長短経 / 三国権
至靈帝時、政理衰缺、王室多故、雄豪角逐、分裂疆宇。以劉焉為益州牧。〔馬魯㳟王後也。時四方兵冦、焉以為刺史威輕、乃建議改置牧伯、鎮安方夏、清選重臣以居其任、以焉為益州牧。是時、梁州賊馬相聚疲役之人數千、先殺綿竹令、進攻雒縣。州從事賈龍先領兵數百在犍為、遂糾合吏人攻相、破之。乃選吏迎焉、遂領益州牧也。〕焉死、子璋立。〔州大吏趙韙等貪璋温仁、立為刺史初、南陽三輔人數萬户流入益州、焉悉収以為兵、名曰、「東州兵」。璋性柔寛、無威畧、東州人侵暴。趙韙因人情不緝、乃結州中大姓。東州人畏見誅滅、乃同心幷力、為璋殊死戰、斬趙韙。時張魯亦以璋懦弱、不承順璋、遂自雄於巴蜀也。〕為劉備所圍、遂降。〔備遷璋於公安、歸其財寳。後以病卒。〕
新字:至霊帝時、政理衰欠、王室多故、雄豪角逐、分裂疆宇。以劉焉為益州牧。〔馬魯㳟王後也。時四方兵寇、焉以為刺史威軽、乃建議改置牧伯、鎮安方夏、清選重臣以居其任、以焉為益州牧。是時、梁州賊馬相聚疲役之人数千、先殺綿竹令、進攻雒県。州従事賈竜先領兵数百在犍為、遂糾合吏人攻相、破之。乃選吏迎焉、遂領益州牧也。〕焉死、子璋立。〔州大吏趙韙等貪璋温仁、立為刺史初、南陽三輔人数万戸流入益州、焉悉収以為兵、名曰、「東州兵」。璋性柔寛、無威略、東州人侵暴。趙韙因人情不緝、乃結州中大姓。東州人畏見誅滅、乃同心幷力、為璋殊死戦、斬趙韙。時張魯亦以璋懦弱、不承順璋、遂自雄於巴蜀也。〕為劉備所囲、遂降。〔備遷璋於公安、帰其財宝。後以病卒。〕
書き下し
霊帝の時に至りて、政理衰欠し、王室故多く、雄豪角逐し、疆宇を分裂す。劉焉を以て益州牧と為す。〔焉は魯恭王の後なり。時に四方兵寇あり。焉以為えらく、刺史は威軽しと。乃ち建議して改めて牧伯を置き、方夏を鎮安し、清く重臣を選びて以て其の任に居らしむ。焉を以て益州牧と為す。是の時、梁州の賊馬相、疲役の人数千を聚め、先ず綿竹の令を殺し、進みて雒県を攻む。州の従事賈龍、先に兵数百を領して犍為に在り、遂に吏人を糾合して相を攻め、之を破る。乃ち吏を選びて焉を迎え、遂に益州牧を領するなり。〕焉死し、子の璋立つ。〔州の大吏趙韙等、璋の温仁なるを貪り、立てて刺史と為す。初め、南陽・三輔の人数万戸、益州に流入す。焉悉く収めて以て兵と為し、名づけて東州兵と曰う。璋は性柔寛にして、威略無く、東州の人侵暴す。趙韙、人情の緝らざるに因りて、乃ち州中の大姓と結ぶ。東州の人は誅滅せらるるを畏れ、乃ち心を同じくし力を并せ、璋の為に殊死して戦い、趙韙を斬る。時に張魯も亦た璋の懦弱なるを以て、璋に承順せず、遂に巴蜀に自ら雄たるなり。〕劉備の囲む所と為り、遂に降る。〔備、璋を公安に遷し、其の財宝を帰す。後に病を以て卒す。〕
現代語訳
霊帝の時になると政治は衰え、王室には事件が多く、英雄豪傑が争い合い、国土は分裂した。劉焉が益州牧となった。〔劉焉は魯の恭王の子孫である。当時、四方で兵乱が起きていた。劉焉は、刺史では威光が軽いと考え、建議して州牧を置き直し、地方を鎮めさせ、重臣を厳選してその任に就けるよう求めた。そして自らが益州牧となった。このとき梁州の賊馬相が、労役に疲れた人々数千を集め、まず綿竹の県令を殺し、進んで雒県を攻めた。州の従事賈龍は先に数百の兵を率いて犍為にいたので、役人と民をまとめて馬相を攻め破った。そして役人を選んで劉焉を迎え、劉焉は益州牧となった。〕劉焉が死ぬと、子の劉璋が立った。〔州の高官趙韙らは、劉璋が温和なのを都合よく思って刺史に立てた。これより前、南陽・三輔の人々数万戸が益州に流れ込み、劉焉はこれをすべて兵にして東州兵と名づけていた。劉璋は性格が柔らかく寛大で、威厳も策略もなかったので、東州兵が乱暴をはたらいた。趙韙は人心がまとまらないのに乗じて州の有力な家と手を結んだ。東州兵は殺されるのを恐れて一致団結し、劉璋のために死に物狂いで戦い、趙韙を斬った。このとき張魯も劉璋が弱腰なのを見て従わず、巴蜀で自ら勢力を張った。〕劉璋は劉備に囲まれて、ついに降伏した。〔劉備は劉璋を公安に移し、財宝を返した。劉璋はのちに病で死んだ。〕
解説
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『長短経』三国権先主、成都を囲むこと数十日、璋出でて降る。蜀中殷盛豊楽なり。先主、酒を置き大いに士卒を饗し、蜀の城中の金銀を取りて将士に分賜し、其の穀帛を還す。初め劉璋を攻むるに、備、士衆と約して曰く「若し事定まらば、府庫の百物、孤は予ること無し」と。成都を抜くに及び、士衆皆干戈を捨てて諸蔵に赴き、競いて宝物を取る。軍用足らず、備甚だ之を憂う。劉巴曰く「易きのみ。但だ当に直百銭を鋳、諸物の価を平らにし、吏をして官市を為さしむべし」と。備之に従う。数月の間に、府庫充実す。先主、益州牧を領し、諸葛亮を股肱と為し、法正を謀主と為し、関侯・張飛・馬超を爪牙と為し、許靖・麋竺・簡雍を賓友と為す。董和・黄権・李厳等は、本と璋の援用する所なり。呉壹・費観等は、又た璋の婚親なり。彭羕は、又た璋の排擯する所なり。劉巴は、宿昔の忌恨する所なり。皆之を顕任に処き、其の器能を尽くさしむ。有志の士、競い勧まざるは無きなり。〕
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『長短経』三国権会々劉璋、曹公の漢中に向かいて張魯を討つと聞き、内に恐懼を懐く。別駕張松、璋に説きて曰く「曹公は兵強く、天下に敵無し。若し張魯の資に因りて、以て蜀の土を取らば、誰か能く之を禦がん。劉豫州は、使君の宗にして曹公の深讐なり。若し之をして魯を討たしめば、魯必ず破れん。魯破るれば則ち益州強く、曹公来たると雖も、能く為す無からん」と。璋之を然りとし、法正を遣わして先主を迎えしむ。〔時に黄権諫めて曰く「左将軍は梟名有り。今、部曲を以て之を遇せば則ち其の心を満たさず、客礼を以て之を待てば則ち一国に二君を容れず。若し客に泰山の安有らば、則ち主に累卵の危有らん。願わくは且く境を閉じて以て河の清むを待て」と。時に劉巴も亦た諫めて曰く「備は雄傑の人なり。入らば必ず為す有らん。内るべからざるなり」と。既に入り、巴又た曰く「若し備をして張魯を討たしむるは、是れ虎を山林に放つなり」と。璋並びに聴かず。〕先主、璋と涪に会す。璋既に成都に還り、先主当に璋の為に北のかた漢中を征せんとす。
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『長短経』三国権〔初め、張松・法正、備に見ゆ。備、私意を以て接納し、其の慇懃を尽くす。因りて蜀中の兵器・府庫・人馬の衆寡及び諸々の要害を問う。松等具さに為に之を言い、又た地図を画き、山川を処置す。是に由りて尽く益州の虚実を知る。先主北のかた葭萌に到り、未だ即ち魯を討たず、厚く恩徳を樹てて以て衆心を収む。明年、曹公孫権を征し、権、先主を呼びて自ら救わしむ。備乃ち璋に従いて万兵及び資宝を求め、以て東行して権を救わんと欲す。璋は但だ兵四千を許し、其の余は皆半ば給す。備因りて其の衆を激怒せしめて曰く「吾は益州の為に強敵を征し、師徒勤瘁して、寧居するに遑あらず。今、帑蔵の財を積みて、而も賞功に吝かなり。士大夫の為に死力を出だして戦わんことを望むも、其れ得べけんや」と。乃ち璋の白水の軍督楊懐を召し、責むるに無礼を以てして、之を斬る。黄忠等をして軍を勒して璋に向かわしむ。先主径ちに関に至り、諸将士卒の妻子を質とす。兵を引きて忠等に従いて進みて涪に到り、其の城に拠る。璋の遣わす所の将、皆破敗するなり。〕即ち懐等を斬り、葭萌より還りて璋を取る。
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『長短経』三国権荊州は北は漢・沔に拠り、利は南海を尽くし、東は呉会に連なり、西は巴・蜀に通ず。此れ武を用うるの国にして、其の主は守ること能わず。此れ殆ど天の将軍に資する所以なり。益州は険塞にして、沃野千里、天府の国なり。高祖之に因りて以て帝業を成す。劉璋は闇弱にして、張魯北に在り、民殷んに国富めども、恤うることを知らず。智能の士は、明君を得んことを思う。将軍は既に帝室の冑にして、信義は四海に著れ、英雄を総攬し、賢を思うこと渇するが如し。若し荊・益を跨有し、其の巌阻を保ち、西は諸戎と和し、南は夷越を撫し、外は好を孫権と結び、内は政理を修め、天下に変有らば、則ち上将に命じて荊州の軍を将いて以て宛・洛に向かわしめ、将軍は身ら益州の衆を率いて秦川に出でば、百姓孰か簞食壺漿して以て将軍を迎えざる者あらんや。誠に是くの如くんば、則ち霸業成すべく、漢室興すべし」と。時に曹公荊州を破り、先主呉に奔る。
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『長短経』三国権王莽の末、公孫述、蜀に拠る。〔述、字は子陽、扶風茂陵の人なり。王莽の時、導江の卒正と為り、臨邛を治む。更始の立つに及び、豪傑各々其の県に起ちて以て漢に応ず。南陽の人宗成、漢中を略し、商の人王岑も亦た兵を雒県に起こし、自ら定漢将軍と称して、以て成に応ず。述之を聞き、使いを遣わして成を迎う。成等成都に至り、虜掠暴横す。述、意に之を悪み、県中の豪傑を召して謂いて曰く「天下同じく新室に苦しみ、劉氏を思うこと久し。故に漢の将軍到ると聞き、道路に馳せ迎う。今、百姓辜無くして婦子係獲せられ、室屋焼燔せらる。此れ寇賊にして、義兵に非ざるなり。吾、郡を保ちて自ら守り、以て真主を待たんと欲す。諸卿、力を并せんと欲する者は即ち留まれ。欲せざる者は便ち去れ」と。豪傑皆叩頭して死を効さんことを願う。述、是に於て人をして詐りて漢の使者東方より来たると称し、述に輔漢将軍・益州牧を仮せしむ。乃ち精兵千余人を選びて宗成等を撃ち、之を破る。別に弟の恢を遣わして綿竹に更始の置く所の益州刺史張忠を撃たしめ、又た之を破る。是に由りて威、益部に震う者なり。〕
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『長短経』三国権〔時に孫権、使いを遣わして備に報じ、共に蜀を取らんと欲して曰く「米賊張魯、巴・漢に居王し、曹操の耳目と為りて、益州を規図す。劉璋は自ら守ること能わず。若し操蜀を得ば、則ち荊州危うし。今、先ず攻めて璋を取り、進みて張魯を討ち、首尾相連ね、呉・楚を一統せんと欲す。十操有りと雖も、憂うる所無きなり」と。或るひと備に宜しく報じて聴許すべし、呉は終に荊を越えて蜀を有つこと能わず、蜀の地は有つべきなりと説く。主簿殷観曰く「若し呉の先駆と為りて進みて未だ蜀に克つこと能わず、返りて呉の乗ずる所と為らば、則ち大事去らん」と。備之に従い、拒みて権に答えて曰く「益州は民富み国強く、土地阻険なり。劉璋弱しと雖も、以て自ら守るに足る。張魯は虚偽にして、未だ必ずしも尽く操に忠ならず。今、師を蜀・漢に暴し、転運を万里にし、戦えば克ち攻むれば取り、挙げて利を失わざらしめんと欲するは、此れ呉起も其の規を定むること能わず、孫武も其の事を善くすること能わず。今、曹操は天下を三分して其の二を有し、将に馬に滄海に飲ませ、兵を呉に観せんとす。而るに同盟故無くして自ら相攻伐し、枢を操に借し、敵をして其の隙に乗ぜしむるは、計に非ざるなり」と。権、備の意を知り、乃ち止むなり。〕