長短経 / 覇図
太祖征劉表、㑹表卒、子琮降。〔劉表、字景升、山陽髙平人。詔以表為荆州刺史、南接五岑嶺、北據漢川、地方數千里、帯甲十餘萬。曹操與袁紹相持於官渡、紹遣人求助、表許之而不至、亦不援操、且欲觀天下之變。劉先説表曰、「今豪傑並爭、兩雄相持、天下之重、在於将軍。將軍若有所為、起乗其弊可也。如其不然、固将擇所宜從、豈可擁甲十萬、坐觀成敗?求援而不能助、見賢而不能歸、此兩怨必集於将軍、恐不得復中立矣。曹操善用兵、其賢俊多歸之、其勢必舉袁紹、然後移兵向江漢、恐将軍不能禦也。今之勝計、莫若以荆州降操、操必重徳將軍、長享福祚、垂之後嗣。此萬全之䇿也。」表不從。
新字:太祖征劉表、会表卒、子琮降。〔劉表、字景升、山陽高平人。詔以表為荆州刺史、南接五岑嶺、北拠漢川、地方数千里、帯甲十余万。曹操与袁紹相持於官渡、紹遣人求助、表許之而不至、亦不援操、且欲観天下之変。劉先説表曰、「今豪傑並争、両雄相持、天下之重、在於将軍。将軍若有所為、起乗其弊可也。如其不然、固将択所宜従、豈可擁甲十万、坐観成敗?求援而不能助、見賢而不能帰、此両怨必集於将軍、恐不得復中立矣。曹操善用兵、其賢俊多帰之、其勢必舉袁紹、然後移兵向江漢、恐将軍不能禦也。今之勝計、莫若以荆州降操、操必重徳将軍、長享福祚、垂之後嗣。此万全之策也。」表不従。
書き下し
太祖、劉表を征す。会々表卒し、子琮降る。〈劉表、字は景升、山陽高平の人なり。詔して表を以て荊州刺史と為す。南は五岑嶺に接し、北は漢川に拠り、地は方数千里、帯甲十余万。曹操と袁紹と官渡に相い持す。紹、人を遣わして助けを求む。表、之を許すも至らず、亦た操を援けず、且つ天下の変を観んと欲す。劉先、表に説きて曰く「今、豪傑並び争い、両雄相い持す。天下の重きは将軍に在り。将軍、若し為す所有らば、起ちて其の弊に乗ずるも可なり。如し其れ然らずんば、固より将に宜しく従う所を択ぶべし。豈に甲十万を擁して、坐して成敗を観る可けんや。援けを求めて助くる能わず、賢を見て帰する能わず。此の両怨、必ず将軍に集まらん。恐らくは復た中立するを得ざらん。曹操は善く兵を用い、其の賢俊、多く之に帰す。其の勢い必ず袁紹を挙げん。然る後に兵を移して江漢に向かわん。恐らくは将軍、禦ぐ能わざらん。今の勝計は、荊州を以て操に降るに若くは莫し。操は必ず将軍を重んじ徳とせん。長く福祚を享け、之を後嗣に垂れん。此れ万全の策なり」と。表、従わず。
現代語訳
太祖は劉表を征伐した。ちょうど劉表が死に、子の劉琮が降った。〈劉表は字を景升といい、山陽高平の人である。詔によって荊州刺史となった。南は五岑嶺に接し、北は漢水に拠り、土地は数千里四方、兵は十余万。曹操と袁紹が官渡で対峙した。袁紹が人を遣わして助けを求めた。劉表は承知したが行かず、曹操も助けず、天下の変化を眺めようとした。劉先が劉表に説いた。「いま豪傑が並び争い、二人の雄が対峙しています。天下の重みは将軍にある。将軍が何かなさるなら、立って相手の疲れに乗じてもよい。そうでないなら、従う相手を選ぶべきです。どうして十万の兵を抱えて、座ったまま勝敗を眺めていられましょう。援けを求められて助けず、賢者を見て帰属しない。この二つの怨みは必ず将軍に集まります。もう中立ではいられないでしょう。曹操は用兵が巧みで、優れた人材が多く帰している。必ず袁紹を破るでしょう。そのあと兵を移して江漢へ向かう。将軍は防げないでしょう。いまの最善の策は、荊州ごと曹操に降ることに越したことはありません。曹操は必ず将軍を重んじ恩に着る。長く幸いを享け、子孫に伝えられます。万全の策です」。劉表は従わなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図十三年、曹操、自ら将いて表を征す。未だ至らずして、表、疽、背に発して卒す。操、新野に軍す。傅巽、琮に説きて降に帰せしめんとす。琮曰く「今、諸君と全楚の地に拠り、先君の業を守り、以て天下を観る。何為れぞ不可ならん」と。巽曰く「逆順に大体有り、強弱に定勢有り。人臣を以て人主を拒ぐは、逆道なり。新造の楚を以て中国を禦ぐは、必ず危うきなり。劉備を以て曹公に敵するは、当たらざるなり。三者皆な短し。以て王師の鋒に抗せんと欲するは、必ず亡ぶの道なり。将軍、自ら料るに劉備と何如」と。琮曰く「如かざるなり」と。巽曰く「誠に備を以て曹公を禦ぐに足らずんば、即ち保全し難く、楚は以て自ら存するに足らず。誠に劉備を以て曹公に敵するに足らば、則ち備は将軍の為にする能わざるなり。願わくは将軍、疑う勿かれ」と。琮、遂に衆を挙げて降る。時に劉備、奔りて荊州に在り。表、用うる能わず。荊州の降るを聞き、遂に夏口に奔るなり。〉
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『長短経』覇図太祖、方に劉表を征す。譚、果たして弟尚と冀州を争う。譚、辛毘を遣わして降を乞い、赦さんことを請う。太祖、以て群臣に問う。群臣、多く表を以て強しと為し、宜しく先ず之を平らぐべし、譚は憂うるに足らざるなりと。荀攸曰く「天下、方に事有り。而るに表は坐して江漢の間を保つ。其の四方の志無きこと知る可し。袁氏は四州の地に拠り、帯甲十万。紹は寛を以て衆を得たり。二子をして和睦し、以て其の成業を守らしめんと欲せば、則ち天下の難、未だ息まざらん。今、兄弟、悪を遘え、其の勢い両つながら全からず。若し并す所有らば則ち力全し。力全ければ則ち図り難きなり。其の乱るるに及びて之を取らば、則ち天下、定むるに足らざるなり。此の時、失う可からざるなり」と。太祖曰く「善し」と。乃ち譚の和を許し、袁尚を破る。〉
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『長短経』三国権後に曹公荊州に入り、劉琮、衆を挙げて降る。〔初め劉表死するや、魯粛進みて説きて曰く「夫れ荊楚は我と隣接し、水流は北に順い、外は江・漢を帯び、内は山陵を阻み、金城の固め有り。沃野万里にして、士人殷富なり。若し拠りて之を有たば、此れ帝王の資なり。粛請う、命を奉じて表の二子を弔い、並びに軍中の事を用うる者を慰労し、劉備に説きて表の衆を撫養し、共に曹操を拒がしめんことを」と。粛未だ到らざるに、琮已に降るなり。〕
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『長短経』三国権〔時に権、柴桑に軍し、劉備は樊に在り。曹公南のかた劉表を征す。会々表卒し、子の琮、衆を挙げて降る。先主、曹公の卒かに至るを知らず、宛に至りて乃ち之を聞き、遂に其の衆を率いて南に行き、曹公の追破する所と為る。劉備、夏口に至る。諸葛亮曰く「事急なり。請う、命を奉じて救いを孫将軍に求めん」と。遂に見えて、説きて曰く「将軍は兵を江東に起こし、劉豫州も亦た衆を漢南に収め、曹操と並びて天下を争う。今、操は大難を芟夷し、略々已に平らぐ。遂に荊州を破り、威は四海に震い、英雄は武を用うる所無し。故に豫州遁逃して此に至る。将軍、力を量りて之に処せよ。若し能く呉越の衆を以て中国と衡を争わば、早く之と絶つに如かず。若し当たること能わずんば、何ぞ兵を按じ甲を束ね、北面して之に事えざる。今、将軍は外は服従の名に託し、而して内は猶予の計を懐く。事急にして断ぜずんば、禍至ること日無し」と。
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『長短経』三国権張繡は南陽に在りて、荊州牧劉表と合す。太祖之を征す。謀臣進みて曰く「繡は劉表と相恃みて強と為す。然れども繡は遊軍を以て表に食む。表は供すること能わざるなり。之を急にすれば則ち力を并せ、之を緩くすれば則ち自ら離れん」と。太祖従わず。表果たして兵を遣わして繡を救い、太祖の兵敗る。三年春、太祖許に還る。繡の兵来たり追い、太祖の軍進むこと能わず。荀彧に書を与えて曰く「賊来たりて吾を追う。日に行くこと数里なりと雖も、吾之を策るに、安衆に至らば、之を破ること必せり」と。果たして奇伏を設けて、攻めて之を破る。公許に還る。荀彧問う「前に何を以て賊の必ず破るるを策りしや」と。対えて曰く「虜は帰師を遏め、吾と死地に戦う。吾是を以て勝つを知る」と。
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『長短経』三国権時に長沙太守孫堅、南陽太守張咨を殺し、袁術其の郡に拠るを得たり。堅、術と合縦し、劉表の荊州を襲奪せんと欲し、堅、流矢の中つる所と為りて死す。〔初め、劉表の荊州に拠るや、江南の賊盛んなりと聞き、蒯越等に謂いて曰く「吾、兵を徴せんと欲するも、集まらざることを恐る。其の策焉くにか出でん」と。対えて曰く「衆附かざる者は、仁足らざるなり。附きて理まらざる者は、義足らざるなり。苟も仁義の道行わるれば、百姓の之に帰すること水の下きに趨くが如し。何ぞ附かざるを患えん。袁術は勇にして謀無く、宗賊は貪暴にして、下の患うる所と為る。若し之に示すに利を以てせば、必ず衆を以て来たらん。君、其の無道を誅し、撫して之を用いば、人に存するを楽しむの心有りて、必ず襁負して至らん。兵強く士附かば、南は江陵に拠り、北は襄陽を守り、八郡は檄を伝えて定むべし。術等至ると雖も、能く為す無からん」と。後果たして然り。〕