長短経 / 懼戒
〔議曰、昔蒯通説韓信、閻忠説皇甫嵩、馮衍説亷丹、此三人、皆不從、甘就危亡、何也?對曰、范曄曰、「夫事苦、則矜全之情薄、生厚、故安存之慮深。登髙不懼者、胥靡之人也、坐不垂堂千金之子也。」由此觀之、夫人情、樂則思安、苦則圖變、必然之勢也。今三子或南靣稱孤、或位極將相、但圖自安之術、無慮非常之功、不知勢疑則釁生、力侔則亂起。勢已疑矣、弗能辭勢以去嫌、力已侔矣、弗能損力以招福。遲迴猶豫、至于危亡、其禍在于矜全反貽其敗者也。語曰、心死則生、幸生則死。」數公可謂幸生也。〕
新字:〔議曰、昔蒯通説韓信、閻忠説皇甫嵩、馮衍説廉丹、此三人、皆不従、甘就危亡、何也?対曰、范曄曰、「夫事苦、則矜全之情薄、生厚、故安存之慮深。登高不懼者、胥靡之人也、坐不垂堂千金之子也。」由此観之、夫人情、楽則思安、苦則図変、必然之勢也。今三子或南面称孤、或位極将相、但図自安之術、無慮非常之功、不知勢疑則釁生、力侔則乱起。勢已疑矣、弗能辞勢以去嫌、力已侔矣、弗能損力以招福。遅迴猶予、至于危亡、其禍在于矜全反貽其敗者也。語曰、心死則生、幸生則死。」数公可謂幸生也。〕
書き下し
〔議に曰く、昔、蒯通は韓信に説き、閻忠は皇甫嵩に説き、馮衍は廉丹に説く。此の三人は皆従わず、甘んじて危亡に就くは、何ぞや。対えて曰く、范曄曰く「夫れ事苦しければ、則ち全きを矜るの情薄く、生厚ければ、故に安存の慮り深し。高きに登りて懼れざる者は、胥靡の人なり。坐して堂に垂せざるは、千金の子なり」と。此に由りて之を観れば、夫れ人情は、楽しければ則ち安きを思い、苦しければ則ち変を図る。必然の勢いなり。今、三子は或いは南面して孤と称し、或いは位は将相を極む。但だ自ら安んずるの術を図り、非常の功を慮る無し。勢い疑わるれば則ち釁生じ、力侔しければ則ち乱起こるを知らず。勢い已に疑われたるに、勢いを辞して以て嫌を去ること能わず。力已に侔しきに、力を損じて以て福を招くこと能わず。遅迴猶予して、危亡に至る。其の禍は全きを矜りて反りて其の敗を貽すに在る者なり。語に曰く「心死すれば則ち生き、生を幸えば則ち死す」と。数公は生を幸うと謂うべきなり。〕
現代語訳
〔論じて言う。昔、蒯通は韓信に、閻忠は皇甫嵩に、馮衍は廉丹に説いた。三人とも従わず、甘んじて危うさと滅びに向かったのはなぜか。答えて言う。范曄は言った。「事が苦しければ身を全うしようという思いは薄く、暮らしが厚ければ安全を保とうという考えは深い。高いところに登って恐れないのは、囚人のような失うもののない人である。軒先に座らないよう気をつけるのは、千金の家の子である」。これで見れば、人の情は、楽しいときは安全を思い、苦しいときは変化を図る。必然の勢いである。いまこの三人は、あるいは南面して王を称し、あるいは将軍・宰相の位を極めていた。ただ自分を安泰にする術だけを考え、非常の功を考えなかった。勢いが疑われれば隙が生じ、力が並べば乱が起こることを知らなかった。勢いがすでに疑われているのに、勢いを手放して疑いを除くこともできず、力がすでに並んでいるのに、力を減らして福を招くこともできなかった。ぐずぐずためらって、危うさと滅びに至った。その禍は、身を全うしようとしてかえって敗北を残したところにある。「死を覚悟すれば生き、生きることを願えば死ぬ」という言葉がある。この人たちは生きることを願ったと言うべきである。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』外篇・品藻・國家奚ぞ賴らんや此の身操執の常を棄てて圓軟を以て俗譽を沽り、國家遠大の患ひを忘れて寬厚を以て私恩を巿り、巧みに人の未だ見ざる所の利に趨き、善く人の未だ識らざる所の害を避け、身を百禍侵さざるの地に立て、事成れば我に功有り、事敗るれば我に咎無し。此れ智巧の士なり。國家奚ぞ賴らんや。
-
『呻吟語』内篇・應務・事を料るに疏にして身を謀るに拙なり事を料るに疏にして、身を謀るに拙なるは、明哲なる者の懼るる所なり。
-
葉隠・聞書第二今時(いまどき)の若き者、女風(おんなふう)になりたがるなり。結構者(けっこうもの)、人愛(じんあい)の有る人、物を破らぬ人柔(やわ)らかなる人と云う様なるを、よき人と取りはやす時代になりたる故(ゆえ)、矛手(ほこて)延びず、突つ切(き)れたる事成らぬなり。第一は身上(しんしょう)を抱留(かかえと)むる合黙(あいもく)が強き故、大事と計り思い、心縮(ちぢ)まると見えたり。其方(そなた)も我が知行にてなく、親の苦労して取立てられたる物を、養子に来て崩し候てはならぬことと、大事に思わるべきが、それは世上(せじょう)の風(ふう)なり。我等(われら)が所存は格別なり。奉公する時分、身上の事などは何とも思わざりしなり。素(もと)より主人のものなれば、大事がり惜しむべき様(よう)無き事なり。我等生(い)くる世の中に、奉公方(ほうこうかた)にて浪人切腹して見すれば本望至極(ほんもうしごく)なり。奉公人の打留(うちど)めは此の二箇条に極(きわ)まりたるものなり。其の中きたな崩れは無念なり。おくれ・不甲斐(ふがい)・私慾(しよく)・人の害になる事などは有るまじき事なり。其の外にては崩すを本望と思うべし。斯くの如く落着くと、其の儘矛手延びて働かれ、勢(いきおい)格別なり。
-
史記 伍子胥列伝伍子胥は、楚人なり、名は員。員の父は伍奢と曰ふ。員の兄は伍尚と曰ふ。其の先は伍挙と曰ひ、直諫を以て楚の荘王に事へて、顕るる有り、故に其の後世は楚に名有り。楚の平王に太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅と為し、費無忌をして少傅と為さしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の為に婦を秦より取らしむ。秦の女好し、無忌馳せて帰り、平王に報じて曰く、「秦の女は絶だ美なり、王自ら取る可し、而して更に太子の為に婦を取れ」と。平王遂に自ら秦の女を取りて絶だ之を愛幸し、子の軫を生む。更に太子の為に婦を取る。
-
論語・陽貨篇子曰く、鄙夫は、与に君に事う可けんや。其の未だ之を得ざるや、之を得んことを患う。既に之を得れば、之を失わんことを患う。苟くも之を失わんことを患えば、至らざる所無し。
-
『韓非子』問田第四十二亂主闇上の患禍を憚らずして、必ず以て民萌の資利を齊えんと思うは、仁智の行なり。...亂主闇上の患禍を憚りて、死亡の害を避け、...は、貪鄙の為なり。