長短経 / 詭順
韓信初為齊王時、蒯通說信、使三分天下、信不聽。後知漢畏其能、乃與陳豨謀反。事泄、呂太后以計禽之。方斬、曰、“吾悔不聼蒯通之計、乃為兒女子所詐。豈非天哉!”〔髙祖自将、伐陳豨於鉅鹿、信稱疾不從、欲於中起。信舎人得罪於信、信因欲殺之。舎人弟上變告信欲反状於呂后呂后欲召、恐其黨不就、乃與蕭相國謀、詐令人從上所來、言豨已得死、列侯羣臣皆賀。相國詐信曰、“雖病、强入賀!”信入、呂后使武士縛信、斬之也。〕
新字:韓信初為斉王時、蒯通説信、使三分天下、信不聴。後知漢畏其能、乃与陳豨謀反。事泄、呂太后以計禽之。方斬、曰、“吾悔不聴蒯通之計、乃為児女子所詐。豈非天哉!”〔高祖自将、伐陳豨於鉅鹿、信称疾不従、欲於中起。信舎人得罪於信、信因欲殺之。舎人弟上変告信欲反状於呂后呂后欲召、恐其党不就、乃与蕭相国謀、詐令人従上所来、言豨已得死、列侯羣臣皆賀。相国詐信曰、“雖病、強入賀!”信入、呂后使武士縛信、斬之也。〕
書き下し
韓信初め斉王と為る時、蒯通、信に説きて天下を三分せしめんとするも、信聴かず。後に漢の其の能を畏るるを知り、乃ち陳豨と謀反す。事泄れ、呂太后計を以て之を禽にす。方に斬られんとして、曰く「吾、蒯通の計を聴かず、乃ち児女子の詐る所と為りしを悔ゆ。豈に天に非ずや」と。〔高祖自ら将いて、陳豨を鉅鹿に伐つ。信は疾と称して従わず、中より起たんと欲す。信の舎人、罪を信に得。信因りて之を殺さんと欲す。舎人の弟、変を上りて信の反せんと欲するの状を呂后に告ぐ。呂后召さんと欲するも、其の党の就かざるを恐れ、乃ち蕭相国と謀り、詐りて人をして上の所より来たらしめ、豨已に死を得たりと言わしむ。列侯群臣皆賀す。相国、信を詐りて曰く「病むと雖も、強いて入りて賀せよ」と。信入る。呂后、武士をして信を縛らしめ、之を斬るなり。〕
現代語訳
韓信がはじめ斉王になったとき、蒯通は天下を三分するよう説いたが、韓信は聞かなかった。後に漢が自分の能力を恐れていると知り、陳豨と謀反を企てた。事が漏れ、呂后が計略で韓信を捕らえた。斬られるとき、韓信は言った。「蒯通の計を聞かず、女子どもに欺かれたことを悔やむ。これが天命でなくて何だろう」。〔高祖が自ら兵を率いて鉅鹿の陳豨を伐ったとき、韓信は病と称して従わず、都の中から兵を起こそうとした。韓信の食客が韓信の罪に触れ、韓信は殺そうとした。その食客の弟が、韓信が謀反を企てていると呂后に密告した。呂后は韓信を呼び出そうとしたが、仲間が応じないことを恐れ、蕭何と謀って、人に皇帝のもとから来たと偽らせ、陳豨はすでに死んだと言わせた。列侯や群臣は皆祝いに参内した。蕭何は韓信を欺いて「病でも無理をして祝いに参内しなさい」と言った。韓信が参内すると、呂后は武士に縛らせ、斬った。〕
解説

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