長短経 / 時宜
放馬華山之陽、示無所為。今陛下能放馬不復用乎?其不可五也。休牛桃林之野、示天下不復輸積。今陛下能乎?其不可六也。且天下遊士、離親戚、棄墳墓、去故舊、從陛下者、日夜望咫尺之地。今復六國、立韓、魏、燕、趙、齊、楚之後、餘無復立者、天下遊士各歸事其主、從親戚、反故舊、陛下與誰取天下乎?其不可七也。且楚惟無强、六國去者復撓而從之〔惟當使楚無强、强則六國從之也。、〕陛下安得而臣之哉?其不可八也。誠用客之謀、則大事去矣。」時王方食、吐哺、罵酈生曰、「豎儒!幾敗我事!」趣令銷印、此異形者也。
新字:放馬華山之陽、示無所為。今陛下能放馬不復用乎?其不可五也。休牛桃林之野、示天下不復輸積。今陛下能乎?其不可六也。且天下遊士、離親戚、棄墳墓、去故旧、従陛下者、日夜望咫尺之地。今復六国、立韓、魏、燕、趙、斉、楚之後、余無復立者、天下遊士各帰事其主、従親戚、反故旧、陛下与誰取天下乎?其不可七也。且楚惟無強、六国去者復撓而従之〔惟当使楚無強、強則六国従之也。、〕陛下安得而臣之哉?其不可八也。誠用客之謀、則大事去矣。」時王方食、吐哺、罵酈生曰、「豎儒!幾敗我事!」趣令銷印、此異形者也。
書き下し
馬を華山の陽に放ちて、為す所無きを示す。今、陛下能く馬を放ちて復た用いざらんか。其の不可なる五なり。牛を桃林の野に休めて、天下に復た輸積せざるを示す。今、陛下能くせんか。其の不可なる六なり。且つ天下の遊士、親戚を離れ、墳墓を棄て、故旧を去りて、陛下に従う者は、日夜咫尺の地を望む。今、六国を復し、韓・魏・燕・趙・斉・楚の後を立てば、余は復た立つる者無し。天下の遊士は各々帰りて其の主に事え、親戚に従い、故旧に反らん。陛下誰と与にか天下を取らん。其の不可なる七なり。且つ楚は惟だ強きこと無からしめんのみ。六国の去る者は復た撓みて之に従わん〔惟だ当に楚をして強きこと無からしむべし。強ければ則ち六国之に従うなり〕。陛下安んぞ得て之を臣とせんや。其の不可なる八なり。誠に客の謀を用いば、則ち大事去らん」と。時に王方に食す。哺を吐きて、酈生を罵りて曰く「豎儒、幾ど我が事を敗らんとす」と。趣やかに印を銷さしむ。此れ形を異にする者なり。
現代語訳
馬を華山の南に放して、もう何もしないことを示しました。いま陛下は馬を放してもう使わずにいられますか。五つ目です。牛を桃林の野に休ませて、天下にもう物資を運ばないことを示しました。いま陛下にできますか。六つ目です。しかも天下の遊説の士が、親族を離れ、墓を捨て、古なじみを去って陛下に従っているのは、日夜わずかでも領地を得たいと望んでいるからです。いま六国を復活させ、韓・魏・燕・趙・斉・楚の子孫を立てれば、他に立てる余地はなくなります。天下の遊説の士はそれぞれ帰って自分の主に仕え、親族に従い、古なじみのもとに戻るでしょう。陛下は誰と天下を取るのですか。七つ目です。しかも楚を強くさせないことが肝心です。強ければ、立てた六国はまた屈して楚に従います〔ただ楚を強くさせないことだ。強ければ六国は楚に従う〕。陛下はどうして彼らを臣下にできましょう。八つ目です。もし客の謀を用いれば、大事は終わりです」。そのとき漢王は食事中だったが、口の中の物を吐き出して酈食其を罵った。「くそ儒者め、もう少しで私の事を台無しにするところだった」。そしてすぐに作らせた印を溶かさせた。これが、形が異なるということである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』公孟子墨子の門に游ぶ者有り、子墨子に謂いて曰く、「先生、鬼を以て神眀にして知り、能く人に禍いを為すと為すか」と。子墨子の門に游ぶ者有り、身體强良、思慮狥通なり。隨いて學ばしめんと欲す。子墨子曰く、「姑く學べ。吾れ将に子を仕えしめん」と。善言に勸められて學ぶ。其の年にして、仕えんことを子墨子に責む。子曰く、「子を仕えしめず。子も亦た夫の魯の語を聞かんか。昆弟五人なる者有り。其の父死して、其の長子、酒を嗜みて葬らず。其の四弟曰く、『子、我と葬らば、當に子の為に酒を沽うべし』と。善言に勸められて葬る。已に葬りて、酒を其の四弟に責む。四弟曰く、『吾れ未だ子に酒を予えず。子は子の父を葬り、我れは吾が父を葬る。豈に獨り吾が父ならんや。子、葬らずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に葬るを勸めしなり』と。今、子は義を為し、我も亦た義を為す。豈に獨り我が義ならんや。子、學ばずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に學を勸めしなり」と。
-
『講孟余話』滕文公下 第四章「志を食ましむるに非ず、功を食ましむるなり」。此の章の論此の二句にあり、而して食功の二字に帰す。其の論明白、復た弁を待たず。唯だ君の臣を養ひ、民の上に奉ずる、既に皆功に食ましむる為めなれば、是れに酬ゆる者将た如何すべき。日々三度の箸を把る毎に、此の食の徒食すべからざるを思ひ、又衣服に付きても居処に付きても器用に付きても、皆此の物徒らに着るべからず、徒らに居るべからず、徒らに用ふべからざるを思はば、豈放辟邪侈の念を生ぜんや。
-
『甲陽軍鑑』品第十二其のごとくなる家中にては老衆·出頭衆又かせ者·小者迄意地きたなくなり、人をぬかんと存するに付、主は被官に物も給はらずしてつかはんと思ひ、被官は主に忠節·忠功·番·普請·供·使の奉公もせずして、偽をもつて扶持給を取らんと思ふ故、かせ者小者給を取ため引こみ候間、奉公人多く塩肴など売商人に成ものなり、能き大将の下にては町人も奉公人に成たがるといへども、諸侍町人をつかはす、又百姓は意地すねたる物にて、奉公しても後は覚の者に成こと多し、町人はかざる者なれば武士には成兼申候、
-
『春秋左氏伝』襄公二十三年 斐豹、丹書を焚かしむ鞅の父と二三子とは君の所に在り。鞅をして吾子を逆へしむ。鞅請ふ、驂乘して帶を持たん」と。遂に超乘し、右に劍を撫し、左に帶を援き、命じて驅りて之を出さしむ。僕請ふ。鞅曰く、「公に之け」と。宣子諸を階に逆へ、其の手を執り、之に賂ふに曲沃を以ってす。初め、斐豹は隸なり、丹書に著さる。欒氏の力臣を督戎と曰ふ。國人之を懼る。斐豹宣子に謂ひて曰く、「苟くも丹書を焚かば、我督戎を殺さん」と。宣子喜びて曰く、「而(なんぢ)之を殺さば、君に請ひて丹書を焚かざる所の者は、日の如き有らん」と。乃ち豹を出して之を閉づ。督戎之に從ふ。豹隱を踰えて之を待つ。督戎踰えて入る。豹後より擊ちて之を殺す。范氏の徒臺の後に在り。欒氏公門に乘る。宣子鞅に謂ひて曰く、「矢君の屋に及ばば、之に死せよ」と。鞅劍を用ゐて以って卒を帥ゐる。欒氏退く。車を攝りて之に從ふ。欒樂に遇ひて曰く、「樂免れよ。死せば將に女を天に訟へんとす」と。樂之を射て中らず。又注げば則ち槐の本に乘りて覆る。或ひと戟を以って之を鉤し、肘を斷ちて死す。欒魴傷つく。欒盈曲沃に奔る。晉人之を圍む。
-
『武士道』第十章 武士の教育・精神上の勤労は価無きに非ず今や何等の勤労に酬うるにも、一に金銭を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に、かつて行はれしこと無かりき。武士道は、金を獲ず、又た価を受けずして、始めて他に尽すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤労は、価無きに非らず、却つて価の量るべからざるが故に、金銭を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算数的ならざる武士道の名誉の本能は、近世の経済学に超越して、真理の教訓を与へたるものなりと謂ひつべし。けだし賃銭俸給の如きは、勤労任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ対して、之を払ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤労、即ち人の霊性の啓発に裨補する任務の如きに至りては、其量のもとより瞭かならざるを以て、ひとり之を認むる能はざるのみならず、又た之を数ふるを得ず。
-
三略・上略軍讖に曰く、軍に財無ければ、士来たらず。軍に賞無ければ、士往かず、と。