長短経 / 懼戒
昔秦絶聖人之道、殺術士、燔《詩》、《書》、棄禮義、尚詐力、任刑罰、轉負海之粟、致之西河。當是之時、男子疾耕、不足于糟糠、女子紡績不足以盖形。遣蒙恬築長城、東西數千里、暴露兵師、常數十萬。死者不可勝數、殭屍千里、流血頃畝、百姓力竭、故欲為亂者十家而五。又使徐福入海求異物及延年益夀之藥、還為偽辭曰、『臣見海中大神、曰、以令名振男女〔振、童男女也。、〕與百工之事、即得之矣。』秦皇大悦、遣振男女三千人、資之種種百工而行。徐福得平原廣澤、止王不來。於是百姓悲痛相思、欲為亂者十家而六、又使尉佗踰五嶺、攻百越。尉佗知中國勞極、止王不來、使人上書、求女無夫家者三萬人、以為士卒衣補。秦皇可其萬五千人。于是百姓離心瓦解、欲為亂者十家而七。
新字:昔秦絶聖人之道、殺術士、燔《詩》、《書》、棄礼義、尚詐力、任刑罰、転負海之粟、致之西河。当是之時、男子疾耕、不足于糟糠、女子紡績不足以盖形。遣蒙恬築長城、東西数千里、暴露兵師、常数十万。死者不可勝数、殭屍千里、流血頃畝、百姓力竭、故欲為乱者十家而五。又使徐福入海求異物及延年益寿之薬、還為偽辞曰、『臣見海中大神、曰、以令名振男女〔振、童男女也。、〕与百工之事、即得之矣。』秦皇大悦、遣振男女三千人、資之種種百工而行。徐福得平原広沢、止王不来。於是百姓悲痛相思、欲為乱者十家而六、又使尉佗踰五嶺、攻百越。尉佗知中国労極、止王不来、使人上書、求女無夫家者三万人、以為士卒衣補。秦皇可其万五千人。于是百姓離心瓦解、欲為乱者十家而七。
書き下し
昔、秦は聖人の道を絶ち、術士を殺し、詩・書を燔き、礼義を棄て、詐力を尚び、刑罰に任せ、負海の粟を転じて、之を西河に致す。是の時に当たりて、男子は疾く耕すも糟糠に足らず、女子は紡績するも以て形を蓋うに足らず。蒙恬を遣わして長城を築かしむること東西数千里、兵師を暴露すること常に数十万。死者は勝げて数うべからず。殭屍千里、流血頃畝。百姓力竭き、故に乱を為さんと欲する者十家にして五。又た徐福をして海に入りて異物及び延年益寿の薬を求めしむ。還りて偽辞を為して曰く『臣、海中の大神に見ゆ。曰く、令名の振男女と百工の事とを以てせば、即ち之を得ん』と。秦皇大いに悦び、振男女三千人を遣わし、之に資するに種種の百工を以てして行かしむ。徐福、平原広沢を得て、止まりて王たりて来たらず。是に於て百姓悲痛相思い、乱を為さんと欲する者十家にして六。又た尉佗をして五嶺を踰えて百越を攻めしむ。尉佗、中国の労極まるを知り、止まりて王たりて来たらず。人をして上書せしめ、女の夫家無き者三万人を求めて、以て士卒の衣補と為す。秦皇、其の万五千人を可とす。是に於て百姓離心瓦解し、乱を為さんと欲する者十家にして七。
現代語訳
昔、秦は聖人の道を絶ち、学者を殺し、『詩経』『書経』を焼き、礼義を捨て、詐術と力を尊び、刑罰に頼り、海辺の穀物を西河まで運ばせた。そのころ、男は懸命に耕しても酒かすや糠にさえ足りず、女は糸を紡いでも体を覆うにも足りなかった。蒙恬を遣わして東西数千里の長城を築かせ、常に数十万の兵を野にさらした。死者は数えきれず、屍は千里に横たわり、流れた血は田畑を満たした。民の力は尽き、乱を起こそうと思う家が十軒に五軒になった。また徐福を海に出して珍しい物と長寿の薬を探させた。徐福は戻って偽って言った。『海の大神に会いました。良家の童男童女と、さまざまな職人を差し出せば得られると言われました』。始皇帝は大いに喜び、童男童女三千人を送り、さまざまな職人をつけて行かせた。徐福は平原と広い沢を見つけ、そこにとどまって王となり戻らなかった。民は悲しみ痛んで子らを思い、乱を起こそうと思う家が十軒に六軒になった。また尉佗に五嶺を越えて百越を攻めさせた。尉佗は中国が疲れ切っているのを知り、そこにとどまって王となり戻らなかった。人に上書させて、夫のいない女三万人を兵の衣服の繕いのために求め、始皇帝はそのうち一万五千人を許した。そこで民の心は離れて瓦のように崩れ、乱を起こそうと思う家が十軒に七軒になった。
解説

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史記 淮南衡山列伝昔秦聖人の道を絶ち、術士を殺し、詩書を燔き、礼義を棄て、詐力を尚び、刑罰に任じ、負海の粟を転じて之を西河に致す。是の時に当たり、男子疾く耕すも糟糠に足らず、女子紡績するも形を蓋ふに足らず。蒙恬を遣はして長城を築かしむ、東西数千里、兵を暴し師を露すこと常に数十万、死者勝げて数ふべからず、僵尸千里、流血頃畝、百姓力竭き、乱を為さんと欲する者十家にして五。又徐福をして海に入りて神異の物を求めしむ、還りて偽辞を為して曰く、『臣海中の大神を見る、言ひて曰く、「汝は西皇の使ひか」と。臣答へて曰く、「然り」と。「汝何をか求むる」と。曰く、「願はくは延年益寿の薬を請はん」と。神曰く、「汝の秦王の礼薄し、観るを得るも取るを得ず」と。即ち臣に従ひて東南して蓬萊山に至り、芝の宮闕を成し、使者の銅色にして龍形なる有り、光上りて天を照らすを見る。是に於て臣再拝して問ひて曰く、「宜しく何を資として以て献ずべき」と。海神曰く、「令名の男子若しくは振女と百工の事とを以てせば、即ち之を得ん」と』と。秦の皇帝大いに説び、振男女三千人を遣はし、之に五穀の種種・百工を資して行かしむ。徐福平原広沢を得て、止まり王として来たらず。是に於て百姓悲痛して相思ひ、乱を為さんと欲する者十家にして六。又尉佗をして五嶺を踰えて百越を攻めしむ。尉佗中国の労極まるを知り、止まり王として来たらず、人をして上書せしめ、女の夫家無き者三万人を求め、以て士卒の衣補を為さんとす。秦の皇帝其の万五千人を可とす。是に於て百姓心を離して瓦解し、乱を為さんと欲する者十家にして七。客高皇帝に謂ひて曰く、『時可なり』と。高皇帝曰く、『之を待て、聖人当に東南の間に起こるべし』と。一年ならずして、陳勝・呉広発す。高皇豊沛に始まり、一たび倡へて天下期せずして響応する者勝げて数ふべからざるなり。此れ所謂瑕を蹈み間を候ひ、秦の亡ぶるに因りて動く者なり。
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『長短経』懼戒王怒る。被、死罪を謝す。王曰く「陳勝・呉広は立錐の地無く、千人の衆もて、大沢に起こり、臂を奮いて大呼して天下響応し、西して戯に至りて兵百万なり。今、吾が国小なりと雖も、然れども勝兵の者、十余万を得べし。直だ適戍の衆、鐖鑿棘矜のみに非ざるなり。公何を以て禍有りて福無しと言う」と。被曰く「秦は無道にして、天下を残賊す。万乗の駕を興し、阿房の宮を作り、太半の賦を収め、閭左の戍を発す。父は子を寧んぜず、兄は弟を便とせず。政苛しく刑峻しく、天下は熬然として燋かるるが若し。民は皆領を引きて望み、耳を傾けて聴き、悲号して天を仰ぎ、心を扣きて上を怨む。故に陳勝一たび呼びて、天下響応す。当今、陛下は天下に臨制し、海内を一斉にし、汎く蒸庶を愛し、徳を布き恵を施す。口未だ言わずと雖も、声は雷霆より疾く、令未だ出でずと雖も、化の馳すること神の如し。心に懐く所有れば、威は万里を動かし、下の上に応ずること、猶お影響のごとし。而して大将軍の材能は、特に章邯・楊熊のみに非ざるなり。大王、陳勝・呉広を以て之に喩う。被以為えらく過てり」と。
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『長短経』覇図秦の天下を蚕食し、戦国を并呑し、海内の政を一にし、諸侯の城を壊し、法厳に政峻しく、諂諛する者衆きに至るに及ぶ。蒙恬をして兵を将いて北のかた胡を攻めしめ、尉佗をして卒を将いて以て粤を戍らしむ。兵を無用の地に宿して、人、生を聊んぜず。始皇崩じ、天下大いに叛く。陳勝・呉広、陳に挙がる。
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史記 淮南衡山列伝王曰く、「左呉・趙賢・朱驕如は皆以て福有り、什事にして九成ると為す、公独り以て禍有りて福無しと為すは、何ぞや」と。被曰く、「大王の群臣近幸の素より能く衆を使ふ者は、皆前に詔獄に繋がる、余は用ふべき者無し」と。王曰く、「陳勝・呉広は立錐の地無く、千人の聚まり、大沢に起こり、臂を奮ひて大呼して天下響応し、西して戯に至りて兵百二十万。今吾が国小なりと雖も、然れども勝兵の者十余万を得べし、直だに適戍の衆、釠鑿棘矜のみに非ざるなり、公何を以て禍有りて福無しと言ふや」と。被曰く、「往者秦無道を為し、天下を残賊す。万乗の駕を興し、阿房の宮を作り、太半の賦を収め、閭左の戍を発し、父は子を寧んぜず、兄は弟を便ぜず、政苛く刑峻しく、天下熬然として焦がるるが若く、民皆領を引きて望み、耳を傾けて聴き、悲号して天を仰ぎ、心を叩きて上を怨む、故に陳勝大呼して、天下響応す。当今陛下天下に臨制し、海内を一斉にし、汎く蒸庶を愛し、徳を布き恵みを施す。口未だ言はずと雖も、声は雷霆より疾く、令未だ出でずと雖も、化の馳すること神の如く、心に懐く所有らば、威万里を動かし、下の上に応ずること、猶ほ影響のごときなり。而して大将軍の材能は特に章邯・楊熊のみにあらざるなり。大王陳勝・呉広を以て之を諭す、被以て過てりと為す」と。王曰く、「茍も公の言の如くならば、徼幸すべからざるか」と。被曰く、「被に愚計有り」と。王曰く、「柰何」と。被曰く、「当今諸侯異心無く、百姓怨気無し。朔方の郡は田地広く、水草美し、民の徙る者以て其の地を実たすに足らず。臣の愚計、偽りて丞相御史の請書を為り、郡国の豪桀任侠及び耐罪以上有るものを徙し、赦令して其の罪を除き、産五十万以上の者は、皆其の家属を朔方の郡に徙し、益々甲卒を発し、其の会日を急にすべし。
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『長短経』懼戒〔議に曰く、班固云う「昔、詩・書は虞・夏の際を述ぶ。舜・禹の禅りを受くるや、徳を積み仁を累ぬること数十年、然る後に位に在り。殷・周の王たるや、乃ち契・稷より、十余世を歴て、然る後に放殺す」と。秦は襄公より起こり、始めて六国を蚕食し、始皇に至りて、乃ち天下を并す。秦既に帝を称し、周の敗を患い、以為えらく、諸侯力争し、弱を以て奪わると。是に於て五等を削去し、城を堕ち刃を銷かし、語を箝し書を焼き、内は雄俊を鉏き、外は胡越を攘い、一の威権を用いて、以て万世の安と為す。然れども十余年の間、強敵は不虞に横発し、謫戍は五霸より強く、閭閻は戎狄より逼り、響応は謗議より憯しく、奮臂は甲兵より威あり。向の秦の禁は、適に豪傑に資して、自ら其の斃を速むる所以なり。是に由りて之を観れば、夫れ豪傑の資は、虐政に在り。〕
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史記 平津侯主父列伝行ふこと十余年、丁男甲を被り、丁女転輸し、苦しみて生を聊んぜず、道樹に自経し、死者相望む。秦の皇帝崩ずるに及び、天下大いに叛く。陳勝・呉広陳に挙がり、武臣・張耳趙に挙がり、項梁呉に挙がり、田儋斉に挙がり、景駒郢に挙がり、周市魏に挙がり、韓広燕に挙がり、窮山通谷の豪士并び起こり、勝げて載すべからざるなり。然れども皆公侯の後に非ず、長官の吏に非ざるなり。尺寸の勢ひ無く、閭巷に起こり、棘矜を杖き、時に応じて皆動き、謀らずして倶に起こり、約せずして同じく会し、壌長じ地進み、霸王に至る、時教へて然らしむるなり。秦は貴きこと天子為り、富は天下を有つも、世を滅ぼし祀を絶つ者は、兵を窮むるの禍ひなり。故に周は之を弱きに失ひ、秦は之を彊きに失ふ、変ぜざるの患ひなり。今南夷を招き、夜郎を朝せしめ、羌僰を降し、濊州を略し、城邑を建て、深く匈奴に入り、其の蘢城を燔かんと欲す、議する者之を美とす。此れ人臣の利なり、天下の長策に非ざるなり。今中国に狗吠の驚き無くして、外は遠方の備へに累はされ、国家を靡敝す、民を子とする所以に非ざるなり。無窮の欲を行ひ、心に甘んじ意を快くし、怨みを匈奴に結ぶは、辺を安んずる所以に非ざるなり。禍結びて解けず、兵休みて復た起こり、近き者は愁苦し、遠き者は驚駭す、久しきを持する所以に非ざるなり。今天下甲を鍛へ剣を砥ぎ、箭を橋め弦を累ね、転輸して糧を運び、未だ休む時を見ず、此れ天下の共に憂ふる所なり。夫れ兵久しくして変起こり、事煩はしくして慮生ず。今外郡の地或いは幾千里、列城数十、形束ね壌制し、旁ら諸侯を脅かす、公室の利に非ざるなり。上は斉晋の亡ぶる所以の者を観るに、公室卑削して、六卿大いに盛んなればなり。下は秦の滅ぶる所以の者を観るに、厳法刻深にして、欲大いに窮まり無ければなり。