長短経 / 覇図
山陽至江安、果疑不止。頴胄乃斬天武、送山陽、信之。至荆州、馳入城、將踰閾懸門、發折其轅、投車而走。陳秀抜㦸逐之、斬於門外。頴胄即遣馹使傳首於帝、仍以南康王尊號之、議來告曰、「時不利、當須待來年二月。」帝答曰、「今坐甲十萬、糧用日竭。若頓兵十旬、必生悔吝。且太白出西方、仗義而動、天時人謀、有何不利?昔武王伐紂、行逆太嵗、復須待來年耶?」帝不從、乃赫然大號也。〕
新字:山陽至江安、果疑不止。頴胄乃斬天武、送山陽、信之。至荆州、馳入城、将踰閾懸門、発折其轅、投車而走。陳秀抜戟逐之、斬於門外。頴胄即遣馹使伝首於帝、仍以南康王尊号之、議来告曰、「時不利、当須待来年二月。」帝答曰、「今坐甲十万、糧用日竭。若頓兵十旬、必生悔吝。且太白出西方、仗義而動、天時人謀、有何不利?昔武王伐紂、行逆太歳、復須待来年耶?」帝不従、乃赫然大号也。〕
書き下し
山陽、江安に至り、果たして疑うこと止まず。穎冑、乃ち天武を斬り、山陽に送る。之を信ず。荊州に至り、馳せて城に入る。将に閾を踰えんとするに、懸門、発して其の轅を折る。車を投じて走る。陳秀、戟を抜きて之を逐い、門外に斬る。穎冑、即ち馹使を遣わして首を帝に伝え、仍りて南康王を以て之を尊号し、議して来たり告げて曰く「時、利あらず。当に須らく来年二月を待つべし」と。帝、答えて曰く「今、坐甲十万、糧用日に竭く。若し兵を頓すること十旬ならば、必ず悔吝を生ぜん。且つ太白、西方に出づ。義に仗りて動く。天の時、人の謀、何の不利有らんや。昔、武王の紂を伐つや、行きて太歳に逆らう。復た来年を待つを須たんや」と。帝、従わず、乃ち赫然として大いに号するなり。〉
現代語訳
劉山陽は江安に着いて、果たして疑いが止まなかった。蕭穎冑は王天武を斬って劉山陽に送った。劉山陽はこれを信じた。荊州に着いて、馬を駆って城に入った。敷居を越えようとしたとき、落とし門が落ちて車の轅を折った。車を捨てて逃げた。陳秀が戟を抜いて追い、門外で斬った。蕭穎冑はすぐ早馬の使者を送って首を蕭衍に届け、南康王に尊号を奉ることを議して告げてきた。「時機がよくない。来年二月まで待つべきです」。蕭衍は答えた。「いま武装した兵が十万、兵糧は日に日に尽きる。もし兵を百日も留めれば、必ず悔いが生じる。それに金星が西に出ている。義によって動くのだ。天の時も人の謀も、何の不利があろう。昔、武王が紂を伐ったときは、行軍が太歳に逆らっていた。来年まで待つ必要があろうか」。蕭衍は従わず、勢いよく旗を掲げた。〉
解説

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