長短経 / 道徳
黄石公曰、“軍井未達、將不言渇軍幕未辦、將不言倦。冬不服裘、夏不操扇、是謂禮將。與之安、與之危、故其衆可合而不可離、可用而不可疲。”接之以禮、厲之以辭〔厲士以見危授命之辭也、〕則士死之。是以含蓼問疾、越王伯于諸侯、吮疽恤士、吳起淩于敵國。陽門慟哭、勝三晉之兵、單醪投河、感一軍之士。勇者為之鬬、智者為之憂。視死若歸、計不旋踵者、以其恩養素畜、䇿謀和同也。故曰、“畜恩不倦、以一取萬。”語曰、“積恩不已、天下可使。”此道徳之畧也。
新字:黄石公曰、“軍井未達、将不言渇軍幕未辦、将不言倦。冬不服裘、夏不操扇、是謂礼将。与之安、与之危、故其衆可合而不可離、可用而不可疲。”接之以礼、厲之以辞〔厲士以見危授命之辞也、〕則士死之。是以含蓼問疾、越王伯于諸侯、吮疽恤士、呉起淩于敵国。陽門慟哭、勝三晋之兵、単醪投河、感一軍之士。勇者為之闘、智者為之憂。視死若帰、計不旋踵者、以其恩養素畜、策謀和同也。故曰、“畜恩不倦、以一取万。”語曰、“積恩不已、天下可使。”此道徳之略也。
書き下し
黄石公曰く「軍井未だ達せざれば、将は渇くと言わず。軍幕未だ弁ぜざれば、将は倦むと言わず。冬は裘を服せず、夏は扇を操らず。是れ礼将と謂う。之と安んじ、之と危うくす。故に其の衆は合すべくして離るべからず、用うべくして疲らすべからず」と。之に接するに礼を以てし、之を厲ますに辞を以てすれば〔士を厲ますに危うきを見て命を授くるの辞を以てするなり〕、則ち士之に死す。是を以て蓼を含み疾を問いて、越王は諸侯に伯たり。疽を吮い士を恤れみて、呉起は敵国を凌ぐ。陽門に慟哭して、三晋の兵に勝ち、単醪を河に投じて、一軍の士を感ぜしむ。勇者は之が為に闘い、智者は之が為に憂う。死を視ること帰するが若く、計りて踵を旋らさざる者は、其の恩養素より畜え、策謀和同するを以てなり。故に曰く「恩を畜うること倦まざれば、一を以て万を取る」と。語に曰く「恩を積みて已まざれば、天下使うべし」と。此れ道徳の略なり。
現代語訳
黄石公は言った。「軍の井戸がまだ水に届かなければ、将は喉が渇いたと言わない。軍の幕舎がまだ整わなければ、将は疲れたと言わない。冬は皮衣を着ず、夏は扇を使わない。これを礼ある将という。兵とともに安らぎ、ともに危うさに臨む。だからその兵は集まって離れず、使っても疲れさせない」。礼をもって接し、言葉で励ませば〔危うきを見て命を捧げるよう兵を励ます言葉である〕、兵は将のために死ぬ。だから苦い蓼を口に含み病人を見舞った越王句践は諸侯の覇者となり、兵のできものの膿を吸って兵を労わった呉起は敵国をしのいだ。陽門で死んだ兵のために号泣した宋は三晋の兵に勝ち、一樽の酒を川に注いで皆で飲んだ将は全軍の兵を感動させた。勇者はその将のために戦い、知者はその将のために心を砕く。死を故郷に帰るように見なし、計略を立てて後ずさりしないのは、日ごろから恩を施して養い、策と心を一つにしているからである。だから「恩を蓄えて倦まなければ、一で万を取れる」と言い、「恩を積んでやまなければ、天下を使える」と言う。これが道徳のあらましである。
解説
この章句が説くこと
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