長短経 / 七雄略
景遭「七國之難抑諸侯、減黜其官、武有淮南衡山之謀、作左官之律〔仕於諸侯王為左官、〕設附益之法〔封諸侯過限曰附益。〕諸侯唯得衣食租稅、不與政事。至於哀、平之際、皆繼體苖裔、親属疏遠、生於帷牆之中、不為士民所尊〔割削宗子、有名無實。天下曠然、復襲亡秦之軌矣。〕故王莽知漢中外殫微、本末俱弱、無所忌憚、生其姦心。因母后之權、假伊周之稱、専作威福。廟堂之上、不降階序而運天下。詐謀既成、遂據南面之尊、分遣五威之吏、馳傳天下、班行符命。漢諸侯王蹶角稽首、奉上璽紱、唯恐居後、豈不哀哉?及莽敗、天下雲擾。
新字:景遭「七国之難抑諸侯、減黜其官、武有淮南衡山之謀、作左官之律〔仕於諸侯王為左官、〕設附益之法〔封諸侯過限曰附益。〕諸侯唯得衣食租税、不与政事。至於哀、平之際、皆継体苖裔、親属疏遠、生於帷牆之中、不為士民所尊〔割削宗子、有名無実。天下曠然、復襲亡秦之軌矣。〕故王莽知漢中外殫微、本末倶弱、無所忌憚、生其姦心。因母后之権、仮伊周之称、専作威福。廟堂之上、不降階序而運天下。詐謀既成、遂拠南面之尊、分遣五威之吏、馳伝天下、班行符命。漢諸侯王蹶角稽首、奉上璽紱、唯恐居後、豈不哀哉?及莽敗、天下雲擾。
書き下し
景は七国の難に遭いて諸侯を抑え、其の官を減黜す。武は淮南・衡山の謀有りて、左官の律を作り〔諸侯王に仕うるを左官と為す〕、附益の法を設く〔諸侯を封ずること限りを過ぐるを附益と曰う〕。諸侯は唯だ衣食租税を得るのみにして、政事に与らず。哀・平の際に至りて、皆継体の苗裔にして、親属疏遠、帷牆の中に生まれ、士民の尊ぶ所と為らず〔宗子を割削し、名有りて実無し。天下曠然として、復た亡秦の軌を襲う〕。故に王莽は漢の中外殫微にして、本末俱に弱きを知り、忌憚する所無く、其の姦心を生ず。母后の権に因り、伊・周の称を仮り、専ら威福を作す。廟堂の上、階序を降らずして天下を運らす。詐謀既に成り、遂に南面の尊に拠り、五威の吏を分遣し、伝を天下に馳せ、符命を班行す。漢の諸侯王、角を蹶して稽首し、璽紱を奉上し、唯だ後に居らんことを恐る。豈に哀しからずや。莽敗るるに及び、天下雲のごとく擾る。
現代語訳
景帝は七国の乱に遭って諸侯を抑え、その官を減らし退けた。武帝は淮南王・衡山王の謀反があったので、左官の律を作り〔諸侯王に仕えることを左官という〕、附益の法を設けた〔諸侯に限度を超えて封じることを附益という〕。諸侯はただ衣食と租税を受け取るだけで、政治に関われなくなった。哀帝・平帝の頃になると、諸侯は皆何代も後の子孫で、皇帝との血縁は遠く、奥の間で生まれ育ち、士や民から尊ばれなかった〔宗室を削って名ばかりで実がなく、天下はがらんとして、再び滅んだ秦の轍を踏んだ〕。だから王莽は、漢が内も外も衰え、根も枝もともに弱っているのを見抜き、何もはばからず悪心を起こした。太后の権力に乗り、伊尹・周公の名を借りて、威光と恩恵をほしいままにした。朝廷の座から一歩も降りずに天下を動かした。詐りの謀が成ると、ついに天子の位に就き、五威の役人を各地に送り、駅馬を走らせて天命のしるしを天下に配った。漢の諸侯王たちは額を地につけて平伏し、印綬を差し出し、遅れることだけを恐れた。なんと哀れなことか。王莽が敗れると、天下は雲のように乱れた。
解説

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