長短経 / 覇図
秋七月、唐公將西圖長安、仗白旗、誓衆於太原之野、被甲三萬。留公子元吉守太原。義師次霍邑、隋武牙郎將宋老生拒義師、時連雨不霽、粮運不給、又訛言突厥將襲太原。唐公懼、命旋師。用秦王諫、乃止〔秦王諫曰、「獨夫肆虐、天下崩離、狼顧蜂飛、跨州連縣。丈夫不得耕耘、女子不得紡績。故仗劍汾晉、舉斾秦墟、將斬封豕以安萬人、戮鯨鯢而清四海。據崤函之固、挾天子之威、令諸侯、定天下。是以聞之響應、投赴如歸。今遇小敵、便將返斾恐義師一朝觧體、大事去矣。勢不可全、歸守太原、則一城賊耳、恐不旋踵、禍變仍生。」乃止也。〕老生背城一戰斬之、平霍邑〔諸城皆降、唯屈突通鎮河東、堅守不下也。〕
新字:秋七月、唐公将西図長安、仗白旗、誓衆於太原之野、被甲三万。留公子元吉守太原。義師次霍邑、隋武牙郎将宋老生拒義師、時連雨不霽、粮運不給、又訛言突厥将襲太原。唐公懼、命旋師。用秦王諫、乃止〔秦王諫曰、「独夫肆虐、天下崩離、狼顧蜂飛、跨州連県。丈夫不得耕耘、女子不得紡績。故仗剣汾晋、舉斾秦墟、将斬封豕以安万人、戮鯨鯢而清四海。拠崤函之固、挟天子之威、令諸侯、定天下。是以聞之響応、投赴如帰。今遇小敵、便将返斾恐義師一朝觧体、大事去矣。勢不可全、帰守太原、則一城賊耳、恐不旋踵、禍変仍生。」乃止也。〕老生背城一戦斬之、平霍邑〔諸城皆降、唯屈突通鎮河東、堅守不下也。〕
書き下し
秋七月、唐公、将に西のかた長安を図らんとす。白旗を仗き、衆に太原の野に誓う。被甲三万。公子元吉を留めて太原を守らしむ。義師、霍邑に次す。隋の武牙郎将宋老生、義師を拒ぐ。時に雨連なりて霽れず、糧運給せず。又た訛言すらく、突厥将に太原を襲わんとすと。唐公懼れ、師を旋らすを命ず。秦王の諫めを用い、乃ち止む。〈秦王諫めて曰く「独夫、虐を肆にし、天下崩離す。狼顧蜂飛し、州に跨がり県に連なる。丈夫は耕耘するを得ず、女子は紡績するを得ず。故に剣を汾晋に仗き、旆を秦墟に挙ぐ。将に封豕を斬りて以て万人を安んじ、鯨鯢を戮して四海を清めんとす。崤函の固きに拠り、天子の威を挟み、諸侯に令し、天下を定む。是を以て之を聞きて響応し、投赴すること帰するが如し。今、小敵に遇いて、便ち旆を返さば、恐らくは義師、一朝に解体し、大事去らん。勢い全くす可からず。帰りて太原を守らば、則ち一城の賊のみ。恐らくは踵を旋らさずして、禍変仍りて生ぜん」と。乃ち止むなり。〉老生、城を背にして一戦す。之を斬りて、霍邑を平らぐ。〈諸城皆な降る。唯だ屈突通のみ河東に鎮し、堅守して下らざるなり。〉
現代語訳
秋七月、唐公は西の長安を狙おうとした。白い旗を立て、太原の野で兵に誓った。甲を着けた兵は三万。公子の元吉を残して太原を守らせた。義軍は霍邑に宿営した。隋の武牙郎将宋老生が義軍を防いだ。当時、雨が続いて晴れず、兵糧の輸送が滞った。しかも突厥が太原を襲うという噂が流れた。唐公は恐れて撤退を命じた。秦王の諫めを用いて、やめた。〈秦王は諫めて言った。「独りよがりの男が暴虐をほしいままにし、天下は崩れ離れた。狼のように振り返り蜂のように飛び、州にまたがり県に連なっている。男は耕せず、女は機を織れない。だから剣を汾水と晋の地に立て、旗を秦の旧地に挙げたのです。大猪を斬って万民を安んじ、大魚を討って天下を清めようとしている。崤と函谷の堅さに拠り、天子の威を挟んで諸侯に号令し、天下を定める。だからこれを聞いて響くように応じ、帰るように駆けつけてきた。いま小さな敵に遭って旗を返せば、義軍は一朝で解体し、大事は去るでしょう。勢いを保てない。帰って太原を守れば、一つの城の賊にすぎません。踵を返す間もなく、禍と変事が次々に起きるでしょう」。そこでやめた。〉宋老生は城を背にして一戦した。これを斬って霍邑を平らげた。〈諸城はみな降った。ただ屈突通だけが河東に鎮して固く守り、降らなかった。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』覇図冬十月、義師、長楽宮に次す。衛文昇、代王を挟みて城に乗じて拒守す。十一月、京師を平らげ、代王を尊びて天子と為し、義寧と改元す。〈使いを遣わして四つながら出でて郡県を狥う。隋の行宮、唐公悉く之を罷む。後宮は、其の親属に還す。初め、隋の将、多く百姓を侵す。百姓、之を患う。義師の至るに及び、秋毫も犯さず。皆な曰く「真に吾が君なり」と。〉時に煬帝、将に丹陽に之かんとす。而して大臣将卒は皆な北人にして、南遷を願わず、咸な帰らんことを思う。宇文化及、百姓の命に堪えざるに因りて、煬帝を江都に殺す。隋室の王侯、少長と無く、皆な之を斬る。嗣王浩を立てて天子と為し、化及、丞相と為る。
-
『長短経』覇図慈明曰く「蒲山公は名を先帝に策し、位は朝端を極む。明公、我を造るの恩を思わずして、翻りて反噬の志を懐き、皇隋の大徳を棄てて、梟感の頑囂に即く。悪積み禍盈ち、敗るること踵を旋らさず。網は呑舟を漏らし、今日に至る。昔、巨君は天下の衆を以てして、光武に弊る。処仲は江左の師を以てして、明帝に窮まる。明公は烏合の卒を以て、数千を越えず。狼顧鴟張し、強梁村䲧たり。唯だ徳のみ是れ輔く。公、何ぞ預らんや」と。密、乃ち之を司徒府に幽す。慈明、密かに人をして東都に詣らしむ。事泄れ、翟譲、之を殺す。〉詔して唐国公淵をして太原に鎮せしむ。五月甲子、唐公、義兵を挙げ、遥かに煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて天子と為し、伊・霍の故事を行う。檄を天下に伝え、之を聞きて響応す。〈此れ裴寂・殷開山の計なり。代王侑、時に西京に在り。〉
-
『長短経』懼戒裴寂の計を用い、伊尹の太甲を放ち、霍光の昌邑を廃する故事に准い、煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて以て隋室を安んじ、檄を諸郡に伝えて、以て義挙を彰らかにす。秋七月、精甲三万を以て、西のかた関中を図る。高祖白旗に仗り、衆に太原の野に誓い、師を引きて路に即き、遂に隋族を亡ぼし、我が区夏を造る。
-
『長短経』懼戒是に於て賓客を部署し、陰かに起義を図る。高祖乃ち文静に命じて詐りて煬帝の勅を為り、太原・雁門・馬邑数郡の人二十已上、五十以下を発して悉く兵と為し、歳暮を以て涿郡に集めしむ。是に由りて人情大いに擾れ、乱を思う者益々衆し。又た文静と裴寂とに令して詐りて符勅を作り、官監の庫物を出だして、以て留守の資用に供す。因りて兵を募り衆を集めて起ち、旗幟を改めて以て義挙を彰らかにす。又た文静をして突厥に連ならしむ。突厥の始畢曰く「唐公義を挙ぐ、何を為さんと欲するや」と。文静曰く「文皇帝は冢嫡を廃し、位を後主に伝え、因りて斯の禍乱を致す。唐公は国の懿戚にして、成敗を坐観するに忍びず、当に立つべからざる者を廃せんと欲す。願わくは可汗の兵馬と同に京師に入らん。人衆・土地は唐公に入り、財帛・金宝は突厥に入らん」と。始畢大いに悦び、即ち兵を遣わして文静に随わしめて至る。兵威益々盛んなり。〕
-
『長短経』懼戒高祖大いに驚き、深く之を拒む。太宗趨りて出づ。明日復た進みて説きて曰く「此れ万全の策にして、以て滅族の事を救うなり。今、王綱弛紊し、盗賊天下に逼る。大人は命を受けて討捕す。其れ尽くすべけんや。賊既に尽きずんば、自ら当に罪を獲べし。且つ又た世に伝う、李氏の姓は図籙に膺ると。李全才は位望隆貴なるも、一朝にして族滅す。大人既に能く賊を平らぐるも、即ち又た功は賞せられざるに当たる。此を以て活を求むるも、其れ得べけんや」と。高祖の意少しく解けて曰く「我一夜思量するに、汝の言大いに道理有り。今日、家を破り身を滅ぼすも亦た汝に由り、家を化して国と為すも亦た汝に由る」と。是に於て計を定め、乃ち太宗と晋陽令劉文静、及び門下の客長孫順徳・劉弘基等とに命じて兵を募らしむ。旬日の間に、衆且に一万ならんとす。留守の副王威・高君雅を斬る。其の詭りて高祖に晋祠に雨を祈らんことを請い、将に不利を為さんとするが故なり。
-
『長短経』覇図六月、宇文化及、江都より彭城に至り、黎陽に拠り、許と称す。李密、大軍を率いて、清淇に壁す。敦煌の張守一、密の化及を拒ぐを聞き、越王に説きて以て討たしめんとす。越王、其の策を用いず、孟琮の計を用い、密と連和す。〈張守一、説きて曰く「臣聞く、鴻鵠の翮、未だ就らざるに、冲天の情、已に萌し、武豹の文、未だ備わらざるに、食牛の心、已に成る、と。今、陛下、全周の地に拠り、河を背にし洛に面し、帯甲十万、粟は数十年を支う。此れ覇王の資なり。翮の成り文の備わるを待つの勢いに非ざるなり。城を固めて自ら守り、済世を以て心と為さざるは、何ぞ夫の群蟻の一穴に嬰るに異ならんや。竊かに陛下の為に取らず」と。