長短経 / 覇図
三年〔熒惑守心天尊也、〕上崩〔時上長子衡陽王為質于周、乃立高祖弟、始興烈王長子蒨也。、〕立弟子蒨〔是為世祖文皇帝也。〕崩、立太子伯宗〔是為廢帝。〕廢、立頊〔是為高宗宣皇帝、始興烈王苐二子也。〕崩、立太子叔寶、是為長城公也。叔寶在東宫、好學有文藝。及即位、躭酒色〔左右侫嬖珥貂者五十人、婦人美貌麗服者千餘人。賞使孔貴妃等八人夾坐、江總、孔範等十人預宴、號曰、「狎客」。先令八婦人襞綵牋、置五言詩、十客一時繼和、遲則罰酒。君臣酣飲、從昏達旦。以此為常也。〕
新字:三年〔熒惑守心天尊也、〕上崩〔時上長子衡陽王為質于周、乃立高祖弟、始興烈王長子蒨也。、〕立弟子蒨〔是為世祖文皇帝也。〕崩、立太子伯宗〔是為廃帝。〕廃、立頊〔是為高宗宣皇帝、始興烈王苐二子也。〕崩、立太子叔宝、是為長城公也。叔宝在東宮、好学有文芸。及即位、躭酒色〔左右侫嬖珥貂者五十人、婦人美貌麗服者千余人。賞使孔貴妃等八人夾坐、江総、孔範等十人預宴、号曰、「狎客」。先令八婦人襞綵牋、置五言詩、十客一時継和、遅則罰酒。君臣酣飲、従昏達旦。以此為常也。〕
書き下し
三年〈熒惑、心を守る。天尊なり。〉上崩ず。〈時に上の長子衡陽王、周に質と為る。乃ち高祖の弟、始興烈王の長子蒨を立つるなり。〉弟の子蒨を立つ。〈是を世祖文皇帝と為すなり。〉崩じ、太子伯宗を立つ。〈是を廃帝と為す。〉廃し、頊を立つ。〈是を高宗宣皇帝と為す。始興烈王の第二子なり。〉崩じ、太子叔宝を立つ。是を長城公と為すなり。叔宝、東宮に在り、学を好み文芸有り。即位するに及び、酒色に躭る。〈左右の佞嬖にして貂を珥む者五十人、婦人の美貌麗服なる者千余人。賞して孔貴妃等八人をして夾坐せしめ、江総・孔範等十人、宴に預る。号して狎客と曰う。先ず八婦人をして綵牋を襞み、五言詩を置かしめ、十客一時に継ぎ和す。遅ければ則ち酒を罰す。君臣酣飲し、昏より旦に達す。此を以て常と為すなり。〉
現代語訳
三年〈火星が心宿を守った。天の尊い兆しである。〉上が崩じた。〈当時、上の長男の衡陽王は周に人質となっていた。そこで高祖の弟、始興烈王の長男の蒨を立てた。〉弟の子の蒨を立てた。〈これが世祖文皇帝である。〉崩じて太子の伯宗を立てた。〈これが廃帝である。〉廃して頊を立てた。〈これが高宗宣皇帝で、始興烈王の次男である。〉崩じて太子の叔宝を立てた。これが長城公である。叔宝は東宮にいたとき、学問を好み文芸の才があった。即位すると酒色に耽った。〈側近で媚びへつらい貂の飾りをつけた者が五十人、美貌で美しい服の女が千余人。孔貴妃ら八人を左右に座らせ、江総や孔範ら十人が宴に加わった。狎客と呼んだ。まず八人の女に彩り紙を折らせて五言詩を置かせ、十人の客が一斉に唱和する。遅ければ罰として酒を飲ませる。君臣が酔って飲み、夕方から朝まで続いた。これを常とした。〉
解説
この章句が説くこと
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『長短経』覇図崩じ、太子賾を立つ。〈是を世祖武皇帝と為すなり。〉崩じ、太孫昭業を立つ。〈是を鬱林王と為す。即位して無道なり。武帝の梓宮、渚に下る。帝、端門の内に於て辞を奉ず。輼輬車、裁かに閣に入るや、即ち湖伎を奏す。高宗、之を殺す。〉崩じ、弟昭文を立つ。〈廃して海陵王と為すなり。〉廃し、西昌侯鸞を立つ。〈是を高宗明皇帝と為す。始安貞王道生の子なり。即位して亟しば誅戮を行う。且つ疾に寝ぬること年を経たり。預め梓宮の故地の為に、高武の諸子を掃地して余す無きなり。〉崩じ、太子宝巻を立つ。〈是を東昏侯と為す。即位して凶暴なり。金花を以て地に帖り、潘妃をして其の上を行かしめて曰く「此れ歩歩に蓮花を生ずるなり」と。又た宮中に於て市を為し、自ら市吏と為り、潘妃を以て市令と為す。義師至り、左右の殺す所と為る。〉崩じ、和帝宝融を立つ。〈明帝の第八子なり。〉位を以て梁に禅る。
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『長短経』覇図太子義符を立つ。〈是を滎陽王と為す。即位して昏乱す。司空徐羨之、政を輔け、廃して滎陽王と為す。〉廃し、宜都王義隆を立つ。〈是を文帝と為す。帝は高祖の第二子なり。太子劭の殺す所と為る。初め、劭及び弟濬、並びに礼度に乖くこと多く、上の知るを懼る。乃ち巫蠱咒咀を為す。帝、之を聞きて大いに怒り、将に劭を廃して濬を殺し、更に立つる所を議せんとす。疑いを持して未だ定まらず。事を以て濬の母潘淑妃に語る。以て劭に告ぐ。劭、悖凶にして、乃ち帝を合殿に弑す。劭、即位するなり。〉弑して武陵王駿を立つ。〈是を孝武皇帝と為す。文帝の第三子なり。劭、帝を弑す。駿、義兵を起こし、京に至りて劭を誅す。〉崩じ、太子子業を立つ。〈是を前廃帝と為す。帝、凶悖にして、左右の寿寂之、之を殺す。〉崩じ、湘東王彧を立つ。〈是を明帝と為す。文帝の第十八子なり。孝武の諸子、江州刺史晋安王勛、尋陽王子房等、並びに兵を挙げて反す。皆な征して之を平らぐ。〉崩じ、太子昱を立つ。〈是を後廃帝と為す。位に在りて凶悖なり。常に楊玉夫を殺さんと欲す。玉夫懼る。是の夜七夕、玉夫をして織女の渡るを伺いて已に報ぜしむ。王敬則、先に玉夫と通謀す。玉夫、帝の眠り熟するを候ちて、遂に之を斬り、首を送りて斉王蕭道成に与うるなり。〉崩じ、順帝準を立つ。〈是を順皇帝と為す。明帝の第三子なり。〉位を斉の蕭道成に遜る。凡そ八代、六十年。
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『長短経』覇図崩じ、太子徹立つ。〈是を武帝と為す。〉崩じ、子勿陵立つ。〈是を昭帝と為す。霍光、政を輔く。上官桀、光の寵を害い、詐りて帝の兄燕王旦の上書を為り、光、上林を行くに蹕を称し、又た私に校尉を調ぶと称す。帝、信ぜず。而して上官桀の詐偽の事、果たして発し、伏誅す。〉崩じ、武帝の孫昌邑王賀を立つ。〈賀は、昌邑哀王髆の子なり。即位二十七日、事に千一百二十七条有り。霍光、賀を廃して海昏侯と為すなり。〉廃し、武帝の曽孫詢を立つ。〈是を宣帝と為す。衛太子の孫なり。〉崩じ、太子奭を立つ。〈是を元帝と為す。〉崩じ、太子鷔を立つ。〈是を成帝と為す。政を諸舅王鳳等に委ね、同日に鳳の兄弟五人を拝して侯と為す。号して五侯と曰う。五侯、皆な政を専らにするなり。〉崩じ、宣帝の孫定陶恭王の子欣を立つ。〈是を哀帝と為す。即位六年にして崩ず。嗣無し。〉崩じ、帝の弟中山孝王衎を立つ。〈是を平帝と為す。帝、年幼くして王莽の為に酖せらる。崩じ、宣帝の玄孫嬰を立つ。是を孺子と為す。莽、嬰を廃して自立す。〉
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『長短経』覇図論じて曰く、干宝称す「帝王の興るは、必ず天命を俟つ。苟くも代謝有るは、人事に非ざるなり。堯舜の内禅は、文徳に体するなり。漢魏の外禅は、大名に順うなり。湯武の革命は、天人に応ずるなり。高光の争伐は、功業を定むるなり。各々其の運に因りて天下を得たり。時に随うの義、大なるかな」と。范曄曰く「古自り大業を喪い、宗禋を絶つは、其の削弱禍敗を致す所以の者、蓋し漸く由る有るなり。三代は嬖色を以て禍を取り、嬴氏は奢虐を以て災いを致す。西京は外戚より祚を失い、東都は閹尹に縁りて国を傾く」と。成敗の来たるは、先史、之を商ること久し。秦漢自り周隋に迄るまで、其の興亡を観るに、亦た数有りと雖も、然れども大抵之を得る者は、皆な賢豪を得て、人の為に利を興し害を除くに因る。其の之を失うや、群小を任用し、奢汰度無きに因らざるは莫し。孔子曰く「約を以て之を失う者は鮮し」と。又た曰く「佞人を遠ざけ、僻悪を去れ」と。旨有るかな。
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『長短経』覇図侯景、武帝の太子綱を立てて帝と為す。又た景の殺す所と為る。〈追尊して太宗簡文皇帝と為すなり。〉湘東王繹、荊州に於て、王僧弁等をして侯景を平らげしめ、首を江陵に伝う。〈僧弁等、進むを勧めて曰く、軍衆、今月戊子を以て建康に総集し、武旅を分勒し、百道同に趨く。轟然として大いに潰え、群凶四つながら滅ぶ。伏して惟うに陛下、痛を咀み哀を茹らい、憤を嬰き酷を忍ぶ。紫庭絳闕より、胡塵四つながら起こり、掖垣好畤、冀馬雲のごとし。豺狼路に当たること、一人に止まらず。鯨鯢梟せられざること、五載を経たり。天威既に振るい、冤恥並びに雪ぐ。百司岳牧、仰ぎて宸鑒を祈る。咸な錫珪の功を以て、既に有道に帰す。当璧の礼、允に聖明に属す。而るに優詔謙冲にして、杳然として凝邈たり。飛龍躋る可くして、乾の爻は四に在り。帝閽云に叫びて、閶閤未だ開かず。謳歌再び馳せ、是を用て首を翹ぐ。豈に久しく群議に稽り、彝則を曠しくする有る可けんや」と。〉