長短経 / 三国権
吳〉丑為星紀、吳越之分、上應斗牛之宿、下當少陽之位。〔今之㑹稽、九江、丹陽、豫章、廬江、廣陵、六安、臨淮、皆吳之分野、今蒼梧、鬱林、合浦、交趾、九真、日南、南海、皆越之分野。〕古人有言曰、「大江之南、五湖之間、其人輕心、揚州保強〔保、也。、〕恃三代要服、不及以正。國有道則後服、無道則先叛。」故傳曰、「吳為封豕長蛇、荐食上國、為上國之患、非一日之積也。」
新字:呉〉丑為星紀、呉越之分、上応斗牛之宿、下当少陽之位。〔今之会稽、九江、丹陽、予章、廬江、広陵、六安、臨淮、皆呉之分野、今蒼梧、鬱林、合浦、交趾、九真、日南、南海、皆越之分野。〕古人有言曰、「大江之南、五湖之間、其人軽心、揚州保強〔保、也。、〕恃三代要服、不及以正。国有道則後服、無道則先叛。」故伝曰、「呉為封豕長蛇、荐食上国、為上国之患、非一日之積也。」
書き下し
呉〉丑は星紀たり、呉・越の分、上は斗・牛の宿に応じ、下は少陽の位に当たる。〔今の会稽・九江・丹陽・豫章・廬江・広陵・六安・臨淮は、皆呉の分野なり。今の蒼梧・鬱林・合浦・交趾・九真・日南・南海は、皆越の分野なり。〕古人言える有りて曰く「大江の南、五湖の間、其の人は心軽く、揚州は保強なり〔保は、也〕。三代の要服を恃み、正を以てするに及ばず。国に道有れば則ち後に服し、道無ければ則ち先に叛く」と。故に伝に曰く「呉は封豕長蛇と為り、荐りに上国を食み、上国の患いと為ること、一日の積に非ざるなり」と。
現代語訳
〈呉〉丑の方角は星紀にあたり、呉・越の星域で、天では斗宿・牛宿に応じ、地では少陽の位にあたる。〔今の会稽・九江・丹陽・豫章・廬江・広陵・六安・臨淮は皆呉の星域、今の蒼梧・鬱林・合浦・交趾・九真・日南・南海は皆越の星域である。〕昔の人は言った。「長江の南、五湖のあたりの人々は心が軽く、揚州は守りが強い。夏・殷・周の三代にも遠い地の服属にとどまり、正しい教化が及ばなかった。中央に道があれば最後に服し、道がなければ真っ先に背く」。だから『左伝』に「呉は大きな豚や長い蛇のように、しきりに中原の国を食い荒らし、中原の患いとなってきたのは、一日で積み重なったことではない」とある。
解説
この章句が説くこと
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