長短経 / 正論
雖周物之智、不能研其推變、山川之奥未足况其紆險、則應裕適事、難以常條。何以言之?若夫𤣥聖御代、則大同極軌、施舍之道、宜無殊典。而損益迭運、文樸遞行、用明居晦、迴遹於曩時、興戈陳爼參差於上世。及至戴黄屋、服絺衣、豐薄不齊、而致治則一。亦有宥公族、黥國讐寛躁已隔、而防非必同。此其分波而共源、百慮而一致者也。若乃偏情矯用、則枉直必過。故葛屨履霜、弊由崇儉、楚楚衣裳、戒在窮奢。踈禁厚下、以尾大陵弱、斂威峻法、以苛薄分崩。斯曹魏之刺、所以明乎國風、周秦末軌、所以彰于微滅。故用捨之端、興敗資焉。
新字:雖周物之智、不能研其推変、山川之奥未足況其紆険、則応裕適事、難以常条。何以言之?若夫玄聖御代、則大同極軌、施舎之道、宜無殊典。而損益迭運、文樸逓行、用明居晦、迴遹於曩時、興戈陳爼参差於上世。及至戴黄屋、服絺衣、豊薄不斉、而致治則一。亦有宥公族、黥国讐寛躁已隔、而防非必同。此其分波而共源、百慮而一致者也。若乃偏情矯用、則枉直必過。故葛屨履霜、弊由崇倹、楚楚衣裳、戒在窮奢。疎禁厚下、以尾大陵弱、斂威峻法、以苛薄分崩。斯曹魏之刺、所以明乎国風、周秦末軌、所以彰于微滅。故用捨之端、興敗資焉。
書き下し
周物の智と雖も、其の推変を研むる能わず。山川の奥も、未だ其の紆険に況うるに足らず。則ち裕に応じ事に適うは、常条を以てし難し。何を以て之を言うか。若し夫れ玄聖の代を御するは、則ち大同極軌にして、施舎の道、宜しく殊典無かるべし。而るに損益迭いに運り、文樸遞いに行わる。明を用い晦に居るは、曩時に迴遹し、戈を興し爼を陳ぬるは、上世に参差す。黄屋を戴き、絺衣を服するに至るに及び、豊薄斉しからずして、治を致すは則ち一なり。亦た公族を宥し、国讐を黥する有り。寛躁已に隔たるも、非を防ぐは必ず同じ。此れ其の波を分かちて源を共にし、百慮にして一致する者なり。若し乃ち偏情矯用すれば、則ち枉直必ず過ぐ。故に葛屨もて霜を履むは、弊は崇儉に由る。楚楚たる衣裳は、戒めは窮奢に在り。禁を疎にし下を厚くすれば、以て尾大にして弱を陵ぐ。威を斂め法を峻にすれば、以て苛薄にして分崩す。斯れ曹魏の刺、国風に明らかなる所以、周秦の末軌、微滅に彰るる所以なり。故に用捨の端、興敗焉に資る。
現代語訳
あらゆる物を知る智でも、その移り変わりを究めることはできない。山川の奥深さも、その曲がりくねった険しさの喩えには足りない。とすれば余裕をもって応じ事に適うことを、一定の条文で処理するのは難しい。なぜそう言うのか。奥深い聖人が世を治めれば、大いなる同一の極まった筋道となり、施しと捨て置きの道に別の規範があるはずがない。ところが増減は代わる代わるめぐり、飾りと素朴が交互に行われた。明を用いるか暗に身を置くかは昔と行き来し、戦を起こすか祭器を並べるかは上代とも食い違う。黄色い車蓋を戴く者と葛の衣を着る者とでは豊かさも薄さも等しくないが、治めるという点では一つである。公族を許す例もあれば、国の仇に入れ墨をする例もある。寛大と苛烈はかけ離れているが、非を防ぐという点では必ず同じである。これが流れを分けながら源を共にし、百の思案が一つに帰するということである。ところが偏った感情で無理に用いれば、曲げるにせよ直すにせよ必ず行き過ぎる。だから葛の履物で霜を踏むのは、倹約を尊びすぎた弊害である。きらびやかな衣裳は、極端な奢りへの戒めである。禁令をゆるめ下を厚くすれば、尾が大きくなって弱い本体を凌ぐ。威を締めて法を厳しくすれば、苛酷で薄情になって分裂する。これが曹魏へのそしりが国風に明らかである理由であり、周と秦の末路が衰滅に現れた理由である。だから用いるか捨てるかの判断に、興亡がかかっている。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』正論文子曰く「聖人の事に従うや、由る所は路を異にして帰を同じくす。秦・楚・燕・魏の歌は、転を異にして皆な楽しく、九夷八狄の哭は、声を異にして皆な哀し。夫れ歌なる者は、楽の微なり。哭なる者は、哀の効なり。中に愔愔として外に応ず。故に之を感ぜしむる所以に在るなり」と。論じて曰く、范曄称す「百家の政を言う者は、尚し。大略は根柢を寧固にし、時弊を革易するに帰す。而して遭運恒無く、意見偏雑す。故に是非の論、紛然として乖く」と。当に嘗試みに之を論ずべし。夫れ世は骨庭に非ず、人は鷇飲に乖く。理迹万肇、情故萌生す。
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『長短経』理乱故に曰く、善き者は之を勢に求めて、人を責めず。是の故に、明主は法度を審らかにして教令を布けば、則ち天下治まらん。〔左伝に曰く「国将に亡びんとすれば、必ず制多し」と。杜預云う「数しば法を変ずるなり」と。〕論に曰く、夫れ能く世を匡し政を輔くるの臣は、必ず先ず盛衰の道に明らかに、成敗の数に通じ、治乱の勢いに審らかに、用捨の宜しきに達す。然る後に機に臨みて惑わず、疑を見て能く断ず。王者の佐と為るは、未だ斯に由らざる者有らざるなり。
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