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長短経 / 覇図

哀帝崩、時莽以侯在第。太皇太后令莽備佐喪事〔太皇太后、元帝皇后也。、〕復為大司馬。徴立中山王為帝〔即平帝、帝名衍為中山王、即孝王子也。、〕太皇太后臨朝、莽秉政、百官總已以聽於莽。〔附順者㧞擢、忤恨者誅滅、以王尋、王邑為腹心、甄豊甄邯主擊斷、平晏典樞機、劉歆典文章、孫建為爪牙、皆以才能並任顯職。莽色厲而言方、欲有所為、㣲見風采、黨與承意而顯奏之。莽因固讓、示不得已、上以感太后、下以取信於衆庶。越裳氏重譯獻白雉一、黒雉二。莽令益州諷羣臣、奏言莽功徳比周公、宜賜號「安漢公」。〕平帝崩、莽徴宣帝𤣥孫廣成侯子嬰立之、年三嵗。遂謀居攝、如周公故事。〔時元帝統絶。宣帝曽孫五人、莽惡其長者、託以卜相宜吉、乃立嬰也。〕

新字:哀帝崩、時莽以侯在第。太皇太后令莽備佐喪事〔太皇太后、元帝皇后也。、〕復為大司馬。徴立中山王為帝〔即平帝、帝名衍為中山王、即孝王子也。、〕太皇太后臨朝、莽秉政、百官総已以聴於莽。〔附順者抜擢、忤恨者誅滅、以王尋、王邑為腹心、甄豊甄邯主撃断、平晏典枢機、劉歆典文章、孫建為爪牙、皆以才能並任顕職。莽色厲而言方、欲有所為、微見風采、党与承意而顕奏之。莽因固譲、示不得已、上以感太后、下以取信於衆庶。越裳氏重訳献白雉一、黒雉二。莽令益州諷羣臣、奏言莽功徳比周公、宜賜号「安漢公」。〕平帝崩、莽徴宣帝玄孫広成侯子嬰立之、年三歳。遂謀居摂、如周公故事。〔時元帝統絶。宣帝曽孫五人、莽悪其長者、託以卜相宜吉、乃立嬰也。〕

書き下し

哀帝崩ず。時に莽、侯を以て第に在り。太皇太后、莽をして喪事を佐け備えしむ。〈太皇太后は、元帝の皇后なり。〉復た大司馬と為る。徴して中山王を立てて帝と為す。〈即ち平帝。帝の名は衍、中山王と為る。即ち孝王の子なり。〉太皇太后、朝に臨み、莽、政を秉る。百官、己を総べて以て莽に聴く。〈順に附く者は抜擢し、忤い恨む者は誅滅す。王尋・王邑を以て腹心と為し、甄豊・甄邯、撃断を主り、平晏、枢機を典り、劉歆、文章を典り、孫建、爪牙と為る。皆な才能を以て並びに顕職に任ず。莽、色厲しくして言方し。為す所有らんと欲すれば、微かに風采を見わす。党与、意を承けて之を顕奏す。莽、因りて固く譲り、已むを得ざるを示し、上は以て太后を感ぜしめ、下は以て信を衆庶に取る。越裳氏、重訳して白雉一、黒雉二を献ず。莽、益州をして群臣を諷せしめ、奏して莽の功徳は周公に比す、宜しく安漢公の号を賜うべしと言わしむ。〉平帝崩ず。莽、宣帝の玄孫広成侯の子嬰を徴して之を立つ。年三歳。遂に居摂を謀ること、周公の故事の如し。〈時に元帝の統絶ゆ。宣帝の曽孫五人あり。莽、其の長ずる者を悪み、託するに卜相の宜しく吉なるを以てし、乃ち嬰を立つるなり。〉

現代語訳

哀帝が崩じた。当時、王莽は侯として邸宅にいた。太皇太后は王莽に葬儀を補佐させた。〈太皇太后は元帝の皇后である。〉また大司馬となった。中山王を召して帝に立てた。〈これが平帝で、名は衎、中山王であった。孝王の子である。〉太皇太后が朝廷に臨み、王莽が政を執った。百官は自分の職を束ねて王莽の指図を仰いだ。〈従い順う者は抜擢し、逆らい恨む者は誅滅した。王尋と王邑を腹心とし、甄豊と甄邯が処断をつかさどり、平晏が枢要を、劉歆が文書を、孫建が武力を担った。みな才能によって要職に並んだ。王莽は顔つきが厳しく言葉が角張っていた。やりたいことがあると、かすかに気配を見せる。一党はその意を汲んで表向きに上奏する。王莽は固く辞退して、やむを得ないという形を示し、上は太后を感動させ、下は民衆の信を得た。越裳氏が何度も通訳を重ねて白い雉一羽、黒い雉二羽を献じた。王莽は益州に群臣をほのめかさせ、王莽の功徳は周公に比べられる、安漢公の号を賜うべきだと上奏させた。〉平帝が崩じた。王莽は宣帝の玄孫、広成侯の子の嬰を召して立てた。三歳である。そして周公の先例のように摂政を謀った。〈当時、元帝の血統は絶えた。宣帝の曽孫が五人いた。王莽は年長の者を嫌い、占いの吉凶にかこつけて、嬰を立てた。〉

解説

手口が克明に記されています。やりたいことは口にせず、かすかに気配を見せるだけ。一党がそれを上奏し、本人は固く辞退してやむを得ず受ける形にする。自分で望んだ証拠がどこにも残りません。しかも辞退するたびに、上からも下からも信を得る。祥瑞まで手配していました。譲る姿を見せることが、取るための最も有効な手続きになっています。

この章句が説くこと

覇図王莽居摂辞退祥瑞意を承ける

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