長短経 / 懼戒
斯曰、「吾聞晉易太子、三世不安、齊桓兄弟爭位、身死為戮、紂殘賊親戚、不聼諫者、國為丘墟。三者逆天、宗廟不血食、斯其猶人哉!安足與謀!」髙曰、「上下合同、可以長久、中外若一、事無表裏。君聼臣之計、則長有封侯、世世稱孤、必有喬、松之夀、孔、墨之智。今釋此而不從、禍及子孫、足為寒心。善者因敗為福、君何處焉?」斯乃仰天而歎、垂涕太息曰、「既已不能死、安託命哉!」乃聼髙立胡亥、改賜璽書、殺扶蘇、蒙恬。
新字:斯曰、「吾聞晋易太子、三世不安、斉桓兄弟争位、身死為戮、紂残賊親戚、不聴諫者、国為丘墟。三者逆天、宗廟不血食、斯其猶人哉!安足与謀!」高曰、「上下合同、可以長久、中外若一、事無表裏。君聴臣之計、則長有封侯、世世称孤、必有喬、松之寿、孔、墨之智。今釈此而不従、禍及子孫、足為寒心。善者因敗為福、君何処焉?」斯乃仰天而嘆、垂涕太息曰、「既已不能死、安託命哉!」乃聴高立胡亥、改賜璽書、殺扶蘇、蒙恬。
書き下し
斯曰く「吾聞く、晋は太子を易えて、三世安からず。斉桓は兄弟位を争いて、身死して戮と為る。紂は親戚を残賊し、諫めを聴かずして、国は丘墟と為る。三者は天に逆らい、宗廟血食せず。斯其れ猶お人なり。安んぞ与に謀るに足らん」と。高曰く「上下合同すれば、以て長久なるべし。中外一の若くなれば、事に表裏無し。君、臣の計を聴かば、則ち長く封侯有り、世々孤と称し、必ず喬・松の寿、孔・墨の智有らん。今此を釈きて従わずんば、禍は子孫に及び、寒心するに足らん。善き者は敗に因りて福と為す。君何くにか処らん」と。斯乃ち天を仰ぎて歎じ、涕を垂れて太息して曰く「既已に死すること能わず、安くにか命を託さん」と。乃ち高に聴きて胡亥を立て、改めて璽書を賜い、扶蘇・蒙恬を殺す。
現代語訳
李斯は言った。「晋は太子を替えて三代にわたって安定せず、斉の桓公の子らは兄弟で位を争って、身は殺されさらされた。紂は親族を害し諫めを聞かず、国は廃墟となった。この三つは天に逆らい、宗廟の祀りが絶えた。私も人の心を持つ者だ。どうしてあなたとこんなことを謀れようか」。趙高は言った。「上と下が一つになれば長く続けられ、内と外が一つになれば事に裏表がありません。あなたが私の計を聞き入れれば、長く諸侯の位を保ち、代々孤と称し、王子喬・赤松子のような長寿と、孔子・墨子のような知恵の名を得るでしょう。いまこれを捨てて従わなければ、禍は子孫にまで及び、ぞっとするほどです。優れた者は失敗を福に変えるもの。あなたはどちらに身を置きますか」。李斯は天を仰いで嘆き、涙を流して深くため息をつき、「もう死ぬこともできない。どこに命を託せばよいのか」と言った。そして趙高に従って胡亥を立て、璽書を改めて書き換え、扶蘇と蒙恬を殺した。
解説

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