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長短経 / 三国権

張繡在南陽與荆州牧劉表合、太祖征之。謀臣進曰、「繡與劉表相恃為強、然繡以遊軍而食於表、表不能供也。急之、則并力、緩之、則自離。」太祖不從。表果遣兵救繡、太祖兵敗。三年春、太祖還許、繡兵来追、太祖軍不能進、與荀彧書曰、「賊来追吾雖日行數里、吾䇿之至安衆、破之必矣。」果設竒伏、攻破之。公還許、荀彧問、「前何以䇿賊必破?」對曰、「虜遏歸師、與吾死地戰、吾是以知勝。」

新字:張繡在南陽与荆州牧劉表合、太祖征之。謀臣進曰、「繡与劉表相恃為強、然繡以遊軍而食於表、表不能供也。急之、則并力、緩之、則自離。」太祖不従。表果遣兵救繡、太祖兵敗。三年春、太祖還許、繡兵来追、太祖軍不能進、与荀彧書曰、「賊来追吾雖日行数里、吾策之至安衆、破之必矣。」果設奇伏、攻破之。公還許、荀彧問、「前何以策賊必破?」対曰、「虜遏帰師、与吾死地戦、吾是以知勝。」

書き下し

張繡は南陽に在りて、荊州牧劉表と合す。太祖之を征す。謀臣進みて曰く「繡は劉表と相恃みて強と為す。然れども繡は遊軍を以て表に食む。表は供すること能わざるなり。之を急にすれば則ち力を并せ、之を緩くすれば則ち自ら離れん」と。太祖従わず。表果たして兵を遣わして繡を救い、太祖の兵敗る。三年春、太祖許に還る。繡の兵来たり追い、太祖の軍進むこと能わず。荀彧に書を与えて曰く「賊来たりて吾を追う。日に行くこと数里なりと雖も、吾之を策るに、安衆に至らば、之を破ること必せり」と。果たして奇伏を設けて、攻めて之を破る。公許に還る。荀彧問う「前に何を以て賊の必ず破るるを策りしや」と。対えて曰く「虜は帰師を遏め、吾と死地に戦う。吾是を以て勝つを知る」と。

現代語訳

張繡は南陽にいて荊州牧劉表と手を結んでいた。曹操はこれを征伐した。謀臣が進み出て言った。「張繡は劉表と頼り合って強くなっています。しかし張繡は流浪の軍で劉表に食わせてもらっており、劉表はいつまでも養えません。急に攻めれば力を合わせ、緩めれば自然に離れるでしょう」。曹操は従わなかった。劉表は果たして兵を送って張繡を救い、曹操の兵は敗れた。建安三年の春、曹操は許に帰ろうとした。張繡の兵が追ってきて、曹操の軍は進めなくなった。曹操は荀彧に手紙を書いた。「賊が追ってきて、一日に数里しか進めないが、私の見通しでは、安衆まで行けば必ず破れる」。果たして奇兵を伏せて攻め破った。曹操が許に帰ると、荀彧が「前にどうして賊を必ず破れると見通したのですか」と問うた。曹操は答えた。「敵は帰ろうとする我が軍の道をふさぎ、我々を死地で戦わせた。だから勝つとわかったのだ」。

解説

曹操は謀臣の、急がなければ敵は自然に離れるという進言を聞かず、張繡と劉表を団結させて敗れました。公孫康のときに自分がやった判断を、ここでは誤ったのです。しかし撤退時には見事でした。帰り道を塞がれた兵は死に物狂いで戦う。敵はそれを知らずに追い詰めてきた。孫子の、帰る軍を遮るなという教えを、相手が破ったから勝てると読んだ。同じ人物でも、ある場面では誤り、ある場面では冴えるのです。

この章句が説くこと

三国権曹操張繡死地帰師失敗

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