長短経 / 息弁
〔議曰、夫人行皆著于迹、以本行而徴其迹、則善惡無所隱矣。夫辯者焉能逃其詐乎?〕《中論》曰、“水之寒也、火之熱也、金石之堅剛也。彼數物未嘗有言、而人莫不知其然者、信著乎其體。”〔故曰、使吾所行之信、如彼數物、誰其疑之?今不信吾之所行、而怨人之不信也。惑亦甚矣。〕故知行有本、事有迹。審觀其體、則無所竄情。
新字:〔議曰、夫人行皆著于迹、以本行而徴其迹、則善悪無所隠矣。夫弁者焉能逃其詐乎?〕《中論》曰、“水之寒也、火之熱也、金石之堅剛也。彼数物未嘗有言、而人莫不知其然者、信著乎其体。”〔故曰、使吾所行之信、如彼数物、誰其疑之?今不信吾之所行、而怨人之不信也。惑亦甚矣。〕故知行有本、事有迹。審観其体、則無所竄情。
書き下し
〔議に曰く、夫れ人の行いは皆迹に著る。本行を以て其の迹を徴さば、則ち善悪隠るる所無し。夫れ弁ずる者、焉んぞ能く其の詐を逃れんや。〕中論に曰く「水の寒き、火の熱き、金石の堅剛なる。彼の数物は未だ嘗て言有らず。而して人其の然るを知らざる莫きは、信其の体に著るればなり」と。〔故に曰く、吾が行う所の信をして、彼の数物の如くならしめば、誰か其れ之を疑わん。今、吾の行う所を信ぜずして、人の信ぜざるを怨むは、惑えることも亦た甚だし。〕故に知る、行いに本有り、事に迹有り。審らかに其の体を観れば、則ち情を竄す所無し。
現代語訳
〔論じて言う。人の行いは皆、跡に表れる。本来の行いによってその跡を確かめれば、善悪は隠れようがない。口のうまい者も、どうしてその偽りから逃れられようか。〕『中論』に言う。「水の冷たさ、火の熱さ、金石の硬さ。これらは一度も口をきいたことがないのに、誰もがそうだと知っているのは、その本体に確かさが表れているからだ」。〔だから、自分の行いの確かさを、これらの物のようにすれば、誰が疑おうか。いま自分の行いを確かにしないで、人が信じてくれないと恨むのは、ひどい惑いだ、と言う。〕だから、行いには根本があり、事には跡があるとわかる。その本体をよく観察すれば、実情を隠す場所はない。
解説
息弁の篇は、口先の弁舌を止めるには行いの跡を見よ、という主張です。水は冷たいと一度も言わないのに、誰もが水の冷たさを知っている。言葉ではなく、本体そのものが確かさを示しているからだ。自分が信じてもらえないと嘆く人は、まず自分の行いが水や火のように疑いようのない確かさを持っているかを問うべきだ。人を評価するときも、弁舌ではなく行いが残した跡を見れば、偽りは隠せないのです。
この章句が説くこと
息弁中論信頼行動実績弁舌
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