長短経 / 七雄略
彼燕王大亂、上下迷惑。栗腹以百萬之衆、五折於外。萬乘之國被圍於趙、壤削主困、為天下笑。國弊禍多、人無所歸。今又以弊聊之人、距全齊之兵、期年不解、是墨翟之守也、食人炊骨、無反外之心、是孫臏、吳起之兵也、能見於天下矣!故為公計者、不如罷兵、休士、全軍歸報燕王、燕王必喜。士民見公如見父母、攘臂而議於世、功業可明也。意者、懟燕棄世、東逰於齊乎?請裂地定封、富比乎陶衛、世世稱孤、此亦一計也。二者、顯名厚實、願公察之、熟計而審處一焉。
新字:彼燕王大乱、上下迷惑。栗腹以百万之衆、五折於外。万乗之国被囲於趙、壤削主困、為天下笑。国弊禍多、人無所帰。今又以弊聊之人、距全斉之兵、期年不解、是墨翟之守也、食人炊骨、無反外之心、是孫臏、呉起之兵也、能見於天下矣!故為公計者、不如罷兵、休士、全軍帰報燕王、燕王必喜。士民見公如見父母、攘臂而議於世、功業可明也。意者、懟燕棄世、東遊於斉乎?請裂地定封、富比乎陶衛、世世称孤、此亦一計也。二者、顕名厚実、願公察之、熟計而審処一焉。
書き下し
彼の燕王は大いに乱れ、上下迷惑す。栗腹、百万の衆を以て、五たび外に折る。万乗の国、趙に囲まる。壌削られ主困しみ、天下の笑いと為る。国弊れ禍多く、人、帰する所無し。今、又た弊聊の人を以て、全斉の兵を距ぐ。期年解けざるは、是れ墨翟の守なり。人を食らい骨を炊ぎ、外に反るの心無きは、是れ孫臏・呉起の兵なり。能く天下に見るるなり。故に公の為に計る者は、兵を罷め士を休め、軍を全くして帰りて燕王に報ずるに如かず。燕王、必ず喜ばん。士民、公を見ること父母を見るが如く、臂を攘げて世に議せん。功業、明らかにす可きなり。意う者、燕に懟みて世を棄て、東のかた斉に遊ばんか。請う、地を裂きて封を定め、富は陶・衛に比し、世世孤と称せん。此れ亦た一計なり。二者は、名を顕し実を厚くす。願わくは公、之を察し、熟ら計りて審らかに一を処せよ。
現代語訳
燕王は大いに乱れ、上下が迷っている。栗腹は百万の兵で五度も外で敗れた。万乗の国が趙に囲まれた。領土は削られ主君は困り、天下の笑い者になった。国は疲れ禍は多く、人には帰する先がない。いままた疲れた聊城の人で、斉の全軍を防いでいる。一年も解けないのは墨子の守りである。人を食い骨を炊いで、外へ返る心がないのは、孫臏や呉起の兵である。天下に示すに足りる。だからあなたのために計るなら、兵を解き士を休め、軍を全うして帰り燕王に報告するに越したことはない。燕王は必ず喜ぶ。士も民もあなたを父母を見るように見て、腕まくりして世に語るだろう。功業を明らかにできる。あるいは燕を恨んで世を棄て、東の斉に遊ぶか。土地を裂いて封を定め、富は陶や衛に比べられ、代々君主と称せよう。これも一つの計である。二つとも名を顕し実を厚くする。どうかよく考えて、慎重に一つを選んでください。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『新書』威不信古の正義、東西南北、苟しくも舟車の達する所、人迹の至る所、率服せざる莫く、而る後に天子と云う。徳厚く、沢湛えて、而る後に帝と称す。又た美を加えて、而る後に皇と称す。今称号甚だ美なれども、実は長城を出でず、彼特に服せざるのみに非ず、又た大いに不敬なり。辺長く寧からず、中長く静かならず、譬えば伏虎の如く、便を見れば必ず動く、将に何れの時にか已まん。昔高帝布衣より起こりて九州を服す、今陛下九州に杖りて凶奴に行われず、竊かに陛下の為に足らずとす。且つ事勢に甚だ逆なる者有り、其の義尤も要なり。天子とは、天下の首なり、何となれば、上なればなり。蛮夷とは、天下の足なり、何となれば、下なればなり。蛮夷の徴令は、是れ主上の操なり。天了の共貢は、是れ臣下の礼なり。足反って上に居り、首顧って下に居る、是れ倒植の勢いなり。天下の勢い倒植す、之を理むる能う莫し、猶お国に人有りと為さんや。徳は遠く施す可く、威は遠く加う可く、舟車の至る所、志の如くならしむ可し。而るに特だ捫然として数百里、威令信ならず、涕を流す可き者は此れなり。
-
『呻吟語』外篇・人情・何ぞ其の名を惡みて其の實を好むや人を稱するに顏子を以てせば、悅ばざる者無し。其の貧賤にして夭なるを忘る。人を稱するに桀・紂・盜跖を以てせば、怒らざる者無し。其の富貴にして壽なるを忘る。善を好み惡を惡むの同じく然ること此の如し。而るに人と作るは卻つて桀・紂・盜跖と同じく歸す。何ぞ其の名を惡みて其の實を好むや。
-
論語・八佾篇季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
-
『洗心洞箚記』卷下・第六十六條韓昌黎曰く、名の存する所は、謗りの帰する所なりと。夫れ実徳有りて其の誉れ有り、実行有りて其の声有れば、則ち奚ぞ謗りを之れ招かん。如し爾云はば、則ち実徳無くして其の誉れ有り、実行無くして其の声有る者なり。謗りの至る、亦宜ならずや。故に許魯斎曰く、実無くして誉れを得、可ならんや。大誉は則ち大毀至り、小誉は則ち小毀至る、必然の理なり。惟だ聖賢誉れを得れば、則ち毀るべき所無し。大名の下処し難し、聖賢に在りては則ち是に異なり、処し難きこと無き者なり。実無くして名を得、故に処し難し。名は美器なり。造物者多く取ることを忌む。多く取ることを忌むに非ず、夫の実無くして名を得る者を忌むなりと。韓子は文を学びて道を窺ふ者、故に其の言彼の如し。許子は理学の名儒、故に其の言此の如し。虚名有る者は、宜しく韓子の言に鑑みて以て之を避くべし。実名無き者は、須らく許子の言に憤りて以て之を立つべし。
-
『慎思録』巻之一実無くして名を得る者は、恥づべきの甚だしきなり。偶然一時之を得ると雖も、終にも亦必ず亡びんのみ。喜ぶべき所に非ざるなり。聖人は陰陽徳を合はせ、剛柔兼ね備はる。故に仁義の徳全し。中人以下は、偏性無きこと能はず。故に彼に明らかなる者は此に暗く、此に長ずる者は彼に短し。中人以下の性は、往往此くの如し。天の物を生ずる、全功無し。是れ自然の理なり。性を治むるの道は、其の余り有る所を裁ち、其の足らざる所を補ひて、偏り無からんことを欲するのみ。
-
春秋繁露・『春秋繁露』深察名號第三十五・是非を測るものさしは名曲直を審らかにせんと欲すれば、縄を引くに如くは莫し。是非を審らかにせんと欲すれば、名を引くに如くは莫し。名の是非を審らかにするは、猶お縄の曲直を審らかにするがごとし。其の名実を詰り、其の離合を観れば、則ち是非の情は以て相讕るべからず。