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長短経 / 覇図

卓聞兵起、乃徙天子都長安。卓留兵屯洛陽、司徒王允與吕布殺卓。楊奉、韓暹以天子還洛陽。太祖至洛陽衞京邑、暹遁去太祖以洛陽燒焚殘破、奉天子都許。下詔責袁紹以地廣兵強、專自樹黨、不聞勤王之師。〔紿時并公孫瓚、兼四州之地。〕紹遂攻許、太祖破之官渡、紹嘔血死。

新字:卓聞兵起、乃徙天子都長安。卓留兵屯洛陽、司徒王允与呂布殺卓。楊奉、韓暹以天子還洛陽。太祖至洛陽衛京邑、暹遁去太祖以洛陽焼焚残破、奉天子都許。下詔責袁紹以地広兵強、専自樹党、不聞勤王之師。〔紿時并公孫瓚、兼四州之地。〕紹遂攻許、太祖破之官渡、紹嘔血死。

書き下し

卓、兵起こるを聞き、乃ち天子を徙して長安に都す。卓、兵を留めて洛陽に屯す。司徒王允と呂布と、卓を殺す。楊奉・韓暹、天子を以て洛陽に還る。太祖、洛陽に至りて京邑を衛る。暹、遁れ去る。太祖、洛陽の焼焚残破せるを以て、天子を奉じて許に都す。詔を下して袁紹を責むるに、地広く兵強きも、専ら自ら党を樹て、勤王の師を聞かざるを以てす。〈紹、時に公孫瓚を并せ、四州の地を兼ぬ。〉紹、遂に許を攻む。太祖、之を官渡に破る。紹、血を嘔きて死す。

現代語訳

董卓は兵が起こったと聞いて、天子を移して長安に都した。董卓は兵を留めて洛陽に駐屯させた。司徒王允と呂布が董卓を殺した。楊奉と韓暹が天子を奉じて洛陽へ戻った。太祖は洛陽に至って都を守った。韓暹は逃げ去った。太祖は洛陽が焼かれて荒れているので、天子を奉じて許に都した。詔を下して袁紹を責めた。領地は広く兵は強いのに、もっぱら自分の党派を作り、王室を助ける軍の話を聞かない、と。〈袁紹はこのとき公孫瓚を併せ、四州の地を兼ねていた。〉袁紹はついに許を攻めた。太祖は官渡で破った。袁紹は血を吐いて死んだ。

解説

荒れ果てた洛陽を捨てて、曹操は天子を許へ移しました。この一手で、以後のすべての命令に正統性が付きます。そして最初に使ったのが、袁紹を詔で責めることでした。天子を手元に置くことは、軍事的な利益ではなく、言葉の効力を手に入れることです。同じ主張でも、どこから発するかで重みが変わります。荒れ果てた都を捨てて天子だけを持っていった判断が、その後の十数年を支えました。

この章句が説くこと

覇図曹操献帝袁紹官渡

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