長短経 / 三国権
後主禪即位。〔下詔曰、「朕聞善積者昌、禍積者喪、古今常數也。曩者漢祚中㣲網漏凶慝、董卓造難、震蕩京畿、曹操階禍、竊執天衡、子丕孤竪敢尋亂階、盗據神器、更姓改物、世濟其㐫當此之時、天下無主、則我帝命殞越於下。昭烈皇帝光演文武、存復祖業、誕膺皇綱、不墜於地。萬國未靖、早世遐殂、朕以幼冲繼統鴻業、未習保傅之訓、而嬰祖宗之重、光載前緒、未有攸濟、朕甚懼焉諸葛丞相𢎞毅忠壯、忘身憂國、今授之以旄鉞之重、付之以専命之權、統領歩騎二十萬衆、董督元戎、龔行天罰除患寜亂、克復舊都、在此行也。伐其元帥、弔其殘人、他如詔書律令者也。」〕
新字:後主禅即位。〔下詔曰、「朕聞善積者昌、禍積者喪、古今常数也。曩者漢祚中微網漏凶慝、董卓造難、震蕩京畿、曹操階禍、窃執天衡、子丕孤竪敢尋乱階、盗拠神器、更姓改物、世済其凶当此之時、天下無主、則我帝命殞越於下。昭烈皇帝光演文武、存復祖業、誕膺皇綱、不墜於地。万国未靖、早世遐殂、朕以幼沖継統鴻業、未習保傅之訓、而嬰祖宗之重、光載前緒、未有攸済、朕甚懼焉諸葛丞相弘毅忠壮、忘身憂国、今授之以旄鉞之重、付之以専命之権、統領歩騎二十万衆、董督元戎、龔行天罰除患寜乱、克復旧都、在此行也。伐其元帥、弔其残人、他如詔書律令者也。」〕
書き下し
後主禅、位に即く。〔詔を下して曰く「朕聞く、善の積む者は昌え、禍の積む者は喪ぶ、古今の常数なり、と。曩者、漢祚中ごろ微にして、網は凶慝を漏らす。董卓は難を造りて、京畿を震蕩し、曹操は禍に階りて、天衡を竊み執る。子の丕は孤豎にして、敢えて乱階を尋ね、神器を盗み拠り、姓を更め物を改め、世々其の凶を済す。此の時に当たりて、天下に主無く、則ち我が帝命、下に殞越す。昭烈皇帝は文武を光演し、祖業を存復し、誕いに皇綱を膺けて、地に墜ちず。万国未だ靖まらざるに、早世して遐かに殂す。朕は幼沖を以て鴻業を継統し、未だ保傅の訓を習わずして、祖宗の重きに嬰る。前緒を光載するも、未だ済す攸有らず。朕甚だ焉を懼る。諸葛丞相は弘毅忠壮にして、身を忘れて国を憂う。今、之に授くるに旄鉞の重きを以てし、之に付するに専命の権を以てし、歩騎二十万の衆を統領し、元戎を董督し、龔んで天罰を行わしむ。患いを除き乱を寧んじ、旧都を克復するは、此の行に在り。其の元帥を伐ち、其の残人を弔い、他は詔書律令の如くせよ」と。〕
現代語訳
後主劉禅が即位した。〔詔を下して言った。「善を積む者は栄え、禍を積む者は滅ぶ、というのが古今変わらぬ道理だと聞く。かつて漢の天運が中ごろ衰え、網の目から凶悪な者が漏れ出た。董卓は乱を起こして都を揺るがし、曹操は禍に乗じて天下の権を盗み握った。その子曹丕は取るに足らぬ小僧でありながら、あえて乱の階段を上り、帝位を盗み、姓を改め制度を変え、代々その悪を重ねた。このとき天下に主がなく、わが帝命は地に落ちかけた。昭烈皇帝は文武の徳を輝かせ、祖先の業を立て直し、大いに皇統を受けて地に落とさなかった。しかし天下がまだ静まらないうちに、早くに世を去られた。朕は幼くして大業を継ぎ、守り役の教えもまだ受けないうちに、祖宗の重責を負った。先帝の業を輝かせようとしても、まだ成し遂げたものがない。朕はそれをひどく恐れている。諸葛丞相は度量が広く意志強く、忠実で勇壮であり、身を忘れて国を憂えている。いま丞相に旗と鉞の重い権限を授け、独断で命を下す権を与え、歩兵・騎兵二十万を統べ、全軍を督させ、謹んで天罰を行わせる。禍を除き乱を鎮め、旧都を取り戻すのは、この遠征にかかっている。敵の元帥を伐ち、苦しむ民を慰めよ。その他は詔書と律令のとおりにせよ」。〕
解説

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『墨子』魯問魯陽文君、将に鄭を攻めんとす。子墨子、聞きて之を止め、陽文君に謂いて曰く、「今、魯の四境の内をして、大都、其の小都を攻め、大家、其の小家を伐ち、其の民を殺し、人、其の牛馬狗豕布帛米粟貨財を取らしめば、則ち何若」と。魯陽文君曰く、「魯の四境の内は、皆な寡人の臣なり。今、大都、其の小都を攻め、大家、其の小家を伐ち、之が貨財を奪わば、則ち寡人、必ず将に厚く之を罰せんとす」と。子墨子曰く、「夫れ天の兼ねて天下を有つや、亦た猶お君の四境の内を有つがごときなり。今、兵を舉げて将に以て鄭を攻めんとす。天の誅、其れ至らざらんや」と。魯陽文君曰く、「先生、我が鄭を攻むるを止むるか。我が鄭を攻むるは天の志に順う。鄭人、三世、其の父を殺す。天、誅を加えて、三年、登らざらしむ。我れ将に天の誅を助けんとす」と。子墨子曰く、「鄭人、三世、其の父を殺して、天、誅を加え、三年、登らざらしむ。天の誅、足れり。今、又た兵を舉げて将に以て鄭を攻めんとして、曰く、『吾が鄭を攻むるや、天の志に順う』と。譬えば人、此に有り。其の子、强梁にして不材なり。故に其の父、之を笞つ。其の鄰家の父、木を舉げて之を擊ちて曰く、『吾れ之を擊つや、其の父の志に順う』と。則ち豈に悖らざらんや」と。
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