長短経 / 品目
《家語》曰、「昔者明王必盡知天下良士之名、既知其名、又知其實、然後用天下之爵以尊之、則天下理也。」此之謂矣。
新字:《家語》曰、「昔者明王必尽知天下良士之名、既知其名、又知其実、然後用天下之爵以尊之、則天下理也。」此之謂矣。
書き下し
家語に曰く「昔者、明王は必ず尽く天下の良士の名を知る。既に其の名を知り、又た其の実を知る。然る後に天下の爵を用いて以て之を尊べば、則ち天下理まる」と。此れ之を謂うなり。
現代語訳
孔子家語にこうある。「昔、明君は必ず天下の優れた人物の名をすべて知っていた。その名を知ったうえで、さらにその実際を知った。そのうえで天下の爵位を使ってその人物を尊べば、天下は治まる」。まさにこのことを言っている。
解説
品目篇の結びです。人を用いる順序が三段階で示されます。名を知る、実を知る、そのうえで位を与える。多くの人事は一段目と三段目だけで行われます。評判が高いから登用する。その間にあるはずの、実際に何ができるのかを自分で確かめる段が抜け落ちるのです。長短経がここまで延々と人物の型を並べてきたのは、この二段目を持つための道具立てでした。名と実の距離を測る手間を惜しまないこと、それが明王の条件です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人材登用名実人物鑑識孔子家語評判爵
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