長短経 / 君徳
或問傅子曰、「漢太宗除肉刑、可謂仁乎?」對曰、「匹夫之仁也。夫王天下者、大有濟者也、非小不忍之謂。由此言之、班固以太宗為仁、不在除肉刑矣。』《景帝贊》曰、『孔子稱、「斯人也、三代之所以直道而行。」信哉!周秦之弊網宻文峻、而奸宄不勝。漢興、掃除煩、苛與人休息。至于孝文、加之以恭儉。孝景遵業、五六十載之間、至于移風易俗、黎人醇厚。周云成康、漢言文景、美矣哉!』此王道也。」〕
新字:或問傅子曰、「漢太宗除肉刑、可謂仁乎?」対曰、「匹夫之仁也。夫王天下者、大有済者也、非小不忍之謂。由此言之、班固以太宗為仁、不在除肉刑矣。』《景帝賛》曰、『孔子称、「斯人也、三代之所以直道而行。」信哉!周秦之弊網密文峻、而奸宄不勝。漢興、掃除煩、苛与人休息。至于孝文、加之以恭倹。孝景遵業、五六十載之間、至于移風易俗、黎人醇厚。周云成康、漢言文景、美矣哉!』此王道也。」〕
書き下し
或るひと傅子に問いて曰く「漢の太宗、肉刑を除く。仁と謂う可きか」と。対えて曰く「匹夫の仁なり。夫れ天下に王たる者は、大いに済す有る者なり。小忍びざるの謂いに非ず」と。此に由りて之を言えば、班固の太宗を以て仁と為すは、肉刑を除くに在らず。景帝の賛に曰く「孔子称す『斯の人や、三代の直道にして行う所以なり』と。信なるかな。周秦の弊は、網密に文峻にして、奸宄勝えず。漢興りて、煩苛を掃除し、人と休息す。孝文に至りて、之に加うるに恭倹を以てす。孝景、業を遵う。五六十載の間、風を移し俗を易うるに至り、黎人醇厚なり。周は成康と云い、漢は文景と言う。美なるかな」と。此れ王道なり。〕
現代語訳
ある人が傅子に尋ねた。「漢の太宗(文帝)が肉刑を廃止したのは、仁と言えますか」。答えて言った。「匹夫の仁である。天下に王たる者は、大きく人を救う者である。小さなことに忍びないという意味ではない」。ここから言えば、班固が文帝を仁としたのは、肉刑を廃したからではない。景帝の賛にこうある。「孔子は『この民こそ、夏殷周の三代がまっすぐな道を行えた理由である』と言った。まことにそのとおりだ。周と秦の弊害は、法網が細かく条文が厳しく、それでも悪事が絶えなかったことである。漢が興って、煩雑で苛酷なものを掃き除き、民とともに休息した。文帝に至って、これに恭倹を加えた。景帝はその事業を受け継いだ。五六十年の間に、風俗を変えるまでに至り、民は素朴で厚くなった。周では成王・康王、漢では文帝・景帝という。美しいことだ」。これが王道である。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。