長短経 / 定名
然後聖人為父子君臣、以為之紀綱。紀綱既正、天下大定、天下大定、然後正六律、和五聲、絃歌詩頌、此之謂德音、德音之謂樂。《詩》云、“莫其德音、其德克明。克明克類、克長克君、王此大邦。克順克比、比于文王。其徳靡悔、既受帝祉、施于孫子。”此之謂也。今君之所好者、溺音乎!鄭音好濫、淫志也、宋音燕安、溺志也、衞音趨數、煩志也、齊音傲僻、驕志也。四者皆淫于色而害于德。是以祭祀弗用。此音樂之異也。’”
新字:然後聖人為父子君臣、以為之紀綱。紀綱既正、天下大定、天下大定、然後正六律、和五声、絃歌詩頌、此之謂徳音、徳音之謂楽。《詩》云、“莫其徳音、其徳克明。克明克類、克長克君、王此大邦。克順克比、比于文王。其徳靡悔、既受帝祉、施于孫子。”此之謂也。今君之所好者、溺音乎!鄭音好濫、淫志也、宋音燕安、溺志也、衛音趨数、煩志也、斉音傲僻、驕志也。四者皆淫于色而害于徳。是以祭祀弗用。此音楽之異也。’”
書き下し
然る後に聖人は父子君臣を為して、以て之が紀綱と為す。紀綱既に正しく、天下大いに定まる。天下大いに定まりて、然る後に六律を正し、五声を和し、詩頌を絃歌す。此を之れ徳音と謂い、徳音之を楽と謂う。詩に云う「莫として其の徳音、其の徳克く明らかなり。克く明らかに克く類し、克く長じ克く君たり、此の大邦に王たり。克く順い克く比し、文王に比す。其の徳悔いること靡く、既に帝の祉を受け、孫子に施す」と。此の謂いなり。今、君の好む所の者は、溺音か。鄭の音は濫を好みて、志を淫す。宋の音は燕安にして、志を溺らす。衛の音は趨数にして、志を煩わす。斉の音は傲僻にして、志を驕らす。四者は皆色に淫して徳を害す。是を以て祭祀に用いず』と。此れ音と楽との異なりなり」と。
現代語訳
そのうえで聖人は父子や君臣の関係を作って秩序の大綱とし、大綱が正しくなって天下は大いに定まります。天下が大いに定まってから、六律を正し、五声を調和させ、詩や頌を琴に合わせて歌う。これを徳音といい、徳音を楽というのです。『詩経』に「静かなその徳ある声、その徳はよく明らかである。よく明らかに善悪を分け、よく長となりよく君となり、この大国の王となった。よく従いよく親しみ、文王に並ぶ。その徳に悔いはなく、天帝の福を受け、子孫に及ぼした」とあるのは、このことです。いま殿が好まれているのは、溺れる音でしょうか。鄭の音は度を越えて志を淫らにし、宋の音は安逸で志を溺れさせ、衛の音はせわしなくて志を煩わせ、斉の音は驕って偏り志を驕らせます。この四つは皆、色に溺れて徳を害します。だから祭祀には用いないのです』。これが音と楽の違いである」。
解説

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