長短経 / 覇図
紹不從、遂攻操於官渡。紹自引兵至黎陽、沮授臨行、散其資財、會宗族以與之曰、「勢在威無不加、勢亡則不保其身、哀哉!」其弟宗曰、「曹操士馬不敵、君何懼焉?」授曰、「以曹兖州之明畧、又挾天子以為資、我雖克伯珪、衆實疲弊、而主驕將汰、軍之破敗在此舉也。揚雄有言、『六國嗤嗤、為嬴弱姬』殆今之謂耶!」及渡河、臨舟嘆曰、「上盈其志、下務其功。悠悠黄河、吾将濟乎?」
新字:紹不従、遂攻操於官渡。紹自引兵至黎陽、沮授臨行、散其資財、会宗族以与之曰、「勢在威無不加、勢亡則不保其身、哀哉!」其弟宗曰、「曹操士馬不敵、君何懼焉?」授曰、「以曹兗州之明略、又挟天子以為資、我雖克伯珪、衆実疲弊、而主驕将汰、軍之破敗在此舉也。揚雄有言、『六国嗤嗤、為嬴弱姫』殆今之謂耶!」及渡河、臨舟嘆曰、「上盈其志、下務其功。悠悠黄河、吾将済乎?」
書き下し
紹従わず、遂に操を官渡に攻む。紹、自ら兵を引きて黎陽に至る。沮授、行くに臨み、其の資財を散じ、宗族を会して以て之に与えて曰く「勢い在れば威、加わらざる無く、勢い亡ぶれば則ち其の身を保たず。哀しいかな」と。其の弟宗曰く「曹操の士馬は敵せず。君、何ぞ懼れんや」と。授曰く「曹兗州の明略を以てし、又た天子を挟みて以て資と為す。我、伯珪に克つと雖も、衆は実に疲弊す。而して主は驕り将は汰る。軍の破敗は此の挙に在るなり。揚雄に言える有り『六国嗤嗤として、嬴の為に姫を弱くす』と。殆ど今の謂いか」と。河を渡るに及び、舟に臨みて嘆じて曰く「上は其の志に盈ち、下は其の功を務む。悠悠たる黄河、吾将に済らんとするか」と。
現代語訳
袁紹は従わず、ついに曹操を官渡に攻めた。袁紹は自ら兵を率いて黎陽に至った。沮授は出発にあたって財産を散じ、一族を集めて分け与えて言った。「勢いがあれば威は及ばないところがなく、勢いが失われれば身も保てない。哀しいことだ」。弟の沮宗が言った。「曹操の兵馬は及ばない。兄上は何を恐れるのですか」。沮授は言った。「曹操の明察と計略があり、しかも天子を擁して資としている。我々は公孫瓚に勝ったが、兵は実際に疲弊している。そのうえ主君は驕り、将は驕慢だ。軍の敗北はこの挙にある。揚雄に『六国はへらへらと笑って、秦のために周を弱らせた』という言葉がある。まさに今のことだろう」。黄河を渡るとき、舟の上で嘆いて言った。「上は志に満ち足り、下は自分の功を務める。悠々たる黄河よ、私は渡れるのだろうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図紹、果たして曹公の敗る所と為る。紹、進みて武陽を保ち、操と相い持す。沮授、又た説きて曰く「北兵は衆しと雖も、果勁は南に及ばず。南の穀は虚少なるも、財貨は北に及ばず。南の利は急戦に在り、北の利は緩搏に在り。宜しく持久を修め、曠しくするに日月を以てすべし」と。紹従わず。連営して漸く官渡に逼る。許攸、進みて曰く「曹操は兵少なくして、師を悉くして我を拒ぐ。許下の余守、勢い必ず虚弱ならん。若し軽騎を分遣し、星行して襲わば、許抜けて、則ち操は擒を成さん。如し其れ未だ潰えずんば、首尾をして奔命せしむ可し。之を破ること必せん」と。紹、又た用うる能わず。
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『長短経』覇図紹、孔伷等と同じく義に起こり、襲いて韓馥の冀州を奪い、河北に拠る。精卒十万、騎万匹を練り、進みて曹操を許に攻めんと欲す。沮授、進みて説きて曰く「近ごろ公孫を討ち、師徒年を歴たり。百姓疲弊し、賦役方に殷んなり。此れ国の深憂なり。宜しく先ず捷を天子に献じ、農を務め民を逸せしむべし。若し通ずるを得ずんば、乃ち曹操の我が王命を隔つるを表せ。然る後に進みて黎陽に屯し、漸く河南を営み、益々舟船を作り、器械を繕治し、精騎を分遣して、其の辺鄙を抄し、彼をして安きを得ざらしめ、我は其の逸を取る。此くの如くんば、坐して定む可きなり」と。
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『長短経』覇図会々攸の家、法を犯す。審配、之を収繋す。攸、志を得ず、遂に曹公に奔る。而して操に説きて淳于瓊を襲取せしむ。瓊、時に軍を督し、烏巣に屯在す。紹の軍を去ること四十里。操、自ら将いて急に之を撃つ。時に張郃、紹に説きて曰く「曹公の兵は精なり。往かば必ず瓊を破らん。瓊破れなば、則ち将軍の事去らん。宜しく兵を引きて之を救うべし」と。郭図曰く「郃の計は非なり。其の本営を攻むるに如かず。勢い必ず還らん。此れ救わずして自ら解くるを為すなり」と。郃曰く「曹公の営は固し。之を攻むるも必ず抜けざらん。若し瓊等禽にせられなば、吾が属、尽く虜と為らん」と。紹、但だ軽騎を遣わして瓊を救い、而して重兵を以て操の営を攻むるも、下す能わず。曹公、瓊を破り、其の積聚を焚く。紹の軍、潰散奔北す。曹公、遂に紹を破り、乃ち天下を威震するなり。〉
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『長短経』三国権太祖、袁紹と官渡に相持す。時に公は粮少なく、荀彧に書を与え、議して許に還らんと欲す。彧曰く「紹は悉く衆を官渡に聚め、公と勝敗を決せんと欲す。公は至弱を以て至強に当たる。若し制すること能わずんば、必ず乗ずる所と為らん。是れ天下の大機なり。且つ紹は布衣の雄のみ。能く人を聚むれども用うること能わず。夫れ公の神武明哲を以て、輔くるに大順を以てす。何に向かいてか済らざらん。今、軍少なしと雖も、未だ楚漢の滎陽・成皋に在りし時に若かざるなり。是の時、劉・項、肯えて先に退く莫し。先に退く者は勢い屈すればなり。公は十分の一に居るの衆を以て、地を画して之を守り、其の喉を扼して進むを得ざらしむること、已に半年なり。情見れ勢い竭く、必ず将に変有らんとす。此れ奇を用うるの時、失うべからず」と。又た紹の謀臣許攸、財を貪る。紹縦すこと能わず。来奔し、太祖に説きて紹の別屯を襲い、其の粮穀を燔かしむ。遂に紹を破る。
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『長短経』覇図郭図・審配曰く「兵書の法、十なれば囲み五なれば攻め、敵すれば則ち能く戦う。今、明公の神武を以て、河朔の強衆を連ねて以て曹操を伐たば、其の勢い譬えば手を覆すが如し。今、時に取らずんば、後、之を図り難し」と。授曰く「蓋し聞く、乱を救い暴を誅する、之を義兵と謂い、衆を恃み強きに憑る、之を驕兵と謂う。兵の義なるは敵無く、驕る者は先ず敗る、と。曹操は天子を奉定し、宮を許都に建つ。今、兵を挙げて相い向かうは、義に於ては則ち違う。且つ廟勝の策は、強弱に在らず。曹操は法令既に行われ、士卒精練す。公孫瓚の坐して囲みを受くる者に非ざるなり。今、万安の術を棄てて、無名の師を興す。竊かに公の為に之を懼る」と。
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『長短経』覇図曹公、官渡に軍す。紹、時に衆を悉くして南す。田豊、紹に説きて曰く「曹公は善く兵を用い、変化方無し。衆は少なしと雖も、未だ軽んず可からず。久しきを以て之を持するに如かず。将軍は山河の固きに拠り、四州の衆を擁す。外は英雄を結び、内は農戦を修む。然る後に其の精鋭を簡び、分かちて奇兵と為し、虚に乗じて迭々出で、以て河南を擾し、右を救わば則ち其の左を撃ち、左を救わば則ち其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れしめ、人、業に安んずるを得ざらしむ。我労せずして彼已に困す。三年に及ばずして、坐して克つ可きなり。今、廟算の策を釈てて、成敗を一戦に決す。若し志の如くならずんば、悔ゆとも及ぶ無きなり」と。