長短経 / 釣情
呉伐越、越棲於㑹稽、勾踐喟然嘆曰、「吾終此乎?」大夫種曰、「湯繫夏臺、文王囚羑里、重耳奔翟、齊小白奔莒、其卒霸王。由是觀之、何遽不為福乎?」勾踐既得免、務報呉。大夫種曰、「臣觀呉王政驕矣、請嘗之。」乃貸粟以卜其事。子胥諌勿與、王遂與之。子胥曰、「王不聽諌、後三年、呉其墟矣!」太宰嚭聞之、讒曰、「伍員貌忠而實忍人。」呉遂殺子胥、此情可以事釣也。
新字:呉伐越、越棲於会稽、勾践喟然嘆曰、「吾終此乎?」大夫種曰、「湯繋夏台、文王囚羑里、重耳奔翟、斉小白奔莒、其卒覇王。由是観之、何遽不為福乎?」勾践既得免、務報呉。大夫種曰、「臣観呉王政驕矣、請嘗之。」乃貸粟以卜其事。子胥諌勿与、王遂与之。子胥曰、「王不聴諌、後三年、呉其墟矣!」太宰嚭聞之、讒曰、「伍員貌忠而実忍人。」呉遂殺子胥、此情可以事釣也。
書き下し
呉、越を伐つ。越は会稽に棲む。勾践喟然として嘆じて曰く「吾此に終わらんか」と。大夫種曰く「湯は夏台に繋がれ、文王は羑里に囚われ、重耳は翟に奔り、斉の小白は莒に奔るも、其の卒に霸王たり。是に由りて之を観れば、何ぞ遽かに福と為らざらんや」と。勾践既に免るるを得て、務めて呉に報いんとす。大夫種曰く「臣、呉王の政を観るに驕れり。請う、之を嘗みん」と。乃ち粟を貸して以て其の事を卜う。子胥諫めて与うること勿からしむるも、王遂に之を与う。子胥曰く「王諫めを聴かず。後三年、呉其れ墟とならん」と。太宰嚭之を聞き、讒して曰く「伍員は貌は忠にして実は忍人なり」と。呉遂に子胥を殺す。此れ情は事を以て釣るべきなり。
現代語訳
呉が越を伐ち、越王は会稽山に追い詰められた。句践はため息をついて「私はここで終わるのか」と嘆いた。大夫文種は言った。「湯王は夏台につながれ、文王は羑里に囚われ、重耳は翟に逃げ、斉の小白は莒に逃げましたが、皆最後は覇王となりました。これを見れば、どうしてこれがすぐに福とならないと言えましょう」。句践は許されて帰国すると、呉への報復に努めた。文種は言った。「呉王の政治を見ると驕っています。試してみましょう」。そこで穀物を貸してほしいと頼んで、呉の様子を占った。伍子胥は与えないよう諫めたが、呉王は与えた。伍子胥は言った。「王は諫めを聞かない。三年後には呉は廃墟になるだろう」。太宰嚭はこれを聞いて讒言した。「伍子胥は見かけは忠臣だが、実は冷酷な人です」。呉はついに伍子胥を殺した。これは、心を事柄で釣ることができる例である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・長攻②越國大いに饑う。王恐れ、范蠡を召して謀る。范蠡曰く、「王何ぞ患えん。今の饑えは、此れ越の福にして吳の禍いなり。夫れ吳國は甚だ富みて財餘り有り。其の王年少く、智寡く材輕く、須臾の名を好み、後の患いを思わず。王若し幣を重くし辭を卑くして、以て糴を呉に請わば、則ち食は得可きなり。食得ば、其の卒り越必ず呉を有たん。而らば王何ぞ患えん。」越王曰く、「善し。」乃ち人をして食を呉に請わしむ。呉王將に之を與えんとす。伍子胥進みて諫めて曰く、「與う可からざるなり。夫れ呉と越とは、土を接し境を鄰し、道易く人通じ、仇讎敵戰の國なり。呉、越を喪ぼすに非ずんば、越必ず呉を喪ぼさん。燕・秦・齊・晉の若きは、山處陸居す。豈に能く五湖九江を踰え、十七阨を越えて、以て呉を有せんや。故に曰く、呉、越喪ぼすに非ずんば、越必ず呉を喪ぼさん、と。今將に之に粟を輸し、之に食を與えんとす。是れ吾が讎を長じて吾が仇を養うなり。財匱しくして民恐るれば、悔ゆとも及ぶこと無けん。與うること勿くして之を攻むるに若かず。固より其の數なり。此れ昔吾が先王の霸となりし所以なり。且つ夫れ饑えは、代事なり。猶ほ淵と阪とのごとく、誰の國か有ること無からん。」呉王曰く、「然らず。吾之を聞く、義兵は服するを攻めず、仁者は饑餓を食う、と。今服してこれを攻むるは、義兵に非ざるなり。饑えて食わざるは、仁の體に非ざるなり。不仁不義ならば、十越を得と雖も、吾為さざるなり。」遂に之に食を與う。三年を出でずして呉も亦た饑ゆ。人をして食を越に請わしむ。越王與えず、乃ち之を攻め、夫差禽と為る。
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説苑・正諫呉、伍子胥・孫武の謀を以て、西のかた強楚を破り、北のかた斉晋を威し、南のかた越を伐つ。越王句践之を迎え撃ち、呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷つく。軍卻き、闔廬太子夫差に謂いて曰わく、「爾句践の而の父を殺せしを忘れたるか」と。夫差対えて曰わく、「敢えて忘れじ」と。是の夕闔廬死す。夫差既に立ちて王と為り、伯嚭を以て太宰と為し、戦射を習い、三年にして越を伐ち、夫湫に敗る。越王句践乃ち兵五千人を以て会稽山上に棲み、大夫種をして厚幣もて呉の太宰嚭に遣わして以て和を請わしめ、国を委ねて臣妾と為さんとす。呉王将に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰わく、「越王人と為り能く辛苦す。今王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん」と。呉王聴かず、太宰嚭の計を用いて越と平らぐ。其の後五年、呉王斉の景公死し、大臣寵を争うと聞き、新君弱しとして、乃ち師を興して北のかた斉を伐たんとす。子胥諫めて曰わく、「不可なり。句践食に味を重ねず、死を弔い疾を問い、且つ能く人を用う。此の人死せずんば、必ず呉の患と為らん。今越は腹心の疾なり、斉は猶お疥癬のみ。而るに王越を先にせずして、乃ち務めて斉を伐つは、亦た謬らずや」と。呉王聴かず、斉を伐ち、大いに斉師を艾陵に敗り、遂に鄒魯の君と会して以て帰り、益々子胥の言を疏んず。其の後四年、呉将に復た北のかた斉を伐たんとす。越王句践子胥の謀を用い、乃ち其の衆を率いて以て呉を助け、重宝を以て太宰嚭に献遺す。太宰嚭既に数々越の賂を受け、其の越を愛信すること殊に甚だし。日夜呉王の為に言を為す。王嚭の計を信用す。伍子胥諫めて曰わく、「夫れ越は、腹心の疾なり。今其の游辞偽詐を信じて斉を貪る、譬えば猶お石田のごとし、用うる所無し。盤庚に曰わく、『古人に顛越して恭ならざる有り』と。是れ商の興る所以なり。願わくは王斉を釈てて越を先にせよ。然らずんば、将に之を悔ゆるも及ぶ無からん」と。呉王聴かず、子胥をして斉に使いせしむ。子胥其の子に謂いて曰わく、「吾王を諫むるも、王吾を用いず、吾今呉の滅ぶるを見んとす。女呉と俱に亡ぶるは為す無きなり」と。乃ち其の子を斉の鮑氏に属して帰りて呉王に報ず。太宰嚭既に子胥と隙有り、因りて讒して曰わく、「子胥の人と為り、剛暴少恩、其の怨望猜賊にして禍を為すなり。深く前日王斉を伐たんと欲するに、子胥以て不可と為すも、王卒に之を伐ちて大功有り、子胥計謀用いられずして、乃ち反りて怨望す。今王又復た斉を伐たんとするに、子胥専愎強諫し、用事を沮毀す。呉の敗るるを徼幸し、以て自ら其の計謀に勝たんとするのみ。今王自ら行き、国中の武力を悉くして以て斉を伐つに、子胥諫めて用いられず、因りて輟して佯病して行かず。王備えざるべからず。此れ禍を起こすこと難からず。且つ臣人をして微かに之を伺わしむるに、其の斉に使いするや、乃ち其の子を鮑氏に属せり。夫れ人臣内に意を得ずして、外諸侯に交わるは、自ら先王の謀臣を以て、今用いられずして、常に怏怏たり。願わくは王早く之を図れ」と。呉王曰わく、「子の言無くんば、吾も亦た之を疑わん」と。乃ち使いをして子胥に属鏤の剣を賜わしめて曰わく、「子此を以て死せよ」と。子胥曰わく、「嗟乎、讒臣宰嚭乱を為す、王顧りて反りて我を誅す。我若の父をして覇たらしめ、又若を立つるに時なり。諸子弟立を争いしとき、我死を以て先王に争い、幾ど立つを得ざりき。若既に立つに及び、呉国を分かちて我に与えんと欲せしも、我顧りて敢えて当らず。然るに若、何ぞ讒臣の長者を殺すを聴くに之けるや」と。乃ち舎人に告げて曰わく、「必ず吾が墓上に樹うるに梓を以てし、器と為すべからしめ、而して吾が眼を抉りて之を呉の東門に著け、以て越寇の呉を滅ぼすを観ん」と。乃ち自ら刺し殺す。呉王之を聞きて大いに怒り、乃ち子胥の屍を取り、鴟夷革を以て盛り、之を江中に浮かぶ。呉人之を憐れみ、乃ち祠を江上に立て、因りて名づけて胥山と曰う。後十余年、越呉を襲い、呉王還りて与に戦うも勝たず、大夫をして越に行成せしむるも許されず。呉王将に死せんとして曰わく、「吾子胥の言を用いざるを以て此に至れり。死者知る無くんば則ち已みなん。死者知る有らば、吾何の面目を以て子胥に見えんや」と。遂に絮を蒙りて面を覆いて自ら刎ず。
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『長短経』懼戒呉王悦び、乃ち子貢をして越に之かしむ。越王、郊に迎え、自ら子貢の為に御して曰く「此れ蛮夷の国なり。大夫何ぞ儼然として辱く之に臨むに足らん」と。子貢曰く「今者、吾、呉王に説くに魯を救い斉を伐つを以てす。其の志は之を欲するも越を畏れて曰く『吾が越を伐つを待ちて乃ち可なり』と。此くの如くんば、則ち越を破ること必せり。且つ人に報ゆるの志無くして人をして之を疑わしむるは、拙なり。人に報ゆるの志有りて人をして之を知らしむるは、殆うし。事未だ発せずして先に聞こゆるは、危うし。三者は事を挙ぐるの大患なり。呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪えず、国家は数々戦うに疲れ、士卒忍びず、百姓は上を怨み、大臣は内に変ず。子胥は諫むるを以て死し、太宰嚭事を用い、君の過ちに順いて、以て其の私を安んず。此れ王の呉に報ゆるの時なり。誠に能く卒を発して之を佐け、以て其の志を激し、而して宝を重くして以て其の心を悦ばせ、辞を卑くして以て其の礼を尊くせば、則ち斉を伐つこと必せり。此れ聖人の所謂節を屈して以て遠きを期す者なり。彼戦いて勝たざるは、王の福なり。若し勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん。臣還りて北のかた晋君に見えんことを請い、共に之を攻めしめば、其の呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しまん。而して王、其の弊に乗ずれば、呉を滅ぼすこと必せり」と。
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呂氏春秋・知化②呉王夫差將に齊を伐たんとす。子胥曰く、「不可なり。夫れ齊と呉とは、習俗同じからず、言語通ぜず。我、其の地を得るとも處ること能わず、其の民を得るとも使うことを得ず。夫れ呉と越とは、土を接し境を鄰し、壤交わり通屬なり、習俗同じ、言語通ず。我、其の地を得ば、能く之に處り、其の民を得ば、能く之を使う。越の我に於けるも亦た然り。夫れ呉・越の勢いは兩立せず。越の呉に於けるや、譬えば心腹の疾の若きなり。作ること無しと雖も、其の傷は深くして内に在るなり。夫れ齊の呉に於けるや、疥癬の病なり。苦しまざれば其れ已むなり。且つ其れ傷うこと無きなり。今、越を釋てて齊を伐つは、之を譬うれば猶ほ虎を懼れて猏を刺すがごとし。之に勝つと雖も、其の後患央くること無し。」太宰嚭曰く、「不可なり。君王の令、上國に行われざる所以の者は、齊・晉なり。君王若し齊を伐ちて之に勝ち、其の兵を徙して以て晉に臨まば、晉必ず命を聽かん。是れ君王、一舉して兩國を服すなり。君王の令、必ず上國に行われん。」夫差以て然りと為し、子胥の言を聽かずして、太宰嚭の謀を用う。子胥曰く、「天將に呉を亡ぼさんとせば、則ち君王をして戰いて勝たしめん。天將に呉を亡ぼさざらんとせば、則ち君王をして戰いて勝たざらしめん。」夫差聽かず。子胥、兩袪高蹶して、廷を出でて曰く、「嗟乎、呉の朝必ず荊棘を生ぜん。」夫差、師を興し齊を伐ち、艾陵に戰い、大いに齊の師を敗り、反りて子胥を誅す。子胥將に死せんとして曰く、「與、吾安くにか一目を得て、以て越人の呉に入るを視ん。」乃ち自殺す。夫差乃ち其の身を取りて、之を江に流し、其の目を抉りて、之を東門に著き、曰く、「女胡ぞ越人の我に入るを視ん。」居ること數年、越、呉に報い、其の國を殘い、其の世を絕ち、其の社稷を滅ぼし、其の宗廟を夷げ、夫差は身擒と為る。夫差將に死せんとして曰く、「死者如し知る有らば、吾何の面ありて以て子胥を地下に見ん。」乃ち幎を為りて以て面を冒いて死す。夫れ患い未だ至らざれば、則ち告ぐ可からざるなり。患既に至れば、之を知ると雖も及ぶこと無し。故に夫差の子胥に慚づることを知れるは、知ること勿きに若かず。
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説苑・權謀越飢ゑ、句踐懼る。四水諫めて曰く、「夫れ飢ゑは、越の福にして、吳の禍なり。夫れ吳國甚だ富みて財餘り有り。其の君名を好みて後患を思はず。若し我卑辭重幣以て糴を吳に請はば、吳必ず我に與へん。我に與ふれば則ち吳取るべきなり」と。越王之に從ふ。吳將に之に與へんとするに、子胥諫めて曰く、「不可なり。夫れ吳越は地を接し境を鄰し、道易く通ず。仇讎敵戰の國なり。吳越有るに非ざれば、越必ず吳有らん。夫れ齊・晉は三江五湖を越えて吳越を亡ぼす能はず。之に因りて之を攻むるに如かず。是れ吾が先王闔廬の霸たる所以なり。且つ夫れ飢ゑは何ぞや。亦た猶ほ淵のごとし。敗伐の事、誰の國か有ること無からん。君若し攻めずして之に糴を輸せば、則ち利去りて凶至り、財匱ゑて民怨まん。悔ゆるも及ぶこと無からん」と。吳王曰く、「吾聞く、義兵は仁人を服せず、饑を以て之を攻めず。十越を得ると雖も、吾爲さざるなり」と。遂に與に糴す。三年、吳も亦た飢ゑ、糴を越に請ふ。越王與へずして之を攻め、遂に吳を破る。
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史記 伍子胥列伝呉王既に伍子胥を誅し、遂に斉を伐つ。斉の鮑氏其の君悼公を殺して陽生を立つ。呉王其の賊を討たんと欲し、勝たずして去る。其の後二年、呉王魯・衛の君を召して之を橐皋に会す。其の明年、因りて北のかた大いに諸侯を黄池に会し、以て周室に令す。越王句踐、襲ひて呉の太子を殺し、呉の兵を破る。呉王之を聞き、乃ち帰り、使ひをして幣を厚くして越と平らぐ。後九年、越王句踐遂に呉を滅ぼし、王夫差を殺す。而して太宰嚭を誅す、其の君に不忠にして、外に重賂を受け、己と比周せるを以てなり。