長短経 / 正論
縱横家者、蓋出於行人之官。孔子曰、“使乎、使乎!”言當權事制宜、受命而不受辭、此其所長也。及邪人為之、則上詐諼〔許逺反〕而棄其信。此縱横之弊也。
新字:縦横家者、蓋出於行人之官。孔子曰、“使乎、使乎!”言当権事制宜、受命而不受辞、此其所長也。及邪人為之、則上詐諼〔許遠反〕而棄其信。此縦横之弊也。
書き下し
縦横家なる者は、蓋し行人の官に出づ。孔子曰く「使いなるかな、使いなるかな」と。当に事に権りて宜しきを制し、命を受けて辞を受けざるを言うなり。此れ其の長ずる所なり。邪人の之を為すに及びては、則ち詐諼を上びて其の信を棄つ。此れ縦横の弊なり。
現代語訳
縦横家は使節をつかさどる行人の官から出た。孔子は「使者だな、使者だな」と言った。事に応じて適切さを判断し、命令は受けても言葉づかいまでは受けないことをいう。これがその長所である。邪な者がこれをやると、偽りを尊んで信義を棄てる。これが縦横家の弊害である。
解説
命を受けて辞を受けず。使節は任務を受けるが、現場での言葉づかいまでは指示されない、という原則です。交渉の現場では相手の出方が読めないので、裁量がなければ仕事にならない。これが縦横家の長所とされました。弊害は同じ裁量が偽りに使われること。裁量を与えることと、信義を保たせることは常に一組で考える必要があります。
この章句が説くこと
正論縦横家行人裁量受命不受辞信義
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