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長短経 / 反経

其所謂聖者、有不為大盜守者乎?何以知其然耶?昔者齊國、鄰邑相望、鷄狗之音相聞、網罟之所布、耒耨之所刺、方二千餘里闔四境之内、所以立宗廟社稷、治邑屋州閭鄉里者、曷嘗不法聖人哉?然而田成子一朝殺齊君而盜其國、所盜者、豈獨其國耶?并與聖智之法而盜之、故田成有乎盜賊之名、而身處堯舜之安、小國不敢非、大國不敢誅、十二代而有齊國、則是不獨竊齊國、并與其聖智之法、以守其盜賊之身乎?〔反聖法也。昔叔向問齊晏子曰、“齊其如何?”晏子曰、“此季世吾勿知。齊其為陳氏矣。公棄其人而歸于陳氏。齊舊四量、豆、區、釜、鍾。四升為豆、各自其四、以登于釡、釜十則鍾。陳氏三量、皆登一焉、鍾乃大矣。以家量貸、而以公收之。山木如市、弗加于山、魚鹽蜃蛤、弗加於海、人參其力、二於公而衣食其一。公聚朽蠧而三老凍餒、國之諸市、屨賤踊貴、人多疾病、而或燠休之。其愛之如父母、歸之如流水、欲無獲人、將焉避之。〕

新字:其所謂聖者、有不為大盗守者乎?何以知其然耶?昔者斉国、鄰邑相望、鶏狗之音相聞、網罟之所布、耒耨之所刺、方二千余里闔四境之内、所以立宗廟社稷、治邑屋州閭郷里者、曷嘗不法聖人哉?然而田成子一朝殺斉君而盗其国、所盗者、豈独其国耶?并与聖智之法而盗之、故田成有乎盗賊之名、而身処堯舜之安、小国不敢非、大国不敢誅、十二代而有斉国、則是不独窃斉国、并与其聖智之法、以守其盗賊之身乎?〔反聖法也。昔叔向問斉晏子曰、“斉其如何?”晏子曰、“此季世吾勿知。斉其為陳氏矣。公棄其人而帰于陳氏。斉旧四量、豆、区、釜、鍾。四升為豆、各自其四、以登于釡、釜十則鍾。陳氏三量、皆登一焉、鍾乃大矣。以家量貸、而以公収之。山木如市、弗加于山、魚塩蜃蛤、弗加於海、人参其力、二於公而衣食其一。公聚朽蠹而三老凍餒、国之諸市、屨賤踊貴、人多疾病、而或燠休之。其愛之如父母、帰之如流水、欲無獲人、将焉避之。〕

書き下し

其の所謂聖なる者は、大盗の為に守らざる者有らんや。何を以て其の然るを知るか。昔者、斉国は隣邑相い望み、鶏狗の音相い聞こゆ。網罟の布く所、耒耨の刺す所、方二千余里。四境の内を闔ね、宗廟社稷を立て、邑屋州閭郷里を治むる所以の者は、曷ぞ嘗て聖人に法らざらんや。然り而して田成子は一朝にして斉君を殺して其の国を盗む。盗む所の者は、豈に独り其の国のみならんや。并せて聖智の法と之を盗む。故に田成は盗賊の名有りて、身は堯舜の安きに処り、小国は敢えて非とせず、大国は敢えて誅せず、十二代にして斉国を有つ。則ち是れ独り斉国を窃むのみならず、并せて其の聖智の法を以て、其の盗賊の身を守るか。〔聖法に反するなり。昔、叔向、斉の晏子に問いて曰く「斉は其れ如何」と。晏子曰く「此れ季世なり、吾れ知る勿し。斉は其れ陳氏と為らん。公は其の人を棄てて陳氏に帰す。斉の旧四量は、豆・区・釜・鍾なり。四升を豆と為し、各々自ら其れ四にして、以て釜に登る。釜十なれば則ち鍾なり。陳氏の三量は、皆な一を登す。鍾は乃ち大なり。家量を以て貸し、公を以て之を収む。山木は市の如く、山に加えず。魚塩蜃蛤は、海に加えず。人は其の力を三にして、二を公にして其の一を衣食す。公の聚は朽蠹して三老は凍餒す。国の諸市は、屨は賤にして踊は貴し。人多く疾病す。而して或いは之を燠休す。其の之を愛すること父母の如く、之に帰すること流水の如し。人を獲る無からんと欲するも、将た焉んぞ之を避けん」と。〕

現代語訳

いわゆる聖人というものは、大泥棒のために守ってやらない者があろうか。なぜそう分かるのか。昔、斉の国は隣の町が見え、鶏や犬の声が聞こえるほど密で、網を張る場所、鋤を入れる場所は四方二千余里に及んだ。四方の境の内をまとめ、宗廟と社稷を立て、町や村を治める仕方は、どれも聖人に則っていた。ところが田成子は一朝にして斉の君を殺してその国を盗んだ。盗んだのはその国だけだろうか。聖人の智の法もあわせて盗んだのである。だから田成子は盗賊の名を持ちながら、身は堯舜のように安らかで、小国は非難できず、大国も誅せず、十二代にわたって斉の国を保った。これは斉の国を盗んだだけでなく、その聖人の智の法をもって、盗賊としての自分の身を守ったということではないか。〔聖人の法に反する場合である。昔、叔向が斉の晏子に「斉はどうなるか」と尋ねた。晏子は言った。「これは末の世だ。私には分からない。斉は陳氏のものになるだろう。公は民を捨てて、民は陳氏に帰している。斉の古い升目は豆・区・釜・鍾である。四升を豆とし、それぞれ四倍して釜に至る。釜十で鍾である。陳氏の三つの升目は、みな一を加えている。鍾は大きい。自家の升目で貸し、公の升目で取り立てる。山の木は市場でも山と同じ値で、魚や塩や貝は海と同じ値である。民は労力を三分し、二を公に出して一で衣食する。公の蔵は朽ちて虫がわき、老人は凍え飢えている。国の市場では、普通の履物が安く、足切りの刑を受けた者の履物が高い。病人が多い。そこを陳氏がいたわる。民が陳氏を愛することは父母のようで、帰することは水が流れるようである。人を得まいとしても、どうして避けられよう」。〕

解説

国を盗んだ者が、国を守る法まで一緒に盗んで自分を守る。荘子の論理は徹底しています。そして晏子の観察が具体的で恐ろしい。陳氏は貸すときは大きい升で、取り立てるときは公の升で受ける。運送料を取らずに山の木を市場で売る。それだけで民心は流れる水のように移りました。奪ったのではなく、公の側が民を捨てたところへ入っただけです。

この章句が説くこと

反経聖法荘子田成子晏子陳氏

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