長短経 / 伐交
漢宣帝時、先零與罕开羌解仇、合黨為冦。帝命趙充國先誅罕开充國守便宜、不從、上書曰、「先零羌虜、欲有背叛、故與罕开解仇、然其私心不能忘、恐漢兵至而罕开背之也。臣愚以為、其計常欲赴罕开之急、以堅其約。先擊罕羌、先零必助之。今虜馬肥、粮方饒、擊之、恐不能傷害、適使先零得施徳于罕羌也、堅其約、合其黨、虜交堅黨合、誅之用力數倍、臣恐國家憂累、由十數年、不二三嵗而已。先誅先零、則罕开之屬、不煩兵服矣。」帝從之、果如䇿。
新字:漢宣帝時、先零与罕开羌解仇、合党為寇。帝命趙充国先誅罕开充国守便宜、不従、上書曰、「先零羌虜、欲有背叛、故与罕开解仇、然其私心不能忘、恐漢兵至而罕开背之也。臣愚以為、其計常欲赴罕开之急、以堅其約。先撃罕羌、先零必助之。今虜馬肥、粮方饒、撃之、恐不能傷害、適使先零得施徳于罕羌也、堅其約、合其党、虜交堅党合、誅之用力数倍、臣恐国家憂累、由十数年、不二三歳而已。先誅先零、則罕开之属、不煩兵服矣。」帝従之、果如策。
書き下し
漢の宣帝の時、先零は罕开羌と仇を解き、党を合わせて寇を為す。帝、趙充国に命じて先ず罕开を誅せしむ。充国、便宜を守りて従わず、書を上りて曰く「先零羌虜は、背叛有らんと欲す。故に罕开と仇を解く。然れども其の私心は忘るること能わず、漢兵至りて罕开之に背かんことを恐る。臣愚以為えらく、其の計は常に罕开の急に赴きて、以て其の約を堅くせんと欲す。先ず罕羌を撃たば、先零必ず之を助けん。今、虜の馬肥え、糧方に饒し。之を撃つも、恐らくは傷害すること能わず、適に先零をして徳を罕羌に施すことを得しめ、其の約を堅くし、其の党を合わせしめん。虜の交わり堅く党合わせば、之を誅するに力を用うること数倍ならん。臣恐らくは国家の憂累、十数年に由り、二三歳のみならざらん。先ず先零を誅すれば、則ち罕开の属は、兵を煩わさずして服せん」と。帝之に従う。果たして策の如し。
現代語訳
漢の宣帝のとき、先零羌は罕开羌と恨みを解いて手を結び、侵攻してきた。宣帝は趙充国にまず罕开を討つよう命じた。趙充国は現地の判断を守って従わず、上書して言った。「先零羌は背こうとしているので、罕开と恨みを解きました。しかし内心では昔の恨みを忘れられず、漢の兵が来たら罕开に裏切られるのではと恐れています。私の考えでは、先零はいつも罕开の危急に駆けつけて同盟を固めようとしています。先に罕开を撃てば、先零は必ず助けに来ます。いま敵の馬は肥え食糧も豊かなので、撃っても大きな損害は与えられず、かえって先零に罕开へ恩を売らせ、同盟を固めさせ、仲間を結束させるだけです。敵の同盟が固まり仲間が結束すれば、討つのに数倍の力が要ります。国の憂いは十数年に及び、二、三年では済まないでしょう。先に先零を討てば、罕开などは兵を使わずに従うでしょう」。宣帝はこれに従い、果たして策のとおりになった。
解説

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『智囊』不戰・趙充國天子は遂に充国に敕して兵を進めしむ。充国は上書して謝罪し、因りて利害を陳べて曰く、「臣聞く、兵法に、『足らざるを攻むるは有余を守るなり。』『善く戦う者は人を致して、人に致されず。』と。即ち罕羌が寇を為さんと欲すれば、宜しく簡練して以てその至るを俟ち、逸を以て労に代うるは必勝の道なり。今、虜を致すの術を釈てて、虜に致さるるの道に従うは、愚は以て便ならずと為す。先零羌が背畔を為さんと欲す、故に罕開と仇を解き約を結ぶ。然れどもその私心は、また漢兵至れば罕開が背かんことを恐る。その計は常に先ず罕開の急に赴き、以てその約を堅くせんと欲す。先ず罕羌を撃てば、先零は必ずこれを助けん。今、虜は馬肥え食足り、これを撃ちて未だ利を見ず、適々先零をして徳を罕羌に施し以て約を堅くせしむ。党は堅く勢は盛んにして、附く者は寝く多からん。臣は国家の憂いが二三歳にして已まざらんことを恐る。臣の計においては、先ず先零を誅さば、則ち罕開は兵を煩わさずして服せん。もし服せざれば、正月を須ちてこれを撃つも未だ晩からず。」と。上は充国の議に従う。充国は兵を引きて先零に至る。虜は久しく屯聚して解弛し、大軍を望み見て、車重を棄て、湟水を渡らんと欲す。道は阨狭にして、充国は徐ろに行きてこれを駆る。あるいは曰く、「利を逐うは宜しく亟やかなるべし。」と。充国は曰く、「これは窮寇なり、迫るべからず。これを緩めば走りて顧みず、これを急にすれば還りて死を致す。」と。諸校は皆曰く、「善し。」と。虜は水に赴き溺死する者数百、降る及び斬首五百余人。
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『智囊』不戰・趙充國遂に西のかた西部都尉府に至り、日々軍士を饗し、士は皆用を為さんことを欲す。虜は数々戦いを挑むも、充国は堅く守る。初め、罕開の豪靡当児は弟の雕庫をして都尉に告げしめて曰く、「先零将に反せんとす。」と。後数日にして、果たして反す。雕庫の種人は頗る先零の中に在り、都尉は即ち雕庫を留めて質と為す。充国は罪なしと以為い、遣わし帰して種豪に告げしむ、「大兵は罪ある者を誅す、並び滅ぼさるるを取るなかれ。能く相捕らえ斬る者は、罪を除く。大豪の罪ある者を斬る一人には、銭四十万を賜い、中豪は十五万、下豪は二万、大男は三千、女子及び老小は千銭。また捕らえる所の妻子財物を以てこれに与えん。」と。威信を以て罕開及び劫略せられし者を招降し、虜の謀を解散せしめんと欲す。酒泉太守辛武賢は上言す、「今、虜は朝夕に寇を為し、土地は寒苦にして、漢馬は冬を能くせず。馬食を益し、七月上旬を以て三十日の糧を齎し、兵を分かち張掖、酒泉より並び出でて、合して罕開を撃つべし。」と。天子はその議を下す。充国は以為らく、「駝は三十日の食を負い、また衣装兵器あり、以て追逐し難し。前の険に据り、後の阨を守り、以て糧道を絶てば、必ず傷危の患あらん。かつ先零は首として畔逆を為す、宜しく罕開の闇昧の過ちを捐て、先ず先零を誅して以てこれを震動すべし。」と。朝議は謂う、「先零は兵盛んにして罕開の助けを負う。先ず罕開を破らざれば、則ち先零は未だ図るべからず。」と。
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『智囊』不戰・趙充國先零、罕開は皆西羌の種にして、各々豪あり。数々相攻撃し、仇を成す。匈奴は諸羌を連合し、仇を解きて約を作らしむ。充国は、その秋に到りて変必ず起こらんと料り、宜しく使いを遣わして辺を行り預め備えを為すべしと。ここにおいて両府は義渠安国を遣わして諸辺を行視し、善悪を分別せしむ。安国は至りて、先零の諸豪三十余人を召し、尤も桀黠なるを以て、皆これを斬り、兵を縦にして千余級を斬る。諸降羌は悉く叛き、城邑を攻め、長吏を殺す。上は問う、「誰か将たるべき。」と。充国は対えて曰く、「老臣に逾ゆる者なし。」と。充国は時に年七十余。上は問う、「将軍は羌虜を度ること何如。当に幾人を用うべき。」と。充国は曰く、「百聞は一見に如かず。兵は隃り難し。臣は願わくは金城に馳せ至り、方略を図りて上らん。」と。充国は金城に至り、兵の万騎に満つるを須ちて、方に河を渡らんとす。虜に遮らるるを恐れ、即ち夜に三校を遣わして枚を銜ませ先に渡らしめ、渡れば輒ち営陣す。明に及びて、次を以て尽く渡る。虜数十百騎来たり、軍の旁らに出入す。充国は、これ驍騎は制し難く、かつ誘いならんかと恐れ、軍に戒めて撃つなからしめて曰く、「吾が士馬は新たに倦む、馳せ逐うべからず。虜を撃つは殄滅を以て期とす。小利は貪るに足らず。」と。騎を遣わして陿中を四望せしむるに、亡虜なし。夜に兵を引きて落都に至り、諸校司馬に謂いて曰く、「吾は羌の能く為すなきを知れり。もし数千人を発して杜ぎ四望、陿中を守らしめば、吾は豈に入るを得んや。」と。
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『智囊』不戰・趙充國兵は罕の地に至り、軍に令して聚落、芻牧の田中を燔くなからしむ。罕羌はこれを聞き、喜びて曰く、「漢は果たして我を撃たず。」と。豪靡忘は来たりて自ら帰す。充国は飲食を賜い、遣わし還して種人に諭さしむ。時に羌の降る者万余人なり。充国は羌の必ず壊るるを度り、騎兵を罷めて、万人を留めて屯田し、以てその敝を待たんことを請う。