長短経 / 覇図
何無忌之辭也。桓𤣥使桓謙屯東陵、卞範之屯覆舟山。義軍朝食、并其餘進、造覆舟山東、令羸兵登山、多張旗幟、布滿山谷、髙祖率衆奔之、士皆殊死戰、謙軍一時潰走、𤣥單騎走江陵、𤣥將入蜀、奔至枚回州、逢益州叅軍費恬之黨、射殺之。、〕
新字:何無忌之辞也。桓玄使桓謙屯東陵、卞範之屯覆舟山。義軍朝食、并其余進、造覆舟山東、令羸兵登山、多張旗幟、布満山谷、高祖率衆奔之、士皆殊死戦、謙軍一時潰走、玄単騎走江陵、玄将入蜀、奔至枚回州、逢益州叅軍費恬之党、射殺之。、〕
書き下し
何無忌の辞なり。桓玄、桓謙をして東陵に屯せしめ、卞範之をして覆舟山に屯せしむ。義軍、朝食して、其の余を并せて進み、覆舟山の東に造る。羸兵をして山に登らしめ、多く旗幟を張り、山谷に布満せしむ。高祖、衆を率いて之に奔る。士は皆な殊死して戦い、謙の軍、一時に潰走す。玄、単騎にて江陵に走る。玄、将に蜀に入らんとし、奔りて枚回州に至る。益州参軍費恬の党に逢い、之を射殺す。〉
現代語訳
何無忌の文である。桓玄は桓謙を東陵に、卞範之を覆舟山に駐屯させた。義軍は朝食をとり、残りを持って進み、覆舟山の東に至った。弱い兵を山に登らせ、旗をたくさん立てて山谷を埋め尽くさせた。高祖は兵を率いて突進した。兵はみな決死で戦い、桓謙の軍は一度に崩れ去った。桓玄は単騎で江陵へ逃げた。桓玄は蜀に入ろうとして枚回州まで逃げた。益州参軍費恬の一党に出会い、射殺された。〉
解説
弱い兵は山に登らせて旗を立てさせ、数が多く見えるようにする。その間に主力が突進する。使えない兵にも役割を与えて、見せかけの兵力にした形です。千二百人から始まった挙兵が、ここで決着しました。手持ちの資源を、戦力と見せかけに分けて使う。少数側の戦い方の基本が、そのまま出ています。誰も余らせないことが、少数で戦うときの条件です。
この章句が説くこと
覇図劉裕覆舟山旗幟見せかけ少数
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