十万の堅を被り鋭を執るに於てをや。天下、秦に降るの将、頭顱山に依り、秦に帰するの衆、骸積みて丘を成すを見れば、則ち後日の戦い、死するは当に死すべきのみ。何の衆か肯えて服し、何の城か肯えて下らんや。
現代語訳
ある人が言った。「長平の戦いで、白起は趙の兵四十万を生き埋めにした。奇才の将と言えますか」。何晏は言った。「白起が趙の兵を降伏させ、偽って四十万を生き埋めにしたのは、ただ残酷というだけのことだろうか。その後もまた志を遂げにくくなった。もし人々にあらかじめ、降伏すれば必ず死ぬと知らせておいたなら、空の弓を張るだけでも恐ろしい。まして四十万が堅い甲を着て鋭い武器を持っていたのならなおさらだ。天下の人々が、秦に降った将の首が山のように積まれ、秦に帰服した者の骸が丘をなすのを見れば、その後の戦いでは、死ぬときは死ぬだけだと思うだろう。どの軍勢が進んで服従し、どの城が進んで降るだろうか。
解説
白起の坑殺を、残酷さではなく採算で批判した論です。降伏すれば殺されると知れ渡れば、以後どの城も降らなくなる。降伏という選択肢を敵から奪ってしまえば、すべての戦いが死闘になります。一度の徹底が、その後のすべてを高くつかせる。取引相手を一度だけ叩きのめすことの本当のコストを、これ以上なく明快に説明した一段です。
この章句が説くこと
臣行白起長平坑殺降伏何晏
関連する章句
-
『長短経』臣行是れを、能く四十万の命を裁すと雖も、而も適ま以て天下の戦いを強くするに足ると為す。一朝の功を要めんと欲して、乃ち更に諸侯の守りを堅くす。故に兵進みて自ら其の勢いを伐ち、軍勝ちて還って其の計を喪う。何となれば、設し趙の衆をして復た合せしめ、馬服をして更に生かしめば、則ち後日の戦いは必ず前日の対に非ざらん。況んや今、皆な天下をして後日と為さしむるをや。其の終に復た兵を邯鄲に加うるを聴さざる所以は、但だ平原の補縫を憂え、諸侯の救いの至るを患うるのみに非ず。徒だ之を諱みて言わざるのみ。但だ長平の事、秦人は十五以上、皆な戟を荷いて趙に向かえり。夫れ秦の強きを以てして、十五已上、死傷半ばを過ぐ。此れ趙を破るの功は小にして、秦を傷つくるの敗は大なりと為す。又た何ぞ奇と称せんや」と。
-
『長短経』七雄略〔武安君、趙の長平の軍を破り、其の卒四十余万を降し、皆之を坑にす。進みて邯鄲を囲むも、軍糧属かず。乃ち衛先生を遣わして秦の昭王に言わしめて曰く「趙国は右に常山の険を倍にし、左に河漳の阻を帯び、代馬車騎の利有り。民人気勇にして、好んで兵戦を習い、常に諸侯を会して一たび約して之が縦長と為る。秦弱からざれば則ち六国必ず滅ぶことを明らかにす。秦の未だ志を天下に得ざる所以の者は、趙之が患いを為せばなり。今、大王の霊に頼りて、趙軍長平に破れ、其の信臣鋭卒、畢く死せざるは莫し。邯鄲空虚にして、百郡震怖し、士民咸な其の主を怨む。誠に此の時を以て転輸を遣わし、軍糧を給足せば、趙を滅ぼすこと必せり。趙を滅ぼして以て諸侯を威さば、天下定むべくして、王業成らん」と。秦王之を許さんと欲す。応侯、其の功を妬みて成さしむるを欲せず、秦王に言いて曰く「秦は趙軍を破ると雖も、士卒の死傷も亦た衆く、百姓は遠輸に疲れ、国内空虚なり。楚・魏、虚に乗じて変を為さば、将に以て自ら守ること無からんとす。宜しく且く兵を罷むべし」と。王之に従う。
-
史記 白起王翦列伝白起は、郿の人なり。善く兵を用ひ、秦の昭王に事ふ。四十七年、秦王齕をして韓を攻め、上党を取らしむ。趙長平に軍す。秦人詐りて武安君白起をして将たらしむ。白起、趙括を大破し、趙の降卒四十余万を坑殺す。四十八年、韓趙恐れ、蘇代をして幣を厚くして秦の相応侯に説かしめて曰く、「武安君の秦の為に戦勝攻取する所の者七十余城、周・召・呂望の功と雖も此に益さざるなり。今趙亡び秦王王たらば、則ち武安君必ず三公と為らん、君能く之が下と為らんや。因りて之を割かしめ、以て武安君の功と為す無きに如かず」と。是に於いて応侯秦王に言ひ、韓趙の地を割きて以て和するを許さんことを請ふ。武安君之を聞き、是に由りて応侯と隙有り。
-
『長短経』七雄略後三年、復た白起を将として趙を伐たんと欲するも、起肯んぜず。王乃ち応侯をして之を責めしめて曰く「楚は地方五千里、戟を持つもの百万。君、前に数万の衆を率いて楚に入り、鄢郢を抜き、其の郊廟を焚く。楚人震恐し、東に徙りて敢えて西に向かわず。韓・魏相率いて兵を興すこと甚だ衆きも、君の将いる所は半ばにも能わず、而して之を伊闕に破り、流血、櫓を漂わす。韓・魏已に服し、今に至るまで東藩と称す。此れ君の功にして、天下聞かざるは莫し。今、趙卒の長平に死する者、已に十に七八。是を以て寡君、君をして将たらしめ、必ず之を滅ぼさんと欲す。君は常に寡を以て衆を撃ち、勝を取ること神の如し。況んや強を以て弱を撃ち、衆を以て寡を撃つをや」と。
-
『長短経』臣行〔議に曰く、黄石公称す「柔なる者は能く剛を制し、弱なる者は能く強を制す。柔なる者は徳なり、剛なる者は賊なり。柔なる者は人の助くる所、剛なる者は怨みの居る所なり」と。是の故に、紂の百たび克ちて卒に後無く、項羽の兵強くして終に天下を失う。故に隨何曰く「楚をして勝たしめば、則ち諸侯自ら危懼して相い救う。夫れ楚の強きは、適ま以て天下の兵を致すに足るのみ」と。是に由りて之を観れば、若し天下已に定まらば、一戦の勝ちに藉りて、之を詐るも可なり。若し海内紛紛として、雌雄未だ決せずして信義を天下に失わば、敗亡の道なり。七国の時に当たり、諸侯尚お強し。而るに白起は乃ち趙の降卒を坑にす。諸侯をして之を畏れて合縦せしむ。諸侯の合縦は、秦の利に非ず。戦い勝ちて反って敗ると為す。何晏の論は当たれり。〕
-
史記 白起王翦列伝其の九月、秦復た兵を発し、趙の邯鄲を攻むるも、抜く能はず。武安君病みて行くに任へず。秦王王齕をして邯鄲を囲ましむるも、抜く能はず。楚魏趙を救ひ、秦軍多く失亡す。武安君言ひて曰く、「秦臣の計を聴かず、今如何」と。秦王之を聞きて怒り、彊ひて武安君を起たしむるも、武安君遂に病篤しと称す。武安君を免じて士伍と為し、之を陰密に遷す。秦の昭王、応侯群臣と議して曰く、「白起の遷さるるや、其の意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をして之に剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君剣を引きて将に自剄せんとして曰く、「我何の罪ありて天に至れば此に至るか」と。良や久しくして曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦、趙卒降る者数十万人、我詐りて尽く之を坑にせり、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。死して其の罪に非ず、秦人之を憐み、郷邑皆焉に祭祀す。