長短経 / 三国権
故《易》曰、「王侯設險以守其國。」古語曰、「一里之厚、而動千里之權者、地利也。」故曹丕臨江、見波濤洶涌歎曰、「此天所以限南北劉資稱南鄭為「天獄」、斜谷道為「五百里石穴」。稽諸前志皆畏其深阻矣。雖云、天道順、地利不如人和。若使中材守之、而延期挺命可也、豈區區艾、濬得奮其長筞乎?由是觀之、在此不在彼。於戯「智者之慮、必雜於利害」、故「不盡知用兵之害、則不能知用兵之利」、有自来矣。是以採摭其要、而為此權耶。夫囊括五湖、席卷全蜀、庶知害中之利、以明魏家之略焉。
新字:故《易》曰、「王侯設険以守其国。」古語曰、「一里之厚、而動千里之権者、地利也。」故曹丕臨江、見波濤洶涌嘆曰、「此天所以限南北劉資称南鄭為「天獄」、斜谷道為「五百里石穴」。稽諸前志皆畏其深阻矣。雖云、天道順、地利不如人和。若使中材守之、而延期挺命可也、豈区区艾、濬得奮其長筞乎?由是観之、在此不在彼。於戯「智者之慮、必雑於利害」、故「不尽知用兵之害、則不能知用兵之利」、有自来矣。是以採摭其要、而為此権耶。夫嚢括五湖、席巻全蜀、庶知害中之利、以明魏家之略焉。
書き下し
故に易に曰く「王侯は険を設けて以て其の国を守る」と。古語に曰く「一里の厚くして、千里の権を動かす者は、地利なり」と。故に曹丕、江に臨み、波濤の洶涌するを見て歎じて曰く「此れ天の南北を限る所以なり」と。劉資は南鄭を称して天獄と為し、斜谷の道を五百里の石穴と為す。諸を前志に稽うるに、皆其の深阻を畏る。天時は地利に如かず、地利は人和に如かずと云うと雖も、若し中材をして之を守らしめば、期を延べ命を挺くすることは可なり。豈に区区たる艾・濬、其の長策を奮うを得んや。是に由りて之を観れば、此に在りて彼に在らず。於戯、智者の慮は必ず利害を雑う。故に尽く兵を用うるの害を知らざれば、則ち兵を用うるの利を知ること能わず。自りて来たる有り。是を以て其の要を採摭して、此の権を為す。夫れ五湖を囊括し、全蜀を席巻せば、庶わくは害中の利を知りて、以て魏家の略を明らかにせん。
現代語訳
だから『易』に「王侯は険しい地を設けて国を守る」とあり、古い言葉に「一里の厚みで千里の権勢を動かすのは地の利である」とある。曹丕は長江に臨み、波が逆巻くのを見て「これは天が南北を隔てるためのものだ」と嘆いた。劉資は南鄭を「天の牢獄」と呼び、斜谷の道を「五百里の石の穴」と呼んだ。昔の記録を調べると、皆その深く険しいことを恐れている。「天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばない」とは言うが、もし並の才の者に守らせても、国の命を延ばすくらいはできたはずだ。どうしてちっぽけな鄧艾や王濬が、その長い策を振るえたのか。これを見れば、滅んだ原因は人にあって、地にあったのではない。ああ、「智者の考えは必ず利と害を交えて見る」。だから「兵を用いる害を知り尽くさなければ、兵を用いる利を知ることはできない」というのには、わけがあるのだ。そこでその要点を拾い集めて、この三国権を作った。五湖を包み込み、蜀全体を巻き取った過程を見て、害の中にある利を知り、魏の戦略を明らかにしたいと願う。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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人物志・利害其の業為るや、敝有りて常には用ゐられず、故に功大なれども終へず。術家の業は、聡思に出で、謀の得らるるを待ちて章らかなり。其の道は先に微にして後に著れ、精にして且つ玄なり。
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『長短経』利害孫子曰く「之を死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に投じて而る後に存す」と。又た曰く「利に雑えて務め伸ぶべく、害に雑えて患い解くべし」と。何を以て之を明らかにせん。漢の将韓信、趙を攻む。趙は兵を井陘口に盛んにす。信乃ち兵を引きて未だ井陘口に至らざること三十里にして、止まり舎す。夜半に伝え発し、軽騎二千人を選び、一赤幟を持たしめ、間道より山に萆れて〔音は蔽〕趙の軍を望見せしむ。之を誡めて曰く「趙は吾が走るを見ば、必ず壁を空しくして吾を逐わん。若疾く趙の壁に入り、趙の幟を抜きて、漢の赤幟を立てよ」と。其の裨将をして飱を伝えしめて曰く「今日趙を破りて会食せん」と。諸将皆信ずる莫く、佯り応じて曰く「諾」と。信、軍吏に謂いて曰く「趙は已に先に便地に拠りて壁を為す。且つ彼は未だ我が大将の旗鼓を見ずんば、未だ肯えて前行を撃たず。吾が阻険に至りて還らんことを恐るればなり」と。信乃ち万人をして出でて、背水の陣を行わしむ。趙の軍望見して、大いに之を笑う。〔太公曰く「智衆と同じきは、人の師に非ざるなり。伎衆と同じきは、国士に非ざるなり。動くこと不意より神なるは莫く、勝つこと不識より大なるは莫し」と。趙の軍をして韓信の勢いを識らしめば、安んぞ敗るるを得んや。故に之を笑いて敗るるなり。〕
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『長短経』利害平旦、信は大将の旗鼓を建て、鼓行して井陘口を出づ。趙、壁を開きて之を攻撃し、大いに戦うこと良久し。是に於て信と張耳とは旗鼓を棄て、水上に走る。水上の軍、壁を開きて之を入れ、復た疾く戦う。趙は壁を空しくして漢の旗鼓を争い、韓信・張耳を逐う。韓信・張耳已に水上の軍に入る。軍皆殊死して戦い、敗るべからず。信の出だす所の奇兵二千騎、共に趙の壁を空しくして利を逐うを候い、則ち馳せて趙の壁に入り、皆趙の幟を抜き、漢の赤幟二千を立つ。趙の軍、信等を得ずして、還りて壁に帰らんと欲するに、壁皆漢の赤幟なり。而して大いに驚き〔太公曰く「夫れ両陣の間に、俾陣を出だす。卒を縦にし行を乱す者は、変を為す所以なり」と。此の謂いなり〕、以為えらく漢は皆已に趙の主将を得たりと。遂に乱れて遁走す。趙の将撃ちて之を斬ると雖も、禁ずること能わざるなり〔孫子曰く「治を以て乱を待ち、静を以て譁を待つ。此れ心を治むる者なり」と。夫れ衆心已に乱るれば、良将有りと雖も、亦た之が為に計ること能わず〕。是に於て漢兵夾撃し、大いに之を破り、成安君を泜水の上に斬り、趙王歇を擒にす。
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『韓非子』六反第四十六今上下の接は、子父の沢無し、而るに義を行ひて以て下を禁ぜんと欲すれば、則ち交必ず郄有り。且つ父母の子に於けるや、男を産めば則ち相賀し、女を産めば則ち之を殺す。此れ倶に父母の懐袵より出づ、然れども男子は賀を受け、女子は之を殺す者は、其の後便を慮り、之を長利に計ればなり。故に父母の子に於けるや、猶ほ計算の心を用ひて以て相待つなり、而るを況んや父子の沢無きをや。今学者の人主に説くや、皆利を求むるの心を去り、相愛するの道に出でしむ、是れ人主の父母の親に過ぎんことを求むるなり、此れ恩を論ずるに熟せず、詐にして誣ふるなり、故に明主は受けざるなり。
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孫子・九変篇是の故に智者の慮は、必ず利害に雑う。利に雑えて務め信なる可きなり。害に雑えて患い解く可きなり。
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『長短経』利害諸将、首虜を殺し、留まりて賀し、因りて信に問いて曰く「兵法に『山陵を右背にし、水沢を前左にす』と。今者、将軍は臣等をして反りて背水の陣をなさしめ、曰く『趙を破りて会食せん』と。時に臣等服せず。然れども竟に以て勝つ。此れ何の術ぞや」と。信曰く「此れ兵法の中に在り、顧だ諸君察せざるのみ。兵法に曰わずや『之を死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に置きて而る後に存す』と〔夫れ死地に処るは、力均しく勢い敵するを謂う。死地を以て勝ちを取るは可なり。若し至弱を以て至強に当たり、弱兵を死地に投ずれば、自ら陥ることを貽すなり。故に孫子曰く「兵恐るれば、救うべからず」と。又た経に曰く「大衆害に陥りて、然る後に能く勝敗を為す」と。是に知る、死地の機は、必ず大衆を用うるなり〕。且つ信は能く素より士大夫を撫循するに非ず。所謂市人を駆りて戦わしむるなり。其の勢い之を死地に置きて、人人をして自ら戦いを為さしむるに非ずんば、今之に生地を与えば、皆走らん。寧んぞ尚お得て之を用うべけんや」と。諸将曰く「善し。及ぶ所に非ざるなり」と。