長短経 / 勢略
又、太祖征吕布、至下邳。布敗、固守城、攻不拔、太祖欲還、荀攸曰、“吕布、勇而無謀。今三軍皆北、其鋭氣衰。三軍以將為主、主衰則軍無奮意。夫陳宫有智而遲、今及布氣之未復、宫謀之未定、進急攻之、布可拔也。”乃引沂泗灌城、城潰、生擒布。以此觀之、當是時、雖諸葛之智、陳宫之謀、吕布之勇、關張之勁、無所用矣。此謂“勇怯、勢也。强弱、形也。”
新字:又、太祖征呂布、至下邳。布敗、固守城、攻不抜、太祖欲還、荀攸曰、“呂布、勇而無謀。今三軍皆北、其鋭気衰。三軍以将為主、主衰則軍無奮意。夫陳宮有智而遅、今及布気之未復、宮謀之未定、進急攻之、布可抜也。”乃引沂泗灌城、城潰、生擒布。以此観之、当是時、雖諸葛之智、陳宮之謀、呂布之勇、関張之勁、無所用矣。此謂“勇怯、勢也。強弱、形也。”
書き下し
又た、太祖呂布を征して、下邳に至る。布敗れて、固く城を守る。攻むるも抜けず。太祖還らんと欲す。荀攸曰く「呂布は、勇にして謀無し。今、三軍皆北げ、其の鋭気衰う。三軍は将を以て主と為す。主衰うれば則ち軍に奮意無し。夫れ陳宮は智有りて遅し。今、布の気の未だ復せず、宮の謀の未だ定まらざるに及びて、進みて急に之を攻めば、布抜くべきなり」と。乃ち沂・泗を引きて城に灌ぐ。城潰え、布を生擒にす。此を以て之を観れば、是の時に当たりては、諸葛の智、陳宮の謀、呂布の勇、関・張の勁と雖も、用うる所無し。此れ「勇怯は勢いなり、強弱は形なり」と謂う。
現代語訳
また曹操は呂布を征伐して下邳に至った。呂布は敗れて城を固く守り、攻めても落ちなかった。曹操は引き返そうとした。荀攸は言った。「呂布は勇ましいが謀がありません。いま呂布の全軍は敗れて、その鋭い気は衰えています。全軍は将を主とします。主が衰えれば軍に奮い立つ気はありません。陳宮は知恵があっても決断が遅い。いま呂布の気力が戻らず、陳宮の謀が定まらないうちに進んで急いで攻めれば、呂布は落とせます」。そこで沂水と泗水を引いて城に注ぎ、城は崩れて呂布を生け捕りにした。これで見れば、そういう時には、諸葛亮の知恵、陳宮の謀、呂布の勇、関羽・張飛の強さがあっても、どれも役に立たない。これを「勇怯は勢いであり、強弱は形である」という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権太祖、呂布を下邳に攻めて抜けず、還らんと欲す。荀攸曰く「布は勇にして謀無し。今、三軍皆其の鋭気衰う。三軍は将を以て主と為す。主衰うれば則ち軍に奮意無し。陳宮は智有りて遅し。今、布の気の未だ復せず、宮の謀の未だ定まらざるに及びて、進みて急に之を攻めば、布抜くべきなり」と。乃ち沂・泗を決して城に灌ぐ。城潰え、布を生禽す。袁紹の将文醜、太祖と戦う。荀攸、太祖に勧めて輜重を以て賊に餌せしむ。賊遂に奔りて之を競い、陣乱る。文醜を斬る。
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『長短経』勢略孫子曰く「勇怯は、勢いなり。強弱は、形なり」と。又た曰く「水の弱きも、石を漂わすに至る者は、勢いなり」と。何を以て之を明らかにせん。昔、曹公張魯を征し、漢中を定む。劉曄説きて曰く「明公は歩卒五千を以て、董卓を討誅し、北のかた袁紹を破り、南のかた劉表を征す。九州百郡、十に其の八を并せ、威は天下に震い、勢いは海外を懾れしむ。今、漢中を挙ぐ。蜀人は風を望み、胆を破り守りを失わん。此を推して前まば、蜀は檄を伝えて定むべきなり。劉備は人傑なり。智有りて遅く、蜀を得ること日浅く、蜀人未だ附かず。今、漢中を破り、蜀人震恐し、其の勢い自ら傾く。公の神明を以て、其の傾くに因りて之を圧せば〔烏甲の反〕、剋たざる無きなり。若し小しく之を緩めば、諸葛亮は理に明らかにして相と為り、関羽・張飛は勇三軍に冠たりて将と為り、蜀人既に定まり、険に拠り要を守らば、則ち犯すべからざるなり。今取らずんば、必ず後憂と為らん」と。曹公従わず。居ること七日、蜀の降る者説く「蜀中一日に数十たび驚き、備之を斬るも禁ずること能わざるなり」と。曹公延きて曄に問いて曰く「今尚お撃つべきや否や」と。曄曰く「今已に小しく定まる。未だ撃つべからざるなり」と。
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『長短経』勢略故に兵に三勢有り〔夫れ兵に三勢有り。一に曰く気勢、二に曰く地勢、三に曰く因勢。若し将勇にして敵を軽んじ、士卒戦いを楽しみ、三軍の衆、志は青雲を励まし、気は飄風に等しく、声は雷霆の如し。此れ所謂気勢なり。若し関山狭路、大阜深澗、龍蛇蟠磴、羊腸狗門、一夫険を守れば、千人も過ぎず。此れ所謂地勢なり。若し敵の怠慢・労役・飢渇・風波・驚擾に因り、将吏縦横し、前営未だ舎せず、後営夾みて渉る。所謂因勢なる者なり〕。善く戦う者は、恒に之を勢いに求む。勢いの来たるや、食其は頬を緩めて、斉の七十余城を下し、謝石は淝を渡りて、秦の百万の衆を摧く。勢いの去るや、項羽は山を抜くの力有りて、空しく虞姫に泣き、田横は海を負うの強有りて、終然として頸を刎ぬ。
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『長短経』格形初め、関侯楚の襄陽を囲む。曹操は漢帝の許に在りて、賊に近きを以て、都を徙さんと欲す。司馬宣王及び蒋済、曹操に説きて曰く「劉備・孫権は、外は親しく内は疎し。関侯の志を得るは、権必ず願わざるなり。人を遣わして其の後ろを躡まんことを勧め、江南を割きて以て権を封ずるを許さば、則ち楚の囲み自ら解けん」と。曹操之に従い、侯遂に擒にせらる。此れ其の愛する所を攻むれば、則ち動くを言うなり。是を以て善く戦う者は、智名無く、勇功無し。白刃の前に争わず、已に失いたるの後に備えず。此の謂いなり。
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『長短経』蛇勢曹公、張繡を征す。荀攸曰く「繡は劉表と相恃みて強と為す。然れども繡は遊軍を以て食を表に仰ぎ、表は供すること能わざるなり。其の勢い必ず離れん。軍を緩めて以て之を待つに如かず。誘いて致すべきなり。若し之を急にすれば、則ち必ず相救わん」と。曹操従わず、進みて穣に至り、繡と戦う。表果たして之を救い、軍利あらず。
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『長短経』利害〔孫子曰く「兵甚だ陥れば則ち懼れず、已むを得ざれば則ち闘う。是の故に、其の兵は修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信ず。之を往く無きに投ずれば、諸将の勇なり」と。此の謂いなり。〕魏の太祖、張繡を征す。一朝軍を引きて退く。繡自ら之を追わんとす。賈詡曰く「追うべからざるなり」と。繡従わず、果たして敗れて還る。詡、繡に謂いて曰く「促やかに更に之を追え。戦えば必ず勝たん」と。繡、散卒を収め、赴きて太祖を追い、戦いて果たして勝つ。還りて、詡に問いて曰く「繡は精兵を以て退軍を追い、而して公は必ず敗れんと曰う。退くに敗卒を以て勝兵を撃ち、而して公は必ず克たんと曰う。皆公の言の如し。何ぞ其れ反して皆験あるや」と。詡曰く「此れ知り易きのみ。軍勢百途、事一ならざるなり。将軍は善く兵を用うと雖も、曹公の敵に非ざるなり。魏の軍新たに退けば、曹公必ず自ら其の後ろを断つ。追兵精しと雖も、将既に敵せず、彼の士も亦た鋭し。故に必ず敗るるを知る。曹公の将軍を攻むるに失策無し。力未だ尽きずして還るは、必ず国内に故有ればなり。既に将軍を破らば、必ず軽軍にして速やかに進み、諸将を留めて後ろを断たしめん。諸将勇なりと雖も、亦た将軍の敵に非ざるなり。故に敗兵を用うと雖も勝つなり」と。繡乃ち其の能に服す。