長短経 / 七雄略
蘇秦如齊〔齊太公望吕尚者、事周、為文武師、謀伐紂。武王已平商、封尚父於齊營丘也。〕説齊宣王曰、「齊南有泰山、東有琅邪、西有清河、北有勃海、此四塞之國也。臨淄甚富而實、其民無不吹竽、鼔瑟、彈琴、擊筑鬬雞、走狗、六博、蹴踘者也。臨淄之途、車轂擊、人肩、摩連袵成帷、舉袂成幕、揮汗成雨。家殷人足、志髙氣揚。夫以大王之賢、與齊之强、天下莫能當也。今乃西面事秦、竊為大王羞之!
新字:蘇秦如斉〔斉太公望呂尚者、事周、為文武師、謀伐紂。武王已平商、封尚父於斉営丘也。〕説斉宣王曰、「斉南有泰山、東有琅邪、西有清河、北有勃海、此四塞之国也。臨淄甚富而実、其民無不吹竽、鼓瑟、弾琴、撃筑闘鶏、走狗、六博、蹴踘者也。臨淄之途、車轂撃、人肩、摩連袵成帷、舉袂成幕、揮汗成雨。家殷人足、志高気揚。夫以大王之賢、与斉之強、天下莫能当也。今乃西面事秦、窃為大王羞之!
書き下し
蘇秦、斉に如く。〈斉の太公望呂尚なる者は、周に事え、文・武の師と為り、紂を伐つを謀る。武王、已に商を平らげ、尚父を斉の営丘に封ずるなり。〉斉の宣王に説きて曰く「斉は南に泰山有り、東に琅邪有り、西に清河有り、北に勃海有り。此れ四塞の国なり。臨淄は甚だ富みて実つ。其の民、竽を吹き瑟を鼓し琴を弾き筑を撃ち、闘鶏・走狗・六博・蹴踘せざる者無きなり。臨淄の途、車轂撃ち、人肩摩る。袵を連ねて帷を成し、袂を挙げて幕を成し、汗を揮いて雨を成す。家は殷んに人は足り、志は高く気は揚がる。夫れ大王の賢と、斉の強きを以てすれば、天下、能く当たる莫し。今、乃ち西面して秦に事う。竊かに大王の為に之を羞ず。
現代語訳
蘇秦は斉へ行った。〈斉の太公望呂尚は周に仕え、文王と武王の師となり、紂を伐つ計画を立てた。武王が商を平らげると、尚父を斉の営丘に封じた。〉斉の宣王に説いた。「斉は南に泰山、東に琅邪、西に清河、北に渤海がある。四方が塞がれた国である。臨淄は非常に富んで満ちている。その民で笛を吹き瑟を鳴らし琴を弾き筑を打ち、闘鶏や犬の競走や双六や蹴鞠をしない者はない。臨淄の道は、車の軸がぶつかり、人の肩が擦れ合う。衣の襟が連なって帳になり、袖を挙げれば幕になり、汗を振れば雨になる。家は栄え人は足り、志は高く気は昂ぶっている。大王の賢明さと斉の強さがあれば、天下に当たれる国はない。それなのに西を向いて秦に仕える。ひそかに大王のために恥じます」。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・蘇秦為趙合從說齊宣王蘇秦趙の爲に合從し、齊の宣王に說きて曰く、「齊は南に太山有り、東に琅邪有り、西に清河有り、北に渤海有り、此れ所謂四塞の國なり。齊の地は方二千里、帶甲數十萬、粟は丘山の如し。齊の車の良、五家の兵、疾きこと錐矢の如く、戰ふこと雷電の如く、解くこと風雨の如く、軍役有るに即きても、未だ嘗て太山に倍き、清河を絕ち、渤海を涉らざるなり。臨淄の中七萬戶、臣竊かに之を度るに、下戶も三男子、三七二十一萬、遠縣に發するを待たずして、臨淄の卒、固より已に二十一萬なり。臨淄甚だ富みて實つ。其の民竽を吹き瑟を鼓し、筑を擊ち琴を彈き、雞を鬥はせ犬を走らせ、六博蹹踘せざる無し。臨淄の途、車轂擊ち、人肩摩し、衽を連ねて帷を成し、袂を舉げて幕を成し、汗を揮ひて雨を成す。家敦くして富み、志高くして揚る。夫れ大王の賢と齊の強きを以てすれば、天下當る能はず。今乃ち西面して秦に事ふ、竊かに大王の爲に之を羞づ。「且つ夫れ韓・魏の秦を畏るる所以の者は、秦と界を接すればなり。兵出でて相ひ當らば、十日に至らずして、戰ひて存亡の機決す。韓・魏戰ひて秦に勝たば、則ち兵半ば折れて、四境守らず。戰ひて勝たずんば、亡以て其の後に隨はん。是の故に韓・魏の秦と戰ふを重んじて輕々しく之が臣と爲る所以なり。「今秦の齊を攻むるは則ち然らず。韓・魏の地に倍き、闈陽晉の道に至り、亢父の險を徑るには、車方軌するを得ず、馬並行するを得ず、百人險を守らば、千人も過ぐる能はず。秦深く入らんと欲すと雖も、則ち狼顧し、韓・魏の其の後を議せんことを恐る。是の故に恫疑虛猲し、高躍して敢へて進まず、則ち秦の齊を害する能はざること、亦た已に明らかなり。夫れ秦の我を奈何ともする能はざるを深く料らずして、西面して秦に事へんと欲す、是れ群臣の計過てるなり。今秦に事ふるの名無くして、國を強くするの實有らば、臣固より大王の少しく計を留めんことを願ふ。」齊王曰く、「寡人不敏なり、今主君趙王の教を以て之を詔す、敬みて社稷を奉じて以て從はん。」
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『長短経』七雄略張儀、斉の湣王に説きて曰く「天下の強国、斉に過ぐる者無し。大臣父兄は殷衆富楽なり。然れども大王の為に計る者は、皆な一時の説を為して、百代の利を顧みず。縦人の大王に説く者は、必ず曰わん『斉は西に強趙有り、南に韓・梁有り。斉は海を負うの国なり。地は広く民は衆く、兵は強く士は勇なり。百秦有りと雖も、将た斉を奈何ともする無からん』と。大王、其の説を賢として、其の実を計らず。臣聞く、斉と魯と三たび戦いて魯三たび勝つも、国は危亡を以て其の後に随う。戦勝の名有りと雖も、破亡の実有り。是れ何ぞや。斉大にして魯小なればなり。今、秦の斉に与けるや、猶お斉の魯に与けるがごときなり。今、秦・楚は女を嫁し婦を娶り、昆弟の国と為る。韓は宜陽を献じ、魏は河外を効し、趙は朝歌・澠池に入り、河間を割きて以て秦に事う。大王、秦に事えずんば、秦、韓・梁を駆りて斉の南地を攻め、趙の兵を悉くして清河を渡り、博関を指さん。臨菑・即墨は王の有に非ざらん。国、一旦攻めらるれば、秦に事えんと欲すと雖も、得可からざるなり。是の故に、願わくは大王、熟ら之を計れ」と。斉王、之を許す。
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『長短経』七雄略魏の襄王に説きて曰く「大王の地は、南に鴻溝・陳汝有り、東に淮・潁・煑棗有り、西に長城の界有り、北に河外・巻・衍有り。地は方千里、地名は小なりと雖も、然れども田と舎廬と、曽て芻牧の地無し。人民の衆き、車馬の多き、日夜行きて絶えず、輷輷殷殷として、三軍の衆有るが若し。魏は、天下の強国なり。王は、天下の賢主なり。今、乃ち意に西面して秦に事え、東藩と称し、帝宮を築き、冠帯を受け、春秋に祠らんとする有り。臣、竊かに大王の為に之を恥ず。臣聞く、越王勾践は、弊卒三千を戦わせて、夫差を干遂に擒にす。武王は卒三千、革車三百乗にて、紂を牧野に制す。豈に其れ卒の衆きならんや。誠に能く其の威を奮えばなり。
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『長短経』七雄略凡そ大王の縦を為すと信ずる所の者は、蘇秦を恃めばなり。蘇秦は諸侯を熒惑し、是を以て非と為し、非を以て是と為し、斉国を反覆せんと欲して、自ら車裂を市に令す。夫れ天下の一混斉すべからざることも亦た明らかなり。今、楚は秦と昆弟の国たり。而して韓・梁は東藩の臣と称し、斉は魚塩の地を献ず。此れ趙の右臂を断つなり。夫れ右臂を断ちて人と闘い、其の党を失いて孤居し、危うきこと無からんことを求め欲するも、豈に得べけんや。今、秦は三軍を発す。其の一軍は午道を塞ぎ、斉に告げて師を興さしめ、河を渡りて邯鄲の東に軍せしむ。一軍は成皋に軍し、韓・梁の軍を河外に駆る。一軍は澠池に軍し、四国に約して趙を攻めしむ。趙服すれば、必ず其の地を四分せん。是の故に、敢えて意を匿し情を隠さず、先ず以て左右に聞す。臣竊かに大王の為に計るに、秦王と澠池に遇い、面相見て口相約するに如くは莫し。請う、兵を案じて攻むること無からん。願わくは大王の計を定めよ」と。趙の粛侯、之を許す。
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『長短経』七雄略趙の粛侯に説きて曰く「臣、竊かに君の為に計るに、民を安んじて事無きに若くは莫し。且つ庸ぞ事有りて民を為すことを用いん。民を安んずるの本は、交わりを択ぶに在り。交わりを択びて得れば、則ち民安し。交わりを択びて得ざれば、則ち民は終身安からず。請う、外患を言わん。斉・秦、両敵と為りて、民、安きを得ず。秦に倚りて斉を攻むるも、民、安きを得ず。斉に倚りて秦を攻むるも、民、安きを得ず。君、誠に能く臣に聴かば、燕は必ず氈裘狗馬の地を致し、斉は必ず魚塩の海を致し、楚は必ず橘柚の園を致し、韓・魏・中山は皆な湯沐の奉を致さしむ可し。而して貴戚父兄は皆な封侯を受く可し。夫れ地を割き利を包むは、五伯の軍を覆し将を擒にして求めし所なり。侯に封じ貴戚たるは、湯武の放弑して争いし所なり。今、君は高く拱きて両つながら之を有つ。此れ臣の君の為に願う所なり。
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『長短経』七雄略〈范雎、秦の昭王に説きて曰く「夫れ穣侯、韓・魏を越えて斉の剛・寿を攻むるは、計に非ざるなり。少しく師を出さば以て斉を傷つくるに足らず、多く師を出さば則ち秦に害あり。其の計に於て疎なり。且つ斉の湣王、南のかた楚を攻め、軍を破り将を殺し、再び地を辟くこと千里なるも、斉は尺寸の地も得る者無し。豈に斉、地を得るを欲せざらんや。形の有つ能わざる所なり。諸侯、斉の罷弊を見て、師を興して之を伐つ。士は辱められ兵は頓す。故に斉の大いに破るる所以は、其の楚を破りて韓・魏を肥やすを以てなり。此れ所謂賊に兵を借して盗に糧を資するなり。王、遠く交わりて近く攻むるに若かず。寸を得れば則ち王の寸、尺を得れば則ち王の尺なり。今、近きを釈てて遠きを攻むるは、亦た謬らずや。昔者、中山の国は五百里。趙、独り之を呑む。功成り名立ちて利、焉に附く。天下、之を能く争う莫し。今、夫の韓・魏は、中国の処にして天下の枢なり。王、若し中国に覇として天下の枢と為り、以て楚・趙を威さんと欲せば、楚強ければ則ち趙に附き、趙強ければ則ち楚に附く。楚・趙皆な附かば、斉も亦た懼れん。斉懼れなば必ず辞を卑くし幣を重くして以て秦に事えん。斉已に附かば、則ち韓・魏、因りて慮る可きなり」と。王曰く「善し」と。