長短経 / 三国権
自更始敗後、光武方事山東、未遑西伐。闗中豪傑多擁衆歸述。其後平陵人荆邯見東方將平、兵且西向、説述曰、「兵者、帝王之大器、古今所不能廢也。隗囂遭遇運㑹、割有雍州、兵強士附、威加山東。不及此時推危乗勝、以争大命、而返欲為西伯之事、偃武息戈、卑辭事漢、喟然自以文王復出也。今漢帝釋闗隴之憂、專精東伐、四分天下而有其三。使西州豪傑、咸居心於山東。發間使、招攜貳、則五分而有其四。若舉兵天水、必至沮潰。天水既定、則九分而有其八。陛下以梁州之地、内奉萬乗、外給三軍、百姓愁困、不堪上命、将有王氏自潰之變。臣之愚計、以為宜及天人之望未絶、豪傑尚可招誘、急以此時發國内精兵。令田戎據江陵、臨江南之㑹、倚巫山之固、築壘堅守、傳檄吴楚、長沙以南、必随風而靡、令延岑出漢中、定三輔、天水、隴西拱手自服。如此海内震揺、冀有大利。」
新字:自更始敗後、光武方事山東、未遑西伐。関中豪傑多擁衆帰述。其後平陵人荆邯見東方将平、兵且西向、説述曰、「兵者、帝王之大器、古今所不能廃也。隗囂遭遇運会、割有雍州、兵強士附、威加山東。不及此時推危乗勝、以争大命、而返欲為西伯之事、偃武息戈、卑辞事漢、喟然自以文王復出也。今漢帝釈関隴之憂、専精東伐、四分天下而有其三。使西州豪傑、咸居心於山東。発間使、招攜貳、則五分而有其四。若舉兵天水、必至沮潰。天水既定、則九分而有其八。陛下以梁州之地、内奉万乗、外給三軍、百姓愁困、不堪上命、将有王氏自潰之変。臣之愚計、以為宜及天人之望未絶、豪傑尚可招誘、急以此時発国内精兵。令田戎拠江陵、臨江南之会、倚巫山之固、築塁堅守、伝檄呉楚、長沙以南、必随風而靡、令延岑出漢中、定三輔、天水、隴西拱手自服。如此海内震揺、冀有大利。」
書き下し
更始の敗れしより後、光武は方に山東を事とし、未だ西伐するに遑あらず。関中の豪傑、多く衆を擁して述に帰す。其の後、平陵の人荊邯、東方将に平らがんとし、兵且に西に向かわんとするを見て、述に説きて曰く「兵なる者は、帝王の大器にして、古今の廃すること能わざる所なり。隗囂は運会に遭遇し、雍州を割有し、兵強く士附き、威は山東に加わる。此の時に及びて危うきを推し勝ちに乗じて、以て大命を争わず、而して返りて西伯の事を為さんと欲し、武を偃せ戈を息め、辞を卑くして漢に事え、喟然として自ら以て文王の復た出づと為す。今、漢帝は関隴の憂いを釈き、専ら精を東伐に致し、天下を四分して其の三を有す。西州の豪傑をして、咸な心を山東に居かしめ、間使を発し、携弐を招かば、則ち五分して其の四を有たん。若し兵を天水に挙げば、必ず沮潰に至らん。天水既に定まらば、則ち九分して其の八を有たん。陛下は梁州の地を以て、内は万乗を奉じ、外は三軍に給し、百姓愁困して、上命に堪えず、将に王氏自潰の変有らんとす。臣の愚計、以為えらく、宜しく天人の望み未だ絶えず、豪傑尚お招誘すべきに及び、急ぎ此の時を以て国内の精兵を発すべし。田戎をして江陵に拠り、江南の会に臨み、巫山の固きに倚り、塁を築きて堅守し、檄を呉・楚に伝えしめば、長沙以南は必ず風に随いて靡かん。延岑をして漢中を出で、三輔・天水を定めしめば、隴西は手を拱きて自ら服せん。此くの如くんば海内震揺し、大利有らんことを冀う」と。
現代語訳
更始帝が敗れた後、光武帝は山東の平定にかかりきりで、西を伐つ暇がなかった。関中の豪傑の多くが兵を率いて公孫述に帰順した。その後、平陵の人荊邯は、東方が平定されかかり、漢の兵がやがて西へ向かうのを見て、公孫述に説いた。「兵は帝王の大切な道具で、昔から今まで廃することのできないものです。隗囂は時運に恵まれて雍州を押さえ、兵は強く士もなつき、威は山東にまで及びました。ところがこの時に危うい相手を押し勝ちに乗じて天命を争わず、かえって周の文王のような西伯の役を演じようとし、武器を収め、へりくだって漢に仕え、自分は文王の再来だとため息をついています。いま漢の皇帝は関中・隴西の心配を解き、東の征伐に専念し、天下を四つに分けてその三つを持っています。西の豪傑の心を山東に向けさせ、密使を送って二心ある者を招けば、五分の四を持つことになります。天水に兵を挙げれば、隗囂は必ず崩れます。天水が定まれば、九分の八を持ちます。陛下は梁州だけの地で、内には天子の暮らしを支え、外には三軍を養っているので、民は苦しんで命令に堪えられず、王莽のように内から崩れる変事が起きるでしょう。私の考えでは、天と人の望みがまだ絶えず、豪傑をまだ招ける今のうちに、急いで国中の精兵を出すべきです。田戎に江陵に拠らせ、江南の要に臨み、巫山の固さに頼って砦を築いて守らせ、呉・楚に檄を飛ばせば、長沙以南は風になびくように従います。延岑に漢中から出て三輔と天水を平定させれば、隴西は手をこまねいて服従します。こうすれば天下は揺れ動き、大きな利が得られると期待します」。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『潜夫論』救邊百姓新たに旧懐を離れ、思慕未だ衰えず、将い厲ますに易きなり。誠に宜しく此に因りて大将を遣わし、迫脅せらるる者を誅討し、離逖し之を破壊すべし。如し日月を寛仮し、富貴を蓄積し、各おの安固を懐くの後ならば、則ち動かし難し。《周書》に曰く、「凡そ彼の聖人は、必ず時に趨く。是の故に戦守の策は早く定めざるべからざるなり」と。
-
『新論』國體中其の弛張の機、用捨の権の如きは、則ち之に処するに方有り、之を発するに時有り。朝聘の疎数、去留の久近、職貢の軽重、征役の施舎は、一を執りて論ずべからず。其の変に通じ、民をして倦まざらしむるは、要は機会に投ずるに在るのみ。然らずんば則ち徒に旧轍を守りて以て天下を把持せんと欲するも、而も浜海寡弱の卒、或いは一たび敗衄を致さば、勢固より其の君を遣はして国に就かしめざるを得ざるなり。均しく之を遣はすに、先んじて自ら断ずることを為さず、情見はれ勢屈するに至りて、然る後已むを得ずして之を遣はさば、適に以て侮りを天下に取るに足るのみ。故に曰く、先んずれば則ち人を制し、後るれば則ち人に制せらると。今天下を制御せんと欲して、縦送磬控するは、其の機断と不断とに在り。古人曰く、断じて之を行へば、鬼神も之を避くと。況や行ふ所乃ち鬼神の祐くる所なるをや。
-
『智囊』遠猶・郭欽漢魏以来、羌・胡・鮮卑の降る者は、多く之を塞内の諸郡に処く。其の後、数ば忿恨に因りて、長吏を殺害し、漸く民の患いと為る。侍御史の郭欽、請う、呉を平らげたる威、謀臣猛将の略に及び、漸く内郡の雑胡を辺地に徙し、四夷の出入の防を峻にし、先王の荒服の制を明らかにせんことを。此れ万世の長策なり。聴かれず。卒に五胡の乱有り。〔馮述評〕只だ開国の余威の乗ずべき有るのみ。此れを失えば則ち能く為す無し。宋の初め、威を契丹に立つる能わず、卒に金・元の禍をして相い尋ぎて終始せしむ。我が太祖は北のかた金・元を逐い、威は沙漠に行われ、文皇は鼎を燕都に定め、三黎来庭す。豈に万世久安の計に非ずや。
-
『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
-
論語・郷党篇色みて斯に挙がり、翔りて後に集まる。曰く、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。」子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。
-
史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。