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長短経 / 運命

又曰、「不得其死。」又曰、「幸而免」者、夫死生有命、其正理也、不得其死、者未可以死而死也、幸而免者、可以死而不死也。此皆性命三勢之理也。〔昔虢太子死、扁鵲治而生之、扁鵲曰、「我非能生死人者、我能治可生者耳。」然不遇扁鵲、亦不生耳若夫膏肓之病、雖醫和不能治矣。故曰、死生有命、其正理也、不得其死、者未可死而死也、幸而免者、可以死而不死也。此荀悅論性命三勢之理也。揚子《法言》云、或問、「夀可益乎?」曰、「徳。」或問「回、牛之行徳矣!曷夀之不益也?」曰、「徳故爾。如回之殘、牛之賊、焉得爾曰、「殘賊或夀。」曰、「彼妄也、君子不妄也。」〕

新字:又曰、「不得其死。」又曰、「幸而免」者、夫死生有命、其正理也、不得其死、者未可以死而死也、幸而免者、可以死而不死也。此皆性命三勢之理也。〔昔虢太子死、扁鵲治而生之、扁鵲曰、「我非能生死人者、我能治可生者耳。」然不遇扁鵲、亦不生耳若夫膏肓之病、雖医和不能治矣。故曰、死生有命、其正理也、不得其死、者未可死而死也、幸而免者、可以死而不死也。此荀悦論性命三勢之理也。揚子《法言》云、或問、「寿可益乎?」曰、「徳。」或問「回、牛之行徳矣!曷寿之不益也?」曰、「徳故爾。如回之残、牛之賊、焉得爾曰、「残賊或寿。」曰、「彼妄也、君子不妄也。」〕

書き下し

又た曰く「其の死を得ず」と。又た曰く「幸いにして免る」と。夫れ死生命有るは、其の正理なり。其の死を得ざる者は、未だ以て死すべからずして死するなり。幸いにして免るる者は、以て死すべくして死せざるなり。此れ皆性命三勢の理なり。〔昔、虢の太子死す。扁鵲治して之を生かす。扁鵲曰く「我は能く死人を生かす者に非ず。我は能く生くべき者を治するのみ」と。然れども扁鵲に遇わずんば、亦た生きざるのみ。夫の膏肓の病の若きは、医和と雖も治すること能わず。故に曰く、死生命有るは、其の正理なり。其の死を得ざる者は、未だ死すべからずして死するなり。幸いにして免るる者は、以て死すべくして死せざるなり。此れ荀悦の性命三勢の理を論ずるなり。揚子の法言に云う、或るひと問う「寿は益すべきか」と。曰く「徳」と。或るひと問う「回・牛の行いは徳なり。曷ぞ寿の益さざる」と。曰く「徳の故に爾り。回の残、牛の賊の如くんば、焉んぞ爾るを得ん」と。曰く「残賊も或いは寿なり」と。曰く「彼は妄なり。君子は妄ならざるなり」と。〕

現代語訳

また孔子は「まともな死に方ができない」とも、「幸いにして免れた」とも言った。死生に命があるのは正しい道理である。まともな死に方ができないのは、まだ死ぬべきでないのに死ぬことである。幸いにして免れるのは、死ぬはずなのに死なないことである。これらは皆、性命の三つの形勢の道理である。〔昔、虢の太子が死んだとき、扁鵲が治療して生き返らせた。扁鵲は言った。「私は死人を生き返らせることができるのではない。生きられる者を治せるだけだ」。しかし扁鵲に出会わなければ、太子は生きなかった。膏肓に入った病なら、名医の医和でも治せない。だから、死生に命があるのは正しい道理であり、まともな死に方ができないのはまだ死ぬべきでないのに死ぬこと、幸いにして免れるのは死ぬはずなのに死なないことだと言う。これが荀悦の性命三勢の論である。揚雄の『法言』に言う。ある人が「寿命は延ばせるか」と問うと、「徳によって」と答えた。「顔回や冉伯牛の行いは徳があったのに、なぜ寿命が延びなかったのか」と問うと、「徳があったからあれだけ生きたのだ。もし顔回が残忍で冉伯牛が悪人だったら、あれだけ生きられただろうか」と答えた。「残忍な悪人でも長生きする者がいる」と言うと、「それはまぐれだ。君子はまぐれを頼まない」と答えた。〕

解説

荀悦は運命を三つに分けます。定められた寿命で死ぬのが正しい道理。本来死ぬはずでないのに死ぬのが不慮の死。本来死ぬはずなのに助かるのが幸運。扁鵲は、自分は死人を生かすのではなく、生きられる人を治すだけだと言った。治る病でも名医に会えなければ死に、治らない病は名医でも治せない。揚雄は、悪人の長生きはまぐれで、君子はまぐれを頼まないと答えます。努力は運命を全て変えはしないが、変えられる範囲を確実に生かすのです。

この章句が説くこと

運命荀悦扁鵲揚雄三勢努力

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