長短経 / 七雄略
軫曰、「令尹貴耳!王非置兩令尹也!臣竊為君譬之、可乎?楚有祠者、賜其同舍人酒一巵舍人相謂曰、『數人飲之不足、一人飲之有餘、請畫地為蛇、先成者飲酒。』一人蛇先成、引酒且飲之、乃左手持巵右手畫地、曰、『吾能為之足。』足未成、一人蛇復成、奪其巵曰、『蛇固無足、子安能為之足乎?』遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。今公攻魏、破軍殺將、得八城、而又移兵攻齊、齊畏公甚、以此名君足矣!冠之上非可重也!戰無不勝而不知止、身且死、爵且歸、猶為蛇足者也。」昭陽以為然、引軍而去。〕蘓秦如楚〔楚之先、出自帝顓頊、帝嚳、高辛時為火正、命曰祝融。其後苗裔事周文王。當周成王時、舉文武勤勞之後嗣、而封熊繹於楚蠻、以子男之田、姓芊氏、甚得江漢間人和。至熊通、使使隨人之周、請尊其號。周不聽、熊通怒、乃自立為武王。〕
新字:軫曰、「令尹貴耳!王非置両令尹也!臣窃為君譬之、可乎?楚有祠者、賜其同舎人酒一巵舎人相謂曰、『数人飲之不足、一人飲之有余、請画地為蛇、先成者飲酒。』一人蛇先成、引酒且飲之、乃左手持巵右手画地、曰、『吾能為之足。』足未成、一人蛇復成、奪其巵曰、『蛇固無足、子安能為之足乎?』遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。今公攻魏、破軍殺将、得八城、而又移兵攻斉、斉畏公甚、以此名君足矣!冠之上非可重也!戦無不勝而不知止、身且死、爵且帰、猶為蛇足者也。」昭陽以為然、引軍而去。〕蘓秦如楚〔楚之先、出自帝顓頊、帝嚳、高辛時為火正、命曰祝融。其後苗裔事周文王。当周成王時、舉文武勤労之後嗣、而封熊繹於楚蠻、以子男之田、姓芊氏、甚得江漢間人和。至熊通、使使随人之周、請尊其号。周不聴、熊通怒、乃自立為武王。〕
書き下し
軫曰く「令尹は貴きのみ。王、両令尹を置くに非ざるなり。臣、竊かに君の為に之を譬えん。可ならんか。楚に祠る者有り、其の同舎人に酒一巵を賜う。舎人相い謂いて曰く『数人之を飲まば足らず、一人之を飲まば余り有り。請う、地に画きて蛇と為し、先ず成る者、酒を飲まん』と。一人、蛇先ず成る。酒を引きて且に之を飲まんとす。乃ち左手に巵を持ち、右手に地を画きて曰く『吾、能く之が足を為らん』と。足未だ成らざるに、一人、蛇復た成る。其の巵を奪いて曰く『蛇は固より足無し。子、安くんぞ能く之が足を為らんや』と。遂に其の酒を飲む。蛇の足を為る者は、終に其の酒を亡う。今、公、魏を攻め、軍を破り将を殺し、八城を得たり。而して又た兵を移して斉を攻む。斉、公を畏るること甚だし。此を以て君を名づくるに足れり。冠の上は重ぬ可きに非ざるなり。戦いて勝たざる無くして止まるを知らずんば、身且に死し、爵且に帰せんとす。猶お蛇足を為る者のごときなり」と。昭陽、以て然りと為し、軍を引きて去る。〉蘇秦、楚に如く。〈楚の先は、帝顓頊より出づ。帝嚳・高辛の時、火正と為り、命じて祝融と曰う。其の後の苗裔、周の文王に事う。周の成王の時に当たり、文武の勤労の後嗣を挙げて、熊繹を楚蛮に封じ、子男の田を以てす。姓は芊氏。甚だ江漢の間の人の和を得たり。熊通に至り、使いをして随人に周に之かしめ、其の号を尊くせんことを請う。周、聴かず。熊通怒り、乃ち自立して武王と為る。〉
現代語訳
陳軫は言った。「令尹が貴いだけですね。王は令尹を二人置いたりしない。私がひそかにあなたのためにたとえましょう。よろしいか。楚に祭りをした者がいて、同じ屋敷の者たちに酒を一杯与えた。者たちは相談した。『何人かで飲めば足りない。一人で飲めば余る。地面に蛇の絵を描いて、先にできた者が飲もう』。一人の蛇が先にできた。酒を引き寄せて飲もうとして、左手に杯を持ち、右手で地面に描きながら言った。『私は足も描けるぞ』。足が描き終わらないうちに、別の一人の蛇ができた。その杯を奪って言った。『蛇にはもともと足がない。どうして足が描けるのか』。そして酒を飲んだ。蛇に足を描いた者は、結局その酒を失った。いまあなたは魏を攻めて軍を破り将を殺し、八つの城を得た。さらに兵を移して斉を攻めようとしている。斉はあなたをひどく恐れている。これであなたの名は十分です。冠の上に冠は重ねられない。戦って勝ち続けて止まることを知らなければ、身は死に、爵は返されます。蛇に足を描く者と同じです」。昭陽はもっともだと思い、軍を引いて去った。〉蘇秦は楚へ行った。〈楚の先祖は顓頊から出た。帝嚳高辛のとき火の官となり、祝融と名づけられた。その子孫は周の文王に仕えた。周の成王のとき、文王と武王に尽くした者の子孫を挙げ、熊繹を楚の南方に封じ、子男の田を与えた。姓は芊氏。長江と漢水のあたりの人心をよく得た。熊通に至って、使者を随の人に託して周へ行かせ、称号を高めるよう願った。周は聞かなかった。熊通は怒って自立して武王と称した。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・昭陽為楚伐魏昭陽、楚の爲に魏を伐ち、軍を覆し將を殺して八城を得、兵を移して齊を攻む。陳軫、齊王の爲に使ひして、昭陽に見え、再拜して戰勝を賀し、起ちて問ふ、「楚の法、軍を覆し將を殺すは、其の官爵何ぞや。」昭陽曰く、「官は上柱國と爲し、爵は上執珪と爲す。」陳軫曰く、「此より貴きは何ぞや。」曰く、「唯だ令尹のみ。」陳軫曰く、「令尹は貴し。王兩令尹を置かざるなり、臣竊かに公の爲に譬ふる可きなり。楚に祠る者有り、其の舍人に巵酒を賜ふ。舍人相ひ謂ひて曰く、『數人之を飲まば足らず、一人之を飲まば餘り有り。請ふ地に畫きて蛇を爲り、先づ成る者酒を飲まん。』一人蛇先づ成り、酒を引きて且に之を飲まんとし、乃ち左手に巵を持ち、右手に蛇を畫きて曰く、『吾能く之が爲に足せん。』未だ成らざるに、一人の蛇成り、其の巵を奪ひて曰く、『蛇固より足無し、子安んぞ能く之が爲に足せんや。』遂に其の酒を飲む。蛇の爲に足す者は、終に其の酒を亡ふ。今君楚を相として魏を攻め、軍を破り將を殺して八城を得、兵を弱めず、齊を攻めんと欲す、齊公を畏るること甚だし、公是を以て名を爲すこと居に足れり、官の上は重ぬ可きに非ざるなり。戰ひて勝たざる無くして止まるを知らざる者は、身且に死せんとし、爵且に後に歸せんとす、猶ほ蛇足を爲すがごときなり。」昭陽以て然りと爲し、軍を解きて去る。
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『長短経』七雄略楚の懐王、柱国昭陽をして兵を将いて魏を伐たしむ。八城を得たり。又た兵を移して斉を攻む。斉の湣王、之を患う。陳軫曰く「王、憂うる勿かれ。請う、之を罷めしめん」と。即ち往きて昭陽に軍に見え、再拝して、戦勝の功を賀す。起ちて請いて曰く「敢えて問う、楚の法、車を覆し将を殺せば、其の官爵は何ぞや」と。昭陽曰く「官は上柱国と為り、爵は上執珪と為る」と。陳軫曰く「此より貴き者は、何等ぞや」と。曰く「唯だ令尹有るのみ」と。
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『長短経』七雄略大王、嘗て呉人と戦い、五たび戦いて三たび勝つも、陣卒尽きたり。偏えに新城を守るも、存する民は苦しめり。臣聞く『功大なる者は危うき易く、人弊るる者は上を怨む』と。夫れ危うき易きの功を守りて、強秦の心に逆らう。臣、竊かに大王の為に之を危ぶむ。凡そ天下にして約を信じ従親する者は、蘇秦、封ぜられて武安君と為ればなり。蘇秦、燕に相たり、即ち陰かに燕王と斉を伐たんことを謀り、斉を破りて其の地を分かたんとす。乃ち佯りて罪有りと為し、出走して斉に入る。斉王、因りて受けて之に相たらしむ。居ること二年にして覚る。斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲するも、其の成る可からざるも亦た明らかなり。今、秦と楚と境を接し界を壌す。固より形親の国なり。大王、誠に能く臣に聴かば、臣請う、秦の太子をして質を楚に入れしめ、楚の太子をして質を秦に入れしめん。請う、秦の女を以て大王の箕帚の妾と為し、万室の都を効して、以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、身を終うるまで相い攻むる無からん。臣、以為えらく計、此より便なるは無し」と。楚王、乃ち秦と従親す。
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『長短経』七雄略今、竊かに聞く、大王の卒、武士二十万、倉頭・奮撃二十万、厮徒十万、車六百乗、騎六千匹、と。此れ越王勾践・武王に過ぐること遠し。今、乃ち群臣の説を聴きて、臣として秦に事えんと欲す。夫れ秦に事うれば必ず地を割きて以て実を効す。故に兵未だ用いずして国已に虧く。夫れ人臣と為りて其の主の地を割きて以て外交し、偸みて一旦の功を取りて、其の後を顧みず、公家を破りて私門を成し、外は強秦の勢いを挟みて、以て内は其の王を刧かして以て地を割かんことを求む。願わくは大王、熟ら之を察せよ。周書に曰く『綿綿として絶えずんば、蔓蔓として奈何せん。毫釐にして伐らずんば、将に斧柯を用いんとす』と。前に慮り未だ定まらずして、後に大患有り。将た之を奈何せん。大王、誠に能く臣に聴かば、六国従親し、心を専らにし力を并せば、則ち必ず強秦の患い無からん。故に敝邑の趙王、臣をして愚計を効し、明約を奉ぜしむ。大王の之を詔するに在り」と。魏王曰く「謹みて教えを奉ぜん」と。
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『長短経』七雄略〈白起、兵を将いて来たりて楚を伐つ。楚の襄王、黄歇をして秦の昭王に説かしめて曰く「天下、秦・楚より強きは莫し。今、則ち聞く、大王、楚を伐たんと欲すと。此れ猶お両虎相い与に闘いて、駑犬、其の弊を受くるがごとし。楚を善くするに如かず。臣請う、其の説を言わん。臣、之を聞く、物、至れば則ち反る。冬夏、是なり。智、至れば則ち危うし。累碁、是なり。今、大国の地は、天下に半ばし、三垂を有つ。此れ生人より已来、万乗の地、未だ嘗て有らざるなり。王、若し能く公を持し威を守り、攻伐の心を黜け、仁義の徳を肥やさば、則ち三王も四とするに足らず、五覇も六とするに足らざるなり。王、若し人徒の衆きを負み、兵革の強きを挟み、力を以て天下の主を臣とせんと欲せば、臣、其の患い有らんことを恐るるなり。詩に云う『初め有らざるは靡し。克く終わり有るは鮮し』と。易に曰く『狐、水を渉り、其の尾を濡らす』と。此れ始めの易くして終わりの難きを言うなり。
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『長短経』七雄略大王、誠に能く臣に聴かば、臣請う、山東の国をして、四時の献を奉じて、以て大王の明詔を承け、社稷を委ね、宗廟を奉じ、士を陳ね兵を厲まし、大王の之を用うる所に在らしめん。故に縦合すれば則ち楚王たり、横成れば則ち秦帝たり。今、覇王の業を釈てて、人に事うるの名有り。竊かに大王の為に取らざるなり。夫れ秦は、虎狼の国なり。天下を呑むの心有り。秦は、天下の仇讐なり。衡人は皆な諸侯の地を割きて以て秦に事えんと欲す。此れ所謂仇を養いて讐に奉ずるなり。大逆不忠、此に過ぐるは無し。故に従親すれば則ち諸侯は地を割きて以て楚に事え、衡合すれば則ち楚は地を割きて以て秦に事う。此の両策は相い去ること遠し。二者、大王、何くに居らんや。故に敝邑の趙王、臣をして愚計を効し、明約を奉ぜしむ。大王の詔に在り」と。楚王曰く「善し。謹みて社稷を奉じて以て従わん」と。