長短経 / 覇図
太祖亡出關、至陳留、散家財、合義於己吾。與後將軍袁術、冀州刺史韓馥、豫州刺史孔伷兖州刺史劉岱、渤海太守袁紹、同時俱起、衆合數萬、推紹為盟主、〔設壇塲共盟誓。臧洪操盤血而盟曰、「漢室不幸、皇綱失統。賊臣董卓、乗釁縦暴、害加至尊、毒流百姓。大懼淪䘮剪覆四海。兖州刺史劉岱、豫州刺史孔伷等糾合義兵、並赴國難。凡我同盟、齊心戮力、以致臣節、殞首䘮元、必無二志有渝此盟、俾墜其命、無克遺育。皇天后土、祖宗明靈、實皆鑒之。」洪慷慨涕泗立下、聞者激揚。〕曹公行稱奮武將軍。
新字:太祖亡出関、至陳留、散家財、合義於己吾。与後将軍袁術、冀州刺史韓馥、予州刺史孔伷兗州刺史劉岱、渤海太守袁紹、同時倶起、衆合数万、推紹為盟主、〔設壇塲共盟誓。臧洪操盤血而盟曰、「漢室不幸、皇綱失統。賊臣董卓、乗釁縦暴、害加至尊、毒流百姓。大懼淪喪剪覆四海。兗州刺史劉岱、予州刺史孔伷等糾合義兵、並赴国難。凡我同盟、斉心戮力、以致臣節、殞首喪元、必無二志有渝此盟、俾墜其命、無克遺育。皇天后土、祖宗明霊、実皆鑒之。」洪慷慨涕泗立下、聞者激揚。〕曹公行称奮武将軍。
書き下し
太祖、亡げて関を出で、陳留に至り、家財を散じ、義を己吾に合わす。後将軍袁術・冀州刺史韓馥・豫州刺史孔伷・兗州刺史劉岱・渤海太守袁紹と、同時に倶に起こる。衆は合わせて数万。紹を推して盟主と為す。〈壇場を設けて共に盟誓す。臧洪、盤血を操りて盟いて曰く「漢室不幸にして、皇綱、統を失う。賊臣董卓、釁に乗じて暴を縦にし、害を至尊に加え、毒を百姓に流す。大いに淪喪して四海を剪覆せんことを懼る。兗州刺史劉岱・豫州刺史孔伷等、義兵を糾合し、並びに国難に赴く。凡そ我が同盟、心を斉しくし力を戮せ、以て臣節を致さん。首を殞とし元を喪うとも、必ず二志無し。此の盟に渝う有らば、其の命を墜とさしめ、遺育に克つこと無からん。皇天后土、祖宗の明霊、実に皆な之を鑒みん」と。洪、慷慨涕泗し、立ちどころに下る。聞く者激揚す。〉曹公、行して奮武将軍と称す。
現代語訳
太祖は逃げて関を出て、陳留に至り、家財を散じて義兵を己吾に集めた。後将軍袁術、冀州刺史韓馥、豫州刺史孔伷、兗州刺史劉岱、渤海太守袁紹と同時に挙兵した。兵は合わせて数万。袁紹を推して盟主とした。〈壇を設けて共に盟いを立てた。臧洪が皿の血を手に取って誓った。「漢室は不幸にして、皇室の綱紀は統を失った。賊臣董卓は隙に乗じて暴虐をほしいままにし、害を至尊に加え、毒を民に流した。国が失われ天下が覆されることを大いに恐れる。兗州刺史劉岱、豫州刺史孔伷らが義兵を糾合し、ともに国難に赴く。すべて我ら同盟の者は心を一つにし力を合わせ、臣としての節を尽くす。首を落とされ命を失っても、必ず二心はない。この盟に背く者があれば、その命を落とさせ、子孫を絶たせたまえ。天地の神、祖先の霊が、みなこれを見ておられる」。臧洪は感極まって涙を流し、その場で壇を下りた。聞く者は奮い立った。〉曹公は奮武将軍を名乗って行動した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図卓、兵起こるを聞き、乃ち天子を徙して長安に都す。卓、兵を留めて洛陽に屯す。司徒王允と呂布と、卓を殺す。楊奉・韓暹、天子を以て洛陽に還る。太祖、洛陽に至りて京邑を衛る。暹、遁れ去る。太祖、洛陽の焼焚残破せるを以て、天子を奉じて許に都す。詔を下して袁紹を責むるに、地広く兵強きも、専ら自ら党を樹て、勤王の師を聞かざるを以てす。〈紹、時に公孫瓚を并せ、四州の地を兼ぬ。〉紹、遂に許を攻む。太祖、之を官渡に破る。紹、血を嘔きて死す。
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『長短経』覇図〈袁紹、字は本初、汝南の人なり。司隷校尉と為る。董卓、廃立を議す。紹聴かず。卓怒る。紹、節を上東門に懸けて、冀州に奔る。卓、紹を購求す。伍瓊、卓の信ずる所と為る。陰かに紹の為に説きて曰く「夫れ廃立は大事なり。常人の及ぶ所に非ず。袁紹、大体に達せず、恐懼して出奔す。他志有るに非ず。今、急に之を購わば、勢い必ず変を為さん。袁氏は恩を樹つること四世、門生故吏、天下に遍し。若し豪傑を収めて以て徒衆を聚めば、英雄之に因りて起こらん。即ち山東は公の有に非ざるなり。之を赦し、一郡守を拝するに如かず。紹、罪を免るるを喜べば、必ず患い無からん」と。卓、以て然りと為し、乃ち遣わして紹に勃海太守を授く。
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『長短経』覇図末孫の霊帝、奄人曹節等を用い、制を矯めて太傅陳蕃・李膺を誅す。其の党人、皆な禁錮せらる。中平九年、黄巾の賊起こる。〈鉅鹿の張角、自ら大賢良師と称し、黄老を奉事し、子弟を畜養し、郡国を連結し、三月五日に内外倶に起こらんと期す。唐周、之を告ぐ。角、便ち起こり、黄巾を著けて標幟と為すなり。〉霊帝崩じ、太子弁即位す。董卓入朝し、因りて帝を廃して弘農王と為し、而して献帝を立つ。李傕、帝を逼りて東遷せしむ。曹操、帝を遷して許に都す。操薨じ、帝、位を曹丕に遜る。魏の太祖武皇帝は、沛国譙の人なり。姓は曹、諱は操、字は孟徳。霊帝の時、典軍校尉と為る。
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『長短経』覇図紹、孔伷等と同じく義に起こり、襲いて韓馥の冀州を奪い、河北に拠る。精卒十万、騎万匹を練り、進みて曹操を許に攻めんと欲す。沮授、進みて説きて曰く「近ごろ公孫を討ち、師徒年を歴たり。百姓疲弊し、賦役方に殷んなり。此れ国の深憂なり。宜しく先ず捷を天子に献じ、農を務め民を逸せしむべし。若し通ずるを得ずんば、乃ち曹操の我が王命を隔つるを表せ。然る後に進みて黎陽に屯し、漸く河南を営み、益々舟船を作り、器械を繕治し、精騎を分遣して、其の辺鄙を抄し、彼をして安きを得ざらしめ、我は其の逸を取る。此くの如くんば、坐して定む可きなり」と。
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『長短経』懼戒袁紹盟主と為り、驕色有り。陳留太守張邈、正義もて之を責む。紹、曹操をして邈を殺さしめんとするも、操聴かず。邈、心自ら安んぜず。操の東のかた陶謙を撃つに及び、其の将陳宮をして東郡に屯せしむ。宮因りて邈に説きて曰く「今、天下分崩し、雄傑並び起こる。君は十万の衆を擁し、四戦の地に当たり、剣を撫して顧盼すれば、亦た以て人傑と為るに足る。而るに反りて制を人に受く。亦た鄙しからずや。今、州軍東征し、其の処空虚なり。呂布は壮士にして、善く戦いて前無し。君之を迎えて、共に兗州に拠り、天下の形勢を観、時事の変通を俟たば、此れ亦た縦横の一時なり」と。邈之に従いて曹公に反す。
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『長短経』三国権太祖、洛陽に至り、天子を奉じて許に都す。其の弛紊を維ぎ、其の贅旒を紉ぎ、我が漢家をして旧物を失わざらしむ。是に於て籌を運らし謀を演べ、宇内を鞭撻し、北は袁紹を破り、南は劉琮を虜にし、東は公孫康を挙げ、西は張魯を夷ぐ。〔議に曰く、劉表の諸傑、中間に自ら呑并有りと雖も、乃ち揚雄の所謂「六国蚩蚩として、嬴の為に姫を弱むる者なり」。并呑衆しと雖も、適に吾が為に奉ずる所以なり。〕九州百郡、十に其の八を并す。志績未だ究めずして、中世にして殞す。