長短経 / 三国権
至晋末、譙縱復竊蜀。宋劉裕使朱齡石伐蜀、聲言從内水取成都、敗衣羸老進水口。譙縱果疑其内水上也〔議曰、内水、涪江也。、〕悉軍新城以待之。乃配朱齡石等精鋭、逕從外水〔議曰、外水、泜江也。若中今雒縣水是也。、〕直至成都、不戰而禽縱〔事具覇紀上。〕此滅蜀形也。
新字:至晋末、譙縦復窃蜀。宋劉裕使朱齢石伐蜀、声言従内水取成都、敗衣羸老進水口。譙縦果疑其内水上也〔議曰、内水、涪江也。、〕悉軍新城以待之。乃配朱齢石等精鋭、逕従外水〔議曰、外水、泜江也。若中今雒県水是也。、〕直至成都、不戦而禽縦〔事具覇紀上。〕此滅蜀形也。
書き下し
晋の末に至り、譙縦復た蜀を竊む。宋の劉裕、朱齢石をして蜀を伐たしめ、声して内水より成都を取らんと言い、敗衣羸老をして水口に進ましむ。譙縦果たして其の内水より上らんことを疑い〔議に曰く、内水は涪江なり〕、悉く軍を新城にして以て之を待つ。乃ち朱齢石等に精鋭を配し、逕ちに外水より〔議に曰く、外水は泜江なり。今の雒県の水の若き是れなり〕直ちに成都に至り、戦わずして縦を禽にす〔事は覇紀の上に具わる〕。此れ蜀を滅ぼすの形なり。
現代語訳
晋の末になると、譙縦がまた蜀を盗み取った。宋の劉裕は朱齢石に蜀を伐たせ、内水から成都を取ると言いふらし、ぼろを着た老いた弱兵を内水の入口に進ませた。譙縦は果たして内水から上ってくると思い〔論じて言う。内水は涪江である〕、全軍を新城に置いて待ち構えた。そこで朱齢石らに精鋭を配し、まっすぐ外水から〔論じて言う。外水は岷江である。今の雒県の川がそれにあたる〕成都に至り、戦わずに譙縦を捕らえた〔このことは覇紀の上に詳しい〕。これが蜀を滅ぼす形勢である。
解説
劉裕は、攻める道を声高に宣伝し、その道に弱々しい兵を見せておきました。譙縦は宣伝と見せかけの両方を信じて、全軍をそちらに集めた。本隊の精鋭は別の川をさかのぼり、空っぽの成都に入った。蜀の地形は守る側に有利ですが、入口が複数あるなら、どこを守るかの判断を誤らせればよい。趙蕤はこれを蜀を滅ぼす形と締めます。要害の国は、情報で守りの位置をずらされたときに崩れるのです。
この章句が説くこと
三国権劉裕朱齢石陽動情報戦蜀
関連する章句
-
孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
-
孫子・火攻篇夫れ戦い勝ち攻め取りて、その功を修めざる者は凶なり。命づけて費留と曰う。
-
孫子・始計篇能くしてこれを不能と示し、用いてこれを不用と示し、近くしてこれを遠しと示し、遠くしてこれを近しと示す。
-
孫子・用間篇故に三軍の事は、間より親きは無く、賞は間より厚きは無く、事は間より密なるは無し。
-
孫子・行軍篇凡そ軍は高きを好みて下きを悪み、陽を貴びて陰を賤しみ、生を養いて実に処る。軍に百疾無し、是を必勝と謂う。
-
史記 田単列伝田単は、斉の諸田の疏属なり。燕樂毅をして斉を伐ち破らしめ、斉城皆下り、唯だ独り莒・即墨のみ下らず。田単即墨を以て燕を拒ぐ。頃之、燕の昭王卒し、恵王立ち、樂毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて宣言して曰く、「斉王已に死し、城の抜けざる者二のみ。樂毅誅を畏れて敢て帰らず、斉を伐つを以て名と為すも、実は兵を連ねて南面して斉に王たらんと欲す。斉人未だ附かず、故に且く即墨を攻むるを緩くして以て其の事を待つ」と。燕王以て然りと為し、騎劫をして樂毅に代へしむ。田単又宣言して曰く、「吾燕人の吾が城外の冢墓を掘り、先人を僇するを懼る」と。燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨人城上より望見し、皆涕泣し、俱に出でて戦はんと欲し、怒り自ら十倍す。