長短経 / 是非
《傳》曰、“人心不同、其猶面也。”曹子建曰、“人各有好尚。蘭芷蓀蕙之芳、衆人所好、而海畔有逐臭之夫、咸池有六英之發、而墨子有非之之論。豈可同哉?”〔非曰〕語曰、“以心度心、間不容針孔子曰、“其恕乎!己所不欲、勿施於人。”〔是曰〕
新字:《伝》曰、“人心不同、其猶面也。”曹子建曰、“人各有好尚。蘭芷蓀蕙之芳、衆人所好、而海畔有逐臭之夫、咸池有六英之発、而墨子有非之之論。豈可同哉?”〔非曰〕語曰、“以心度心、間不容針孔子曰、“其恕乎!己所不欲、勿施於人。”〔是曰〕
書き下し
伝に曰く「人心の同じからざるは、其れ猶お面のごとし」と。曹子建曰く「人は各々好尚有り。蘭芷蓀蕙の芳しきは、衆人の好む所なるも、海畔に臭いを逐うの夫有り。咸池に六英の発する有るも、墨子に之を非とするの論有り。豈に同じかる可けんや」と。〔非に曰く〕語に曰く「心を以て心を度れば、間に針を容れず」と。孔子曰く「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」と。
現代語訳
春秋左氏伝にこうある。「人の心が同じでないのは、顔かたちが同じでないようなものだ」。曹植はこう言った。「人にはそれぞれ好みがある。蘭や芷や蓀や蕙の香りは多くの人が好むものだが、海辺には悪臭を追いかける男がいる。咸池や六英という古の名曲が奏でられても、墨子にはこれを否定する論がある。どうして同じであろうか」。〔非の側。〕ある書物にこうある。「心で心を測れば、その間に針も入らない」。孔子はこう言った。「それは恕であろう。自分が望まないことを、人に仕向けてはならない」。
解説
人の好みは顔と同じで一人ずつ違う、という側と、自分の心を物差しにすれば針の隙間もなく人が分かる、という側。どちらも経験に合います。恕は強力な原則ですが、自分が嫌でないことは相手も嫌でないはずだ、という思い込みに転びやすい。海辺で悪臭を追う男の話は、その転倒への警告です。恕を使う前に、相手が自分と違う可能性を一度置いておく。順序の問題です。
この章句が説くこと
是非人心不同曹植恕己所不欲好み
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