長短経 / 三国権
後曹公入荆州、劉琮舉衆降。〔初劉表死、魯肅進説曰、「夫荆椘與我隣接、水流順北、外帯江漢、内阻山陵、冇金城之固。沃野萬里、士人殷富。若據而有之、此帝王之資也。肅請得奉命、弔表二子、並慰勞軍中用事者。說劉備使撫飬表衆、共拒曹操。肅未到、琮已降也。〕
新字:後曹公入荆州、劉琮舉衆降。〔初劉表死、魯粛進説曰、「夫荆楚与我隣接、水流順北、外帯江漢、内阻山陵、冇金城之固。沃野万里、士人殷富。若拠而有之、此帝王之資也。粛請得奉命、弔表二子、並慰労軍中用事者。説劉備使撫飬表衆、共拒曹操。粛未到、琮已降也。〕
書き下し
後に曹公荊州に入り、劉琮、衆を挙げて降る。〔初め劉表死するや、魯粛進みて説きて曰く「夫れ荊楚は我と隣接し、水流は北に順い、外は江・漢を帯び、内は山陵を阻み、金城の固め有り。沃野万里にして、士人殷富なり。若し拠りて之を有たば、此れ帝王の資なり。粛請う、命を奉じて表の二子を弔い、並びに軍中の事を用うる者を慰労し、劉備に説きて表の衆を撫養し、共に曹操を拒がしめんことを」と。粛未だ到らざるに、琮已に降るなり。〕
現代語訳
後に曹操が荊州に入り、劉琮は全軍を挙げて降伏した。〔はじめ劉表が死んだとき、魯粛は進み出て説いた。「荊楚は我々と隣り合い、川は北へ流れ、外は長江・漢水をめぐらし、内は山々に守られ、金城のような堅固さがあります。肥えた野は万里に広がり、士も民も富んでいます。もしここに拠って手に入れれば、帝王の元手となります。どうか私に命を与えてください。劉表の二人の子を弔問し、軍中の実力者たちをねぎらい、劉備に劉表の兵をなだめ養わせて、ともに曹操を防ぐよう説きます」。魯粛がまだ着かないうちに、劉琮はすでに降伏していた。〕
解説
劉表の死を聞いた魯粛は、すぐに動く計画を立てました。弔問を名目に荊州へ入り、実力者を慰労し、劉備と組ませて曹操に対抗させる。荊州の地勢と豊かさを見れば、呉にとって帝王の元手になると見抜いていたのです。しかし魯粛が着く前に劉琮は降伏していました。正しい見立ても、動きが一歩遅れれば形になりません。とはいえ魯粛はそこで劉備と会い、赤壁への流れを作っていきます。
この章句が説くこと
三国権魯粛劉琮荊州速さ同盟
関連する章句
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『長短経』覇図十三年、曹操、自ら将いて表を征す。未だ至らずして、表、疽、背に発して卒す。操、新野に軍す。傅巽、琮に説きて降に帰せしめんとす。琮曰く「今、諸君と全楚の地に拠り、先君の業を守り、以て天下を観る。何為れぞ不可ならん」と。巽曰く「逆順に大体有り、強弱に定勢有り。人臣を以て人主を拒ぐは、逆道なり。新造の楚を以て中国を禦ぐは、必ず危うきなり。劉備を以て曹公に敵するは、当たらざるなり。三者皆な短し。以て王師の鋒に抗せんと欲するは、必ず亡ぶの道なり。将軍、自ら料るに劉備と何如」と。琮曰く「如かざるなり」と。巽曰く「誠に備を以て曹公を禦ぐに足らずんば、即ち保全し難く、楚は以て自ら存するに足らず。誠に劉備を以て曹公に敵するに足らば、則ち備は将軍の為にする能わざるなり。願わくは将軍、疑う勿かれ」と。琮、遂に衆を挙げて降る。時に劉備、奔りて荊州に在り。表、用うる能わず。荊州の降るを聞き、遂に夏口に奔るなり。〉
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『長短経』三国権〔時に権、柴桑に軍し、劉備は樊に在り。曹公南のかた劉表を征す。会々表卒し、子の琮、衆を挙げて降る。先主、曹公の卒かに至るを知らず、宛に至りて乃ち之を聞き、遂に其の衆を率いて南に行き、曹公の追破する所と為る。劉備、夏口に至る。諸葛亮曰く「事急なり。請う、命を奉じて救いを孫将軍に求めん」と。遂に見えて、説きて曰く「将軍は兵を江東に起こし、劉豫州も亦た衆を漢南に収め、曹操と並びて天下を争う。今、操は大難を芟夷し、略々已に平らぐ。遂に荊州を破り、威は四海に震い、英雄は武を用うる所無し。故に豫州遁逃して此に至る。将軍、力を量りて之に処せよ。若し能く呉越の衆を以て中国と衡を争わば、早く之と絶つに如かず。若し当たること能わずんば、何ぞ兵を按じ甲を束ね、北面して之に事えざる。今、将軍は外は服従の名に託し、而して内は猶予の計を懐く。事急にして断ぜずんば、禍至ること日無し」と。
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『長短経』三国権備、亮の計を用い、好を孫権に結び、共に曹公を赤壁に拒ぎ、之を破る。曹公北に還り、権乃ち荊州を以て備に業とす。〔周瑜上疏して諫めて曰く「劉備は梟雄の姿を以てし、而して関羽・張飛は熊虎の将なり。必ず久しく屈して人の用を為す者に非ず。愚謂えらく、大計は宜しく備を徙して呉に置き、盛んに為に室を築き、其の美女玩好の物を多くして、以て其の耳目を娯しましむべし。此の二人を分かちて、各々一方に置き、瑜の如き者をして、挟みて与に攻戦するを得しめば、大事定むべきなり。今、猥りに土地を割きて、以て之に資業し、此の三人を聚めて俱に疆場に在らしむ。恐らくは蛟龍雲雨を得ば、復た池中の物に非ざらん」と。権は曹公北方に在るを以て、当に広く英雄を攬るべしとし、故に納れざるなり。〕
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『長短経』覇図太祖、劉表を征す。会々表卒し、子琮降る。〈劉表、字は景升、山陽高平の人なり。詔して表を以て荊州刺史と為す。南は五岑嶺に接し、北は漢川に拠り、地は方数千里、帯甲十余万。曹操と袁紹と官渡に相い持す。紹、人を遣わして助けを求む。表、之を許すも至らず、亦た操を援けず、且つ天下の変を観んと欲す。劉先、表に説きて曰く「今、豪傑並び争い、両雄相い持す。天下の重きは将軍に在り。将軍、若し為す所有らば、起ちて其の弊に乗ずるも可なり。如し其れ然らずんば、固より将に宜しく従う所を択ぶべし。豈に甲十万を擁して、坐して成敗を観る可けんや。援けを求めて助くる能わず、賢を見て帰する能わず。此の両怨、必ず将軍に集まらん。恐らくは復た中立するを得ざらん。曹操は善く兵を用い、其の賢俊、多く之に帰す。其の勢い必ず袁紹を挙げん。然る後に兵を移して江漢に向かわん。恐らくは将軍、禦ぐ能わざらん。今の勝計は、荊州を以て操に降るに若くは莫し。操は必ず将軍を重んじ徳とせん。長く福祚を享け、之を後嗣に垂れん。此れ万全の策なり」と。表、従わず。
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