長短経 / 是非
〔是曰〕韓宣王謂摎留曰、“吾兩欲用公仲、公叔、其可乎?”對曰、“不可。晉用六卿而國分、簡公用田成、闞止而簡公弑魏兩用犀首、張儀而西河之外亡。今王兩用之、其多力者、内樹其黨、其力寡者、又藉于外權。羣臣或内樹其黨、以擅主命、或外為勢交、以裂其地、則王之國危矣。”又曰、公孫衍為魏將、與其相田儒不善。季文子為衍説魏王曰、王獨不見夫服牛驂驥乎?不可百歩。今王以衍為可使將、固用之也、而聽相之計、是服牛驂驥之道。牛馬俱死而不成其功、則王之國傷矣。願王察之。”〔非曰〕
新字:〔是曰〕韓宣王謂摎留曰、“吾両欲用公仲、公叔、其可乎?”対曰、“不可。晋用六卿而国分、簡公用田成、闞止而簡公弑魏両用犀首、張儀而西河之外亡。今王両用之、其多力者、内樹其党、其力寡者、又藉于外権。羣臣或内樹其党、以擅主命、或外為勢交、以裂其地、則王之国危矣。”又曰、公孫衍為魏将、与其相田儒不善。季文子為衍説魏王曰、王独不見夫服牛驂驥乎?不可百歩。今王以衍為可使将、固用之也、而聴相之計、是服牛驂驥之道。牛馬倶死而不成其功、則王之国傷矣。願王察之。”〔非曰〕
書き下し
〔是に曰く〕韓の宣王、摎留に謂いて曰く「吾れ両つながら公仲・公叔を用いんと欲す。其れ可ならんか」と。対えて曰く「不可なり。晋は六卿を用いて国分かれ、簡公は田成・闞止を用いて簡公弑せられ、魏は両つながら犀首・張儀を用いて西河の外亡ぶ。今、王、両つながら之を用いば、其の力多き者は内に其の党を樹て、其の力寡なき者は又た外権に藉る。群臣、或いは内に其の党を樹てて以て主命を擅にし、或いは外に勢交を為して以て其の地を裂かば、則ち王の国危うし」と。又た曰く、公孫衍、魏の将と為り、其の相田儒と善からず。季文子、衍の為に魏王に説きて曰く「王、独り夫の牛を服し驥を驂とするを見ずや。百歩す可からず。今、王、衍を以て将たらしむ可しと為し、固より之を用う。而るに相の計を聴くは、是れ牛を服し驥を驂とするの道なり。牛馬倶に死して其の功を成さずんば、則ち王の国傷つかん。願わくは王之を察せよ」と。〔非に曰く〕
現代語訳
〔是の側。〕韓の宣王が摎留に言った。「私は公仲と公叔の二人をともに用いたいのだが、よいだろうか」。答えて言った。「いけません。晋は六卿を用いて国が分裂し、斉の簡公は田成と闞止を用いて弑逆され、魏は犀首と張儀をともに用いて西河の外を失いました。いま王が二人をともに用いれば、力の強いほうは内に自分の党派を立て、力の弱いほうは外国の権勢に頼ります。臣下が内に党派を立てて君命を思うままにし、外と勢力を通じて領土を裂けば、王の国は危うくなります」。またこうある。公孫衍が魏の将となり、宰相の田儒と仲が悪かった。季文子が公孫衍のために魏王に説いた。「王は、牛を軛につなぎ駿馬を添え馬にした車をご覧になったことがありませんか。百歩も進めません。いま王は公孫衍を将にできると考えて用いておられる。それなのに宰相の計を聴くのは、牛と駿馬をつないだのと同じ道です。牛も馬もともに倒れて功が成らなければ、王の国は傷つきます。どうかお察しください」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・宣王謂摎留宣王、摎留に謂いて曰く、「吾公仲・公叔を両用せんと欲す、其れ可ならんか。」対えて曰く、「不可なり。晋六卿を用いて国分かれ、簡公田成・監止を用いて簡公弑せられ、魏犀首・張儀を両用して西河の外亡ぶ。今、王之を両用せば、其の力多き者は内に其の党を樹て、其の力寡き者は外権に籍らん。群臣或いは内に其の党を樹てて以て其の主を擅にし、或いは外に交わりを為して以て其の地を裂かば、則ち王の国必ず危うし。」
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戦国策・公孫衍為魏將公孫衍魏の将と為り、其の相田繻(でんじゅ)と善からず。季子衍の為に梁王に謂いて曰わく、「王独り夫の牛に服して驥に驂(さん)するを見ずや、以て百歩を行くべからず。今王衍を以て将たらしむべしと為し、故に之を用う。而して相の計を聴かば、是れ牛に服して驥に驂するなり。牛馬俱に死して、其の功を成す能わず、王の国必ず傷つかん。願わくは王之を察せられよ。」
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『長短経』是非論語に曰く「逸民を挙ぐれば、天下の人、心を帰す」と。魏の文侯、芸を子夏に受け、段干木を敬し、其の廬を過ぐれば、未だ嘗て式せずんばあらず。是に於て秦、魏を伐たんと欲す。或るひと曰く「魏君は賢なり。国人は仁と称す。上下和洽す。未だ図る可からず」と。秦王乃ち止む。此に由りて誉を諸侯に得たり。〔非に曰く〕韓子曰く「夫れ馬は鹿に似たり、此の馬は千金に値す。今、千金の馬有りて、一金の鹿無き者は何ぞや。馬は人の用を為し、鹿は人の用を為さざればなり。今、処士は人の用を為さず、鹿の類なり。所以に太公は斉に至りて華士を斬り、孔子は司寇と為りて少正卯を誅す」と。
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『長短経』是非春秋後語に曰く「楚の春申君、孫子をして宰と為さしむ。客に春申君に説く者有りて曰く『湯は亳を以てし、武王は鎬を以てし、皆な百里に過ぎずして、以て天下を有てり。今、孫子は賢人なり。而るに君は之に百里の勢いを藉す。臣、竊かに君の為に之を危ぶむ』と。春申君曰く『善し』と。是に於て人をして孫子に謝せしむ。孫子、去りて趙に之く。趙は以て上卿と為す」と。〔非に曰く〕客、又た春申君に説きて曰く「昔、伊尹は夏を去りて殷に入り、殷は王として夏は亡ぶ。管仲は魯を去りて斉に入り、魯は弱くして斉は強し。夫れ賢者の在る所は、其の君未だ嘗て尊からずんばあらず、其の国未だ嘗て栄えずんばあらざるなり。今、孫子は賢人なり。君、何為れぞ之を辞するか」と。春申君又た曰く「善し」と。復た人をして孫子を請わしむ。
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『長短経』是非〔非に曰く〕史記に曰く「藺相如は宦者繆賢に因りて趙王に見ゆ」と。又た曰く「鄒衍、談天論を作る。其の語は閎大にして経ならず。然れども王公大人之を尊礼す。梁に適けば、梁の恵王は郊迎して賓主の礼を執る。燕に如けば、昭王は篲を擁して先駆す。豈に仲尼の菜色して陳・蔡し、孟軻の斉・梁に困しむと同じからんや」と。衛の霊公、陳を孔子に問う。孔子答えず。梁の恵王、趙を攻むるを謀る。孟軻は太王の邠を去るを称す。方枘を持ちて円鑿に納れんと欲す。其れ能く入らんや。或るひと曰く、伊尹は鼎を負いて湯を輔けて以て王たり、百里奚は牛を飯いて繆公用いて霸たり。先ず合するを作して、然る後に之を大道に引く。鄒衍、其の言は軌ならずと雖も、亦た将に牛鼎の意有らんか、と。
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『長短経』臣行古語に云う「禹は夏を以て王たり、桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、紂は殷を以て亡ぶ」と。闔廬は呉を以て戦い勝ち、天下に敵無し。而して夫差は越に擒にせらる。穆公は秦を以て名を顕し号を尊くす。而して二世は望夷に劫かさる。其の君王たる所以は同じくして、功迹の等しからざるは、任ずる所の異なればなり。是を以て成王は襁褓に処りて諸侯に朝せらる。周公の事を用うればなり。趙の武霊王は年五十にして沙丘に餓死す。李兌に任ずればなり。故に魏に公子無忌有りて、削地復た得たり。趙は藺相如に任じて、秦兵敢えて出でず。楚に申包胥有りて、昭王位に反る。斉に田単有りて、襄王国を得たり。斯に因りて談ぜば、夫れ国を有つ者、世俗を陶冶し、人物を甄綜し、邪正の得失を論じ、霸王の余議を撮ること能わずして、能く功を立て名を成す者は、未だ之を前に聞かず。〔故に量能授官は、至理の徳なるを知る。〕