長短経 / 時宜
〔荀恱曰、「夫立䇿决勝之術、其要有三、一曰形、二曰勢、三曰情。形者、言其大體得失之數也。勢者、言其臨時之勢、進退之機也。情者、言其心志可否之實也。故䇿同事者、三術不同也。初、張耳說陳涉以復六國後、自為樹黨。酈生亦用此説漢王、所以説者事同、而得失異者、何哉?當陳渉之起也、天下皆欲亡秦、而楚、漢之分未有所定、今天下未必欲亡項也。且項羽力能率從六國、如秦之勢、則不能矣。故立六國于陳涉、所謂多已之黨、而益秦弊也。且陳渉未能專天下之土也、所謂取非其有、以徳于人、行虚惠而收實福也。立六國于漢王、所謂割已之有、而以資敵、設虚名而受實禍也。此事同而異形者也。〕
新字:〔荀恱曰、「夫立策決勝之術、其要有三、一曰形、二曰勢、三曰情。形者、言其大体得失之数也。勢者、言其臨時之勢、進退之機也。情者、言其心志可否之実也。故策同事者、三術不同也。初、張耳説陳渉以復六国後、自為樹党。酈生亦用此説漢王、所以説者事同、而得失異者、何哉?当陳渉之起也、天下皆欲亡秦、而楚、漢之分未有所定、今天下未必欲亡項也。且項羽力能率従六国、如秦之勢、則不能矣。故立六国于陳渉、所謂多已之党、而益秦弊也。且陳渉未能専天下之土也、所謂取非其有、以徳于人、行虚恵而収実福也。立六国于漢王、所謂割已之有、而以資敵、設虚名而受実禍也。此事同而異形者也。〕
書き下し
〔荀悦曰く「夫れ策を立て勝ちを決するの術は、其の要に三有り。一に曰く形、二に曰く勢、三に曰く情。形なる者は、其の大体得失の数を言うなり。勢なる者は、其の時に臨むの勢い、進退の機を言うなり。情なる者は、其の心志可否の実を言うなり。故に策は事を同じくする者も、三術同じからざるなり。初め、張耳は陳渉に説くに六国の後を復して、自ら為に党を樹つるを以てす。酈生も亦た此の説を用いて漢王に説く。説く所以の者は事同じくして、得失異なるは、何ぞや。陳渉の起こるに当たりてや、天下皆秦を亡ぼさんと欲す。而して楚漢の分は未だ定まる所有らず、今天下は未だ必ずしも項を亡ぼさんと欲せず。且つ項羽の力は能く六国を率従す。秦の勢いの如くならば、則ち能わざるなり。故に六国を陳渉に立つるは、所謂己の党を多くして、秦の弊を益すなり。且つ陳渉は未だ天下の土を専らにすること能わず。所謂其の有に非ざるを取りて、以て人に徳とし、虚恵を行いて実福を収むるなり。六国を漢王に立つるは、所謂己の有を割きて、以て敵に資し、虚名を設けて実禍を受くるなり。此れ事同じくして形を異にする者なり」と。〕
現代語訳
〔荀悦は言う。「策を立てて勝ちを決する術には、三つの要がある。一つ目は形、二つ目は勢、三つ目は情である。形とは、大局における得失の数のこと。勢とは、その時々の勢い、進退の機のこと。情とは、人の心と志が可か否かの実情のことである。だから同じ事柄の策でも、この三つの術が同じではない。はじめ張耳は陳渉に、六国の子孫を立てて自分の味方を作るよう説いた。酈食其も同じ説で漢王に説いた。説いた事柄は同じなのに、得失が違ったのはなぜか。陳渉が起ったとき、天下は皆秦を滅ぼしたいと思っていた。しかし楚漢の争いではまだ分け前が定まっておらず、天下は必ずしも項羽を滅ぼしたいとは思っていなかった。しかも項羽の力は六国を従えさせることができたが、秦の勢いではそれができなかった。だから陳渉のときに六国を立てるのは、自分の味方を増やして秦の弱りを深めることだった。しかも陳渉はまだ天下の土地を持っていなかったので、自分のものでないものを取って人に恩を施し、空の恵みで実の福を収めることになった。漢王のときに六国を立てるのは、自分のものを割いて敵に与え、空の名を作って実の禍を受けることだった。これが、事柄は同じでも形が異なるということである」。〕
解説

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