長短経 / 三国権
亮曰、「豫州軍雖敗於長坂今戰士還者及關羽所將精甲萬人、劉琦合江夏戰士亦不下萬人。曹操之衆、逺来疲弊聞追豫州、騎一日一夜行三百里、此所謂強弩之末不能穿魯縞者也。故兵法忌之曰、『必蹶上將軍。』且北方人不習水戰、又荆州之人附操者、逼兵勢耳、非心服也。今將軍誠命猛將統兵數萬、與豫州協規同力、破操軍必矣!操軍破、必北還、如此則荆吳之勢強、鼎足之形成。成敗之機、在於今日。」權大悦、即遣周瑜、魯肅、随亮詣先主、并力拒曹公也。〕
新字:亮曰、「予州軍雖敗於長坂今戦士還者及関羽所将精甲万人、劉琦合江夏戦士亦不下万人。曹操之衆、遠来疲弊聞追予州、騎一日一夜行三百里、此所謂強弩之末不能穿魯縞者也。故兵法忌之曰、『必蹶上将軍。』且北方人不習水戦、又荆州之人附操者、逼兵勢耳、非心服也。今将軍誠命猛将統兵数万、与予州協規同力、破操軍必矣!操軍破、必北還、如此則荆呉之勢強、鼎足之形成。成敗之機、在於今日。」権大悦、即遣周瑜、魯粛、随亮詣先主、并力拒曹公也。〕
書き下し
亮曰く「豫州の軍、長坂に敗るると雖も、今、戦士の還る者及び関羽の将いる所の精甲万人、劉琦の江夏の戦士を合わすも亦た万人を下らず。曹操の衆は、遠来して疲弊す。聞く、豫州を追うに、騎は一日一夜に三百里を行く、と。此れ所謂強弩の末、魯縞を穿つこと能わざる者なり。故に兵法に之を忌みて曰く『必ず上将軍を蹶す』と。且つ北方の人は水戦に習わず。又た荊州の人の操に附く者は、兵勢に逼らるるのみにして、心服するに非ざるなり。今、将軍誠に猛将に命じて兵数万を統べしめ、豫州と規を協わせ力を同じくせば、操の軍を破ること必せり。操の軍破れなば、必ず北に還らん。此くの如くんば則ち荊・呉の勢い強く、鼎足の形成らん。成敗の機、今日に在り」と。権大いに悦び、即ち周瑜・魯粛を遣わし、亮に随いて先主に詣り、力を并せて曹公を拒ぐなり。〕
現代語訳
諸葛亮は言った。「豫州の軍は長坂で敗れましたが、いま戻ってきた兵と関羽が率いる精兵が一万、劉琦が率いる江夏の兵も一万を下りません。曹操の兵は遠くから来て疲れています。豫州を追うとき、騎兵は一昼夜で三百里を駆けたと聞きます。これは、強い弩の矢も飛び終わりには薄い魯の絹さえ貫けない、というものです。だから兵法はこれを忌み、『必ず上将軍を倒される』と言います。しかも北方の人は水上の戦いに慣れていません。また荊州の人で曹操についた者は、兵の勢いに押されているだけで、心から従っているわけではありません。いま将軍が猛将に数万の兵を率いさせ、豫州と計を合わせ力を一つにすれば、必ず曹操の軍を破れます。曹操の軍が破れれば、必ず北へ帰ります。そうなれば荊州と呉の勢いは強くなり、三国鼎立の形ができます。成功と失敗の分かれ目は今日にあります」。孫権は大いに喜び、すぐに周瑜と魯粛を遣わし、諸葛亮とともに劉備のもとへ行かせ、力を合わせて曹操を防がせた。〕
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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三略・上略夫れ軍を統べ勢を持する者は将なり。勝を制し敵を敗る者は衆なり。故に乱将は軍を保たしむべからず、乖衆は人を伐たしむべからず。城を攻むるも抜くべからず、邑を囲むも則ち廃れず。二者功無ければ、則ち士力疲憊す。士力疲憊すれば、則ち将は孤にして衆は悖る。以て守れば則ち固からず、以て戦えば則ち奔北す。是を老兵と謂う。兵老ゆれば、則ち将の威行われず。将に威無ければ、則ち士卒は刑を軽んず。士卒刑を軽んずれば、則ち軍は伍を失う。軍伍を失えば、則ち士卒は逃亡す。士卒逃亡すれば、則ち敵は利に乗ず。敵利に乗ずれば、則ち軍は必ず喪ぶ。
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