長短経 / 察相
《左傳》曰、「周内史叔服如魯、公孫敖聞其能相人也、見其二子焉。叔服曰、榖也食子、難也收子。榖也豐下、必有後於魯國。』」〔杜預曰、「豐下、謂方面也。」鄭伯享趙孟于垂隴、七子從。趙孟曰、「七子從君、以寵之也。請皆賦、以卒君貺。」子展賦《草蟲》。趙孟曰、「善哉!人之主也。抑武也不足以當之。」印段賦《蟋蟀》。趙孟曰、「善哉!保家之主。吾有望矣。」子展其後亡者也、在上不忘降。印氏其次也、樂而不荒。樂以安人、不淫以使之、後亡、不亦可乎?〕
新字:《左伝》曰、「周内史叔服如魯、公孫敖聞其能相人也、見其二子焉。叔服曰、穀也食子、難也収子。穀也豊下、必有後於魯国。』」〔杜預曰、「豊下、謂方面也。」鄭伯享趙孟于垂隴、七子従。趙孟曰、「七子従君、以寵之也。請皆賦、以卒君貺。」子展賦《草虫》。趙孟曰、「善哉!人之主也。抑武也不足以当之。」印段賦《蟋蟀》。趙孟曰、「善哉!保家之主。吾有望矣。」子展其後亡者也、在上不忘降。印氏其次也、楽而不荒。楽以安人、不淫以使之、後亡、不亦可乎?〕
書き下し
左伝に曰く「周の内史叔服、魯に如く。公孫敖、其の能く人を相るを聞き、其の二子を見えしむ。叔服曰く、穀や子を食まん、難や子を収めん。穀や下豊かなり、必ず魯国に後有らん」と。〔杜預曰く「下豊かとは、方面を謂うなり」と。鄭伯、趙孟を垂隴に享す、七子従う。趙孟曰く「七子、君に従うは、以て之を寵するなり。請う、皆な賦して、以て君の貺を卒えよ」と。子展、草虫を賦す。趙孟曰く「善い哉。人の主なり。抑そも武や以て之に当たるに足らず」と。印段、蟋蟀を賦す。趙孟曰く「善い哉。家を保つの主なり。吾れ望み有り」と。子展は其の後に亡ぶ者なり、上に在りて降るを忘れず。印氏は其の次なり、楽しみて荒れず。楽しみて以て人を安んじ、淫せずして以て之を使う。後に亡ぶること、亦た可ならずや。〕
現代語訳
左伝にこうある。「周の内史叔服が魯へ行った。公孫敖は彼が人相を見られると聞いて、二人の息子に会わせた。叔服は言った。穀はあなたを養うだろう。難はあなたの遺骸を収めるだろう。穀は下あごが豊かだ。必ず魯の国で子孫が続くだろう」。〔杜預は「下豊かとは、顔が四角いことである」と言う。鄭伯が趙孟を垂隴でもてなし、七人の大夫が従った。趙孟は言った。「七人が君に従っておられるのは、あなたを重んじてのこと。どうかみな詩を賦して、君のご厚意を全うしてください」。子展は草虫の詩を賦した。趙孟は「見事だ。人の上に立つ者だ。私などは及ばない」と言った。印段は蟋蟀の詩を賦した。趙孟は「見事だ。家を保つ主だ。私は望みを抱いた」と言った。子展はその一族で最後まで残った者で、上位にいても降ることを忘れなかった。印氏はその次で、楽しんでも荒れなかった。楽しみながら人を安んじ、溺れずに人を使った。最後まで残ったのも、もっともではないか。〕
解説

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関連する章句
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『長短経』察相初め、鄭伯、趙孟を享す。七子、詩を賦す。伯有、鶉之賁賁を賦す。享卒わりて、趙孟、叔向に告げて曰く「伯有は将に戮を為さんとす。詩は以て志を言う。志は其の上を誣いて、公之を怨む。以て賓の栄と為す、其れ能く久しからんや」と。魏の時、管輅、何晏・鄧颺を相して誅に当たるとす。死して、輅の舅、之を問う。答えて曰く「鄧颺の行歩は、節は骨を束ねず、脈は肉を制せず、起立は傾き倚り、手足無きが若し。之を鬼躁と謂う。何の視候は、魂は宅を守らず、血は色に華かならず、精爽は烟のごとく浮き、容は枯木の若し。之を鬼幽と謂う。鬼躁なる者は風に収めらる。鬼幽なる者は火に焼かる。自然の符、蔽う可からざるなり」と。
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『春秋左氏伝』襄公二十七年 垂隴の賦詩鄭伯、趙孟を垂隴に享す。子展・伯有・子西・子產・子大叔・二子石、從ふ。趙孟曰く、「七子の君に從ふは、以て武を寵するなり。請ふ皆賦して以て君の貺(たまもの)を卒へよ。武も亦た以て七子の志を觀ん」と。子展、草蟲を賦す。趙孟曰く、「善きかな、民の主なり。抑(そもそも)武や以て之に當たるに足らず」と。伯有、鶉之賁賁を賦す。趙孟曰く、「床笫の言は閾を踰えず。況んや野に在るをや。使人の聞くを得る所に非ざるなり」と。子西、黍苗の四章を賦す。趙孟曰く、「寡君在り、武何ぞ能くせん」と。子產、隰桑を賦す。趙孟曰く、「武請ふ其の卒章を受けん」と。子大叔、野有蔓草を賦す。趙孟曰く、「吾子の惠なり」と。印段、蟋蟀を賦す。趙孟曰く、「善きかな、家を保つの主なり。吾望み有り」と。公孫段、桑扈を賦す。趙孟曰く、「交はらず敖(おご)らず、福將た焉くにか往かん。若し是の言を保たば、福祿を辭せんと欲すとも得んや」と。享を卒ふ。文子、叔向に告げて曰く、「伯有將に戮せられんとす。詩は以て志を言ふ。志、其の上を誣ひて、公之を怨み、以て賓の榮と為す。其れ能く久しからんや。幸ひにして而る後に亡びん」と。叔向曰く、「然り。已(はなは)だ侈れり。所謂五稔に及ばずとは、夫子の謂なり」と。文子曰く、「其の餘は皆數世の主なり。子展は其れ後に亡ぶる者なり。上に在りて降るを忘れず。印氏は其の次なり。樂しみて荒まず。樂しみて以て民を安んじ、淫せずして以て之を使ふ。後に亡ぶるも亦た可ならずや」と。
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『長短経』察相春秋左氏伝に曰く「楚子、将に商臣を以て太子と為さんとし、諸を令尹子上に訪う。子上曰く『是の人や、蜂目豺声、忍人なり。立つ可からざるなり』と。聴かず。後に謀反し、宮甲を以て成王を囲み、之を縊る」と。又た曰く「楚の司馬子良、子越椒を生む。子文曰く『必ず之を殺せ。是の人や、熊虎の状にして豺狼の声あり。殺さずんば、必ず若敖氏を滅ぼさん。諺に曰く、狼子野心と。是れ乃ち狼なり、其れ畜う可けんや』と。子良は不可とす。後に果たして反し、楚王を攻め、鼓して進む。遂に若敖氏を滅ぼす」と。
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『長短経』察相又た曰く「晋の韓宣子、斉に如き、子雅に見ゆ。子雅、其の子子旗を召して、宣子に見えしむ。宣子曰く『家を保つの主に非ざるなり、臣たらず』」と。杜預曰く「子雅の志器の亢ぶるを言うなり」と。後十年、来奔す。周の霊王の弟儋季卒す。其の子括、将に王に見えんとして歎ず。単公子愆期、其の歎を聞くや、入りて以て王に告げて曰く「戚しまずして大を願い、視は躁がしくして足は高し。心は他に在り。殺さずんば必ず害を為さん」と。王曰く「童子何をか知らん」と。霊王崩ずるに及び、儋括は王子佞夫を立てんと欲す。周の大夫、佞夫を殺す」と。
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『潜夫論』相列昔、内史叔服魯を過ぎ、公孫敖其の能く人を相るを聞き、其の二子を見えしむ。叔服曰く、「穀や子を食わしめ、難や子を収めん。穀や豊かに下れり、必ず魯に後有らん」と。穆伯の老ゆるに及び、文伯居りて養い、其の死するや、恵叔哭を典る。魯は竟に献子を立て、以て孟氏の後を続ぐ。王孫説の喬如を相、子上の商臣を幾、子文の越椒を憂い、叔姫の食我を悪み、単襄公の晋の厲を察し、子貢の邾魯を観、臧文の御説を聴き、陳咸の張を見るに及びては、賢人達士、察するに善心を以てして、中らざる無し。唐挙の李兌・蔡沢を相、許負の鄧通・条侯を相するに及びては、司命禄を班ち、追って行事を敘ぶと雖も、過ぐる能わざるなり。
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『長短経』察相邾の隠公来朝す。玉を執ること高く、其の容は仰ぐ。魯公、玉を受くること卑しく、其の容は俯す。子貢曰く「礼を以て之を観れば、二君は皆な死亡有らん。高く仰ぐは驕なり、卑しく俯すは替なり。驕は乱に近く、替は疾に近し。君は主たり、其れ先ず亡びんか」と。此の年、公薨ず。哀公七年、邾子益を以て帰る。衛侯、呉に鄖に会す。呉人、衛侯の舎を藩す。子貢、太宰嚭に説きて之を免る。衛侯帰りて、夷言を効う。子の之、尚お幼くして曰く「君は必ず免れじ。其れ夷に死せんか。執えられて又た其の言を説ぶ、之に従うこと固し」と。後に卒に楚に死す。