長短経 / 覇図
且三秦王為秦將、將秦子弟數歲矣、殺已不可勝計、又欺其衆降諸侯、至新安、項王計坑秦降卒二十餘萬、唯獨邯、欣、翳得脱秦人父兄怨此三人、痛入骨髓。今楚强以威而王此三人、秦人莫愛也。大王之入武關、秋毫無所害、除秦苛法、與民約法三章耳。秦民無不欲得大王王秦者。於諸侯之約、大王當王關中、關中人戸咸知之。大王失職入漢中、秦人無不恨者。今大王舉而東、三秦可傳檄而定也。」
新字:且三秦王為秦将、将秦子弟数歳矣、殺已不可勝計、又欺其衆降諸侯、至新安、項王計坑秦降卒二十余万、唯独邯、欣、翳得脱秦人父兄怨此三人、痛入骨髄。今楚強以威而王此三人、秦人莫愛也。大王之入武関、秋毫無所害、除秦苛法、与民約法三章耳。秦民無不欲得大王王秦者。於諸侯之約、大王当王関中、関中人戸咸知之。大王失職入漢中、秦人無不恨者。今大王舉而東、三秦可伝檄而定也。」
書き下し
且つ三秦の王は秦の将と為り、秦の子弟を将いること数歳なり。殺すこと已に勝げて計う可からず。又た其の衆を欺きて諸侯に降り、新安に至りて、項王、計りて秦の降卒二十余万を坑にす。唯だ独り邯・欣・翳のみ脱するを得たり。秦人の父兄、此の三人を怨むこと、痛み骨髄に入る。今、楚、強いて威を以て此の三人を王とするも、秦人愛する莫きなり。大王の武関に入るや、秋毫も害する所無く、秦の苛法を除き、民と法三章を約せしのみ。秦民、大王の秦に王たるを得んことを欲せざる者無し。諸侯の約に於て、大王当に関中に王たるべし。関中の人戸、咸な之を知る。大王、職を失いて漢中に入り、秦人恨まざる者無し。今、大王、挙げて東せば、三秦は檄を伝えて定む可きなり」と。
現代語訳
それに三秦の王たちは秦の将軍として、秦の子弟を数年率いてきました。殺した数は数え切れない。そのうえ兵たちを欺いて諸侯に降り、新安に至って項王は秦の降兵二十余万を穴埋めにしました。ただ章邯・司馬欣・董翳の三人だけが助かった。秦の人々の父兄がこの三人を怨むことは、痛みが骨髄に達しています。いま楚は無理やり威をもってこの三人を王としていますが、秦の人々に愛する者はいません。大王が武関に入ったときは、わずかな毛先ほども害さず、秦の苛酷な法を除き、民と法三章を約束しただけでした。秦の民で大王が秦の王になることを望まない者はいません。諸侯の約束では、大王が関中の王になるはずでした。関中の家々はみなそれを知っています。大王が職を失って漢中に入ったことを、秦の人々で恨まない者はいません。いま大王が兵を挙げて東へ向かえば、三秦は檄文を伝えるだけで定まります」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新序』善謀第十今大王誠に其の道に反し、天下の武勇に任ぜば、何ぞ誅せざらん。天下の城邑を以て功臣を封ぜば、何ぞ服せざらん。義兵を以て東歸を思うの士に從わば、何ぞ散ぜざらん。且つ三秦の王は秦の將と爲る。秦の弟子數歳、殺亡する所勝げて計う可からず。又た其の衆を欺きて諸侯に降り新安に至る。項王詐りて秦の降卒二十餘萬人を坑にす。唯だ獨り邯・欣・翳のみ脫る。秦の父兄此の三人を怨むこと、痛み骨髓に入る。今楚强いて威を以て此の三人を王とす。秦民愛する莫し。大王の武關に入るや、秋毫も害する所無く、秦の苛法を除き、秦と約し、法は三章のみ。且つ秦民大王を得て秦に王たらしめんと欲せざる無し。諸侯に於ける約、大王當に關中に王たるべし。民戸ミ之を知る。大王職を失いて蜀に之く。民恨まざる者無し。今大王舉げて東せば、三秦は檄を傳えて定む可きなり、と。是に於いて漢王喜び、自ら以爲えらく信を得ること晩し、と。遂に信の計を聽き、諸將の擊つ所を部署す。八月、漢王東出す。秦民漢に歸す。王遂に三秦を誅し、王として其の地を定む。諸侯の兵を收めて項王を討ち、帝業を定む。韓信の謀なり。
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『長短経』覇図王曰く「先生、何を以て之を知る」と。酈生曰く「漢王と項羽と、力を戮せて西に向かい秦を撃つ。約すらく、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。漢王先ず咸陽に入るも、項王、約に負きて与えず、而して之を漢中に王たらしむ。項羽、義帝を遷して殺す。漢王之を聞き、蜀漢の兵を起こし、三秦を撃ち、武関を出でて、義帝の処を責め、天下の兵を収め、諸侯の後を立つ。城を降せば即ち以て其の将を侯とし、賂を得れば即ち以て其の士に分かち、天下と其の利を同じくす。英豪賢士、皆な楽しみて之が用と為る。諸侯の兵、四面より至り、蜀漢の粟、万船にして下る。項王には約に背くの名、義帝を殺すの罪有り。人の功に於ては記す所無く、人の罪に於ては心に忘れず。戦い勝ちて其の賞を得ず、城を抜きて其の封を得ず。項氏に非ざれば、能く事を用うる莫し。人の為に印を刻みて、授くる能わず。城を攻めて賂を得るも、財を積みて賞する能わず。天下之に叛き、賢才之を怨みて、用を為す莫し。故に天下の士、漢王に帰すること、坐して策す可きなり。
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『長短経』覇図是に於て韓信の策を用い、乃ち東のかた伐ちて、還りて三秦を定む。〈漢王の国にするや、韓信、楚を亡れ、従いて蜀に入るも、名を知らるる所無し。数しば蕭何と語る。何、之を奇とし、薦めて大将軍と為す。信、拝礼畢わる。王曰く「丞相、数しば将軍を言う。将軍、何を以て寡人に計策を教うるか」と。信謝し、因りて王に問いて曰く「今、東に向かいて権を天下に争う者は、豈に項王に非ずや」と。曰く「然り」と。信曰く「大王、自ら料るに勇悍仁強、項王と孰れぞ」と。漢王黙然たること良や久しくして曰く「如かざるなり」と。信、再拝して賀して曰く「信と雖も亦た以為えらく大王は如かずと。然れども臣、嘗て之に事う。請う、項王の人と為りを言わん。項王の喑啞叱咤すれば、千人皆な廃す。然れども賢将に任属する能わず。此れ特だ匹夫の勇なるのみ。項王、人を見れば恭敬慈愛、言語呴嘔たり。人に疾病有れば、涕泣して食飲を分かつ。人をして功有りて当に爵を封ずべき者に至りては、印、刓弊するも忍びて与うる能わず。此れ所謂婦人の仁なり。
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『長短経』覇図武関を攻め、大いに秦軍を破る。〈趙高、二世を殺し、子嬰を立て、兵を遣わして関を拒がしむ。張良曰く「秦兵尚お強し。未だ軽んず可からず。願わくは益々旗幟を諸山の上に張りて、疑兵を為し、酈食其をして重宝を持して秦将を啗わしめよ」と。秦将、果たして連和して倶に西せんと欲す。沛公、之を聴かんと欲す。良曰く「此れ独り其の将のみ叛かんと欲す。恐らくは士卒従わざらん。士卒従わずんば、必ず危うし。其の懈るに因りて之を撃つに如かず」と。乃ち秦軍を撃ちて、之を破る。〉咸陽に入り、秦人と法三章を約す。〈秦人、牛・酒を献ず。沛公、譲りて受けず。是に於て人、徳を知るなり。〉兵を遣わして関を拒ぎ、関中に王たらんと欲す。是の時、項羽、秦軍を河北に破り、諸侯の兵四十万を率いて鴻門に至り、沛公を撃たんと欲す。沛公、項伯に因りて羽に自解す。
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『長短経』覇図項王、天下に覇として諸侯を臣とすと雖も、関中に居らずして彭城に都し、義帝の約に倍く有りて、親愛を以て諸侯に王たらしむ。平らかならず。諸侯、項王の義帝を遷逐して江南に置くを見て、亦た皆な帰りて其の主を逐いて自ら善地に王たり。項王の過ぐる所、残滅せざる者無し。天下怨み多く、百姓親附せず。特だ威強に刼かされて服するのみ。名は覇と為すと雖も、実は天下の心を失う。故に曰く、其の強きは弱め易し、と。今、大王、誠に能く其の道に反し、天下の武勇に任ぜば、何ぞ誅せざる所あらん。天下の城邑を以て功臣に封ぜば、何ぞ服せざる所あらん。義兵を以て東帰を思うの士に従わば、何ぞ散ぜざる所あらん。
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『長短経』覇図沛人、其の令を殺し、高祖を立てて沛公と為す。時に項梁、薛に止まる。沛公、往きて之に従い、共に義帝を立つ。〈范増、項梁に説きて曰く「秦は六国を滅ぼすに、楚最も罪無し。懐王、秦に入りて反らざるより、楚人之を憐れむ。故に語に曰く『楚は三戸と雖も、秦を亡ぼすは必ず楚ならん』と。今、陳勝、事を首むるも、楚の後を立てず。其の勢い長からず。今、君は江東に起こり、楚の蜂起の将、皆な争いて君に附く者は、君の代々楚の将たるを以て、将た復た楚の後を立つればなり」と。梁、因りて懐王の孫心を求めて之を立つ。〉約して曰く、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。